「ドリーム・プレス社SP」 –日本人が愛したテレビ偉人伝–

2006年7月26日

今日午後8時から二時間にわたってTBS系列で放送された「ドリーム・プレス社SP」 –日本人が愛したテレビ偉人伝– を見た。逸見政孝氏の生涯を回顧する部分の後編と本田美奈子さんの歌と闘病生活の紹介を合わせた内容だった。


逸見政孝氏が亡くなったのはもう13年前のことになるが、不思議なことにあの「がん告白記者会見」で語られた言葉の多くは聞き覚えのあるものだった。会見をリアルタイムで見てはいなかったと思うが、その後のニュースなどで繰り返し映像を見て記憶にこびりついていたのだろう。

逸見氏はまさに「TV偉人」と呼ぶに相応しい人だった。あの当時TVで逸見氏の姿を見ない日はなかったというくらいの活躍ぶりだった。あの記者会見もまたTVアナウンサーとしての自己を貫き通した生き様の集大成だったのだろう。闘病に臨む姿勢もまたアナウンサーとして復帰することへの意欲に満ちたものだったようだ。葬儀場から自宅への道のりまでTV各局をまわるコースを選ぶという徹底ぶりだった。

私などは困難な病気と出会った時点で仕事からは少し距離を置いて第二の人生について思いを巡らす余裕があれば、病に勝てたとはいわないまでも、人生最後の一時をもう少し安らかに過ごすことができたのではないか、などと考えてしまう。ただ病気とどう向き合うのが一番幸せだったのかは、本人にしかわからないことでもあるだろう。


一方の本田美奈子さんを「TV偉人」と呼ぶのには私はためらいを感じてしまう。本田美奈子さんとTVとの蜜月は彼女の歌手としてのキャリアの最初の数年しか続かなかった。TV業界は人気の凋落した彼女に商品価値を見出さなかったし、彼女を20年間見続けてきたファンの方達の証言では美奈子さんの方もある時期からTVは自身の芸術を表現する場としては相応しくないと見切りをつけていたようだ。彼女の広汎なレパートリーのうちTVが受け入れたのはあの「…マリリン」ただ一曲に過ぎなかった。TVは彼女が本当の偉人へと羽ばたいたその時をとらえてはいない。

彼女が病と闘った10ヶ月は、奇しくもTV局経営者の口から「TV放送の公共性」といった類の言葉が多く聞かれた期間でもあった。視聴率のような目に見える数字にとらわれることなく上質な音楽芸術を幅広い階層に届けることも、免許事業であるTV放送が担うべき使命の一つでもあると思うのだが。


放送で紹介されたエピソードのほとんどはすでに知っていたものだったが、病室での映像などを見ると改めて胸が締めつけられる。早見優さん、南野陽子さんがスタジオに出演して思い出を語ってくれたのも見どころの一つだった。特にナンノさんは訃報が伝えられてすぐは「コメントできる状態ではない」というほどの落胆ぶりだったらしい。お通夜に出席した時にも気丈にメディアに対応した後で泣き崩れる姿がとらえられていた。8ヶ月たってようやくおちついて語ることができるようになったのだろう。

数々のエピソードからは彼女がいかに友人や共演者達から愛された存在であったかが窺われる。本当にかけがえのない、尊い人を喪ってしまったことを改めて感じさせられた。

欲をいえばナースステーションで歌ったものでもスイートベイジルでもいいから美奈子さんの歌う「アメイジング・グレイス」をフルコーラスで流して欲しかった。何よりもその歌声に命を懸けていた人なのだから。

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

管理者の承認後に反映されます。

http://vita-cantabile.org/mt/tb-vc/17

コメント

構成は再現VTRがあったり、スタ誕があったりと良かったとは思いますが、セルゲイさんの言う通り、何かフル・コーラス聞きたかったですね。見ながらこけてました。

-> アキラさん

貴重な映像も多くていい番組でしたが、やはりもっと歌を聴きたかったという思いが残りますね。『スター誕生』や『長崎歌謡祭』のようなデビュー前の歌などは特にじっくり聴いてみたかったです。

コメントを投稿

最新のコメント

author

author’s profile
ハンドルネーム
sergei
モットー
歌のある人生を♪
好きな歌手
本田美奈子さん、幸田浩子さんほか
好きなフィギュアスケーター
カタリーナ・ヴィットさん、荒川静香さんほか

最近のつぶやき

おすすめ

あわせて読みたい

Giorni Cantabili を読んでいる人はこんなブログも読んでいます。