変ホ長調の名曲

2007年1月17日

今年に入って更新の頻度が落ちているので少し古いネタを拾って記事にしてみる。去年の年末に行われた若手お笑い芸人の登竜門『M–1グランプリ』にアマチュアから参加した女性二人組の変ホ長調」が決勝進出を果たしたらしい。この番組は見ていなかったのでこのコンビがどんな芸風なのかは知らないのだけど、音楽ファンとしてはコンビ名が何に由来するのかが気にところである。


特にクラシックの作曲家の場合、調性を選択する際には単に使用楽器の音域に合わせるだけではなく、それぞれの調に固有の意味を結びつけて行われることが多い。変ホ長調に関してはベートーヴェンのお気に入りだったことが知られている。交響曲第3番「英雄」はこの調性で書かれた傑作の一つである。共和制の支持者だったベートーヴェンは当初ナポレオンに献呈するつもりで作曲していたがナポレオンが皇帝の座についたことを知って激怒し、献辞の記された楽譜の扉を破り捨てて単に「ある英雄のために」と書き直したエピソードは有名である。現在「英雄」の名で親しまれているこの曲は実際に名前の通り雄渾な楽想に溢れた名曲である。

ベートーヴェンの変ホ長調の作品といえばもう一つ有名なのがピアノ協奏曲第5番である。この曲もまた英雄叙事詩を思わせるような曲想に満ちた作品である。この二つの作品が同じ調で書かれているというのは偶然とは考えられず、ベートーヴェンが変ホ長調がこうした曲想に相応しい調性だと見なしていたことが窺われる。

なおこの協奏曲が書かれたのはナポレオン軍がウィーンに侵攻し、親しい友人が疎開するなどして孤独をかこっていた時期のことである。上述のエピソードと併せて考えれば現在この曲が“皇帝”というニックネームで親しまれているのは皮肉なことではある。


このほかに変ホ長調の名曲といえばやはりショパンのノクターン第2番だろう。浅田真央ちゃんが今シーズンのショートプログラムに使用していることで最近特に聴く機会が多い。ベートーヴェンの上記の二曲とは対照的に典雅で優しい調べが聴く者の心にしみる名曲である。作曲家によって調性の捉え方が違っているのもおもしろいと思う。


これらの曲ほど有名ではないが、やはり変ホ長調で書かれた名曲を紹介しておきたい。

ラフマニノフは前奏曲というタイトルのピアノ独奏曲を作品3-2、作品23の10曲、作品32の13曲、と合わせて24曲作曲している。これらは24の調性全てに一曲ずつ作ったもので、ショパンの作品28の24曲の影響されたものと思われる。このうち作品23-6の変ホ長調の作品は、晴れ渡った朝の光を思わせるような名曲である。少し前には『N響アワー』の終わりにコンサートスケジュールを紹介する際のBGMとして流されていた。短い期間だけだったようだが、この時に耳になじんだという方も多いのではないだろうか。

作品23の10曲は1901年から03年にかけて作曲された。伝記作家のニコライ・バジャーノフはこの変ホ長調の作品の着想の源を1903年の長女イリーナの誕生と結びつけている。この記述がどこまで事実に基づいているのかよくわからないが、いかにもそう感じさせるような、静かな喜びに満ちた傑作である。同じくバジャーノフによる伝記には、私的な会合の場でラフマニノフがこの曲を演奏するのを聴いた作家のマクシム・ゴーリキーが「彼には静寂を聴きとることができるのだ」と感嘆したエピソードが紹介されている。ただし私はCDのライナーノートで、ゴーリキーのこの言葉はピアノ協奏曲第2番の第3楽章のあるパッセージ(エピソード的に挿入されたピアノの3連符で構成される箇所のことだと思う)について語ったものだとする記述も見かけたことがある。どちらが正しいのかは私にはわからない。


クラシックではないが最後にもう一つだけ変ホ長調の名曲を。

去年朝霞市と渋谷で行われた本田美奈子さんの追悼展に、『題名のない音楽会』で使用された「つばさ」のパート譜が展示されていた。各パートの一枚目を少し見ることしかできなかったのだけど、調性がフラット♭3つの変ホ長調であることは確認できた。ポップスでは曲の調性が明示されることはほとんどないし、歌手の声域に合わせて調性をこだわりなく変えてしまうことも多いので、聴く方も気にしないのが普通である。ただこの時はこの曲も上に挙げたような名曲と同じ変ホ長調なのか、と感慨深かった。私は絶対音感などないので別にどの調であっても関係ないといってしまえばそれまでなのだけど、そう意識して聴くと一層この曲が愛しく思えてくるような気がする。

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調性と色彩と情緒イメージ/キヨ

今日はちょっとアカデミックに(笑)。クラシックについてなので、チンプンカンプンの人、ごめんなさい..。今、翻訳&校正している原稿の内容が、音楽心理学?(遺...

コメント

 M−1見てました。彼女たちの漫才は簡単に言えば、スローテンポ
を特徴とする気だるい感じの、いかにもアマチュアを演じているよう
な漫才でした。プロの審査員たちもどう評価したらよいのかと迷って
いた様子でしたが、ある一人の審査員は「アマチュアのプロ」または
「太極拳を見ているみたい」と評していました。私が個人的に見ても
あまり面白いとは思いませんでした。なお、名前の由来は、確かその
時には明かされていなかったと思います。彼女たちの漫才はこちらで
ご覧になれます。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%D1%A5%DB%C4%B9%C4%B4?kid=142182

 ところで、変ホ長調の名曲はたくさんありますよ〜1番に挙げたい
のは、やはりベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」でしょう。これ
はファンとして絶対はずせませんし、交響曲の中では私が最も好きな
作品の一つです。

 しかし、馴染みのある変ホ長調の名曲は他にもたくさんあります。

クラシック音楽では……
モーツァルト:「魔笛」序曲
シューマン:交響曲第3番「ライン」
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
チャイコフスキー:序曲「1812年」
リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
ビゼー:「アルルの女」第2組曲より「メヌエット」
スーザ:「星条旗よ永遠なれ」
歌謡曲では……
吉田拓郎:『結婚しようよ』
和田アキ子:『あの鐘を鳴らすのはあなた』
ザ・ドリフターズ:『ドリフのビバノン音頭(いい湯だな)』
CHAGE&ASKA:『SAY YES』
平井堅:『瞳をとじて』
キリがないので、これくらいにしておきます。

-> にゃお10さん

「変ホ長調」の漫才、見てみましたが確かに微妙な雰囲気ですね。セリフがほとんど棒読みで、小学生の学芸会のような印象を受けました。変に場馴れしていない様子が新鮮で受けているのでしょうかね。コンビ名の由来が明らかにされていないのは残念です。


単純計算すれば調性音楽の24分の1は変ホ長調になるわけですから、探せば名曲はたくさん見つかるでしょう。でもやはりベートーヴェンがあの2曲を書いて以来、この調は何か特別な意味を担うようになったという気がします。挙げていただいた曲目からは日本の歌謡曲も含めて全体に共通する調子が見られるように思います。「ビバノン音頭」はちょっと異質ですが。^ ^

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