美女と野獣 –エレーヌ・グリモーさんについて–

2007年1月26日

少し時期を逸してしまったけど書いておきたかった話題を一つ。去年の10月14日にロサンジェルスで行われたN響のアメリカ公演の模様が年末にBS2で放送された。このコンサートの前半の演目がエレーヌ・グリモーさんによるブラームスのピアノ協奏曲第1番だった。指揮はもちろんアシュケナージさん。グリモーさんのピアノが聴けるということでサッカー天皇杯準決勝の浦和レッズ対鹿島アントラーズを断念してこちらを見ることにした。


グリモーさんは現代を代表する女流ピアニストの一人である。現役の名女流ピアニストというとマルタ・アルゲリッチさん、マリア・ジョアン・ピレシュさんといった名前が思い浮かぶが、今やそれに次ぐ存在といっていいのではないだろうか。

グリモーさんというとまず何よりもその美貌によって知られている。私もラフマニノフの2番は"ジャケット買い"をしてしまった。美しい(容姿だけではなく人柄や生き方も)女性を応援することをモットーとする(?)当ブログでも一度はふれておきたかった芸術家である。

ただその演奏スタイルはフランス出身の美人ピアニストという肩書きから受ける印象とはかけはなれたもので、知的で構築的な骨太の演奏を聴かせるのが特徴である。得意なレパートリーはベートーヴェンにブラームスとどこか"おじさん"臭い。このギャップこそが彼女の最大の魅力といえるかも知れない。


実をいうとロシアの作曲家からクラシックに入っていった私にとって、ブラームスはこれまでやや縁遠かった作曲家である。一部の作品には親しんでいたもののピアノ協奏曲についてはよく知らなくて、そのうちグリモーさんの録音でも入手して聴き込んでみようかな、と思っていたところだった(共演のザンデルリングさんも好きな指揮者なので)。今回の放送はまさにこの曲だったので私にとってちょうどいい機会だったのだ。

曲自体をよく知らないので演奏についての詳しい解説は熱心なファンの方のレポートに譲ることにしたい。私の素朴な感想としては、とにかくピアノを弾くグリモーさんの姿が美しかったこと、そしてグリモーさんらしく曲に正面から取り組んだ雄渾な演奏だったということが印象に残っている。


グリモーさんのCDは何枚か持っているけど、最も好きなのはベートーヴェンの4番を収録したものだろうか。内省的で優美な曲調が特徴的で、一般的な人気は5番ほどではないもののそれに劣らず高く評価されているこの曲は彼女の芸風にはまさに打ってつけだろう。冒頭のピアノソロによる導入部から曲の内側に深く沈潜した味わい深い演奏を聴かせてくれる。ベートーヴェンの構築した音楽の骨格を描き出しながら、なおかつそこにほのかな色香が漂っているのが魅力である。ヘッドフォンで聴いていると彼女の息使いまで聴こえてくるのだが、この"吐息"に参ってしまっているファンも少なくないのではないかと推測している。フィルアップの後期ソナタ2曲の演奏も実にチャーミングである。


グリモーさんについて特筆すべきは、いわゆる"共感覚"の持ち主であり、音に色彩を見出すことができるということである。共感覚とは本来互いに独立しているはずの五感の間に関連が生じ、音を見たり色彩を味わうことができるという、少数の人に見られる特殊な現象である。ラフマニノフのCDのライナーノートによると彼女がこのことに最初に気づいたのは10歳の時で、バッハの「フーガの技法」を聴いて色彩が心に浮かんだそうだ。彼女によるとラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は"あらゆる陰影を包含する黒"だという。こうした特殊な感覚は楽曲の解釈にもいかされているのだろう。


もう一つグリモーさんに関してふれておかなければならないのは野生生物の保護の必要性について熱心な啓発活動をしていることである。ニューヨーク郊外の自宅では狼を飼って暮らしている。上記のベートーヴェンのCDのブックレットには彼女が狼と戯れる姿が写真で紹介されているのだけど、これを見ると狼になりたいと思わずにはいられなくなる。

決して徒らに奇を衒ったようなことをするわけでもなく、しなやかな知性と野性から学んだ鋭敏な感性で音楽界に新鮮な風を送り込んでいる、類稀な芸術家である。

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エレーヌ・グリモー「ブラームス:ピアノ協奏曲第1番」

本日、BS−2で、N響のアメリカツァーの番組が放送され、録画しながら観ることにしました。全10回の演奏会のうちの、10月14日の、ロサンゼルス、ウォルトデ...

コメント

私のブログへ、いつも暖かいコメントを有難うございます!
そして、グリモーの記事を覚えていてくださって、TBまでしてくださろうとして、大変嬉しい気持ちになりました。(私の方の設定を変更しましたので、今後は大丈夫かと思います)
sergeiさんが仰る「知的で構築的な骨太の演奏」、まさにそれに尽きると感じます。また生き方もとっても素敵で、同姓としてとても憧れています(笑
sergeiさんのHPの存在を知りませんでした!こんなに暖かい素敵なページです、これからも訪問させて頂きますね。宜しくお願い致します。

 初めて聴くベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番に先駆けて、予習
をするため紹介していただいたCDがエレーヌ・グリモーさんの演奏
するピアノでしたね。その時は、こちらのCDを含めて皆さんが紹介
してくださったものが店頭になかったので、間に合わせで別のCDを
聴くことにしましたが、それからは気になる存在ではありました。
 グリモーさんと戯れる野獣が、CDの中で共演した指揮者のことだ
と勘違いをした時のことを思い出します。あれからもうすぐ1年にも
なろうとしているんですね〜月日が流れるのを早く感じます。

-> ももこさん

コメントありがとうございます♪

にゃお10さんのところからリンクされていたので何気なく訪ねてみたらちょうどグリモーさんのことが書かれていてうれしくなったもので、よく覚えています。女性から見ても素敵に見える方なんですね。クラシックという百年以上も前に作られた曲を現代の感性で弾きこなしてしまう、素晴らしい芸術家ですよね。


楽天さんのブログはURLを記載する欄がなくていつも迷ってしまうのです。よかったら時々訪ねてみて下さいね。TB今度は送信できました。


-> にゃお10さん

もうあれから一年になるのですか、つい最近のような気がするのですが。ベートーヴェンは大作曲家ですから名盤は数多くあるでしょうけど、現代の感性で弾いていて清新な印象を与える演奏としてグリモーさんの録音を推薦してみたのでした。あの時は言葉が足らなくて誤解をさせてしまいましたね。にゃお10さんも機会があったらグリモーさんの演奏にふれてみて下さいね。

こんばんは^^ 早速のTBを有難うございました。

以前、グリモーのベートーヴェンP4番に関しまして
私のブログで取り上げた事がありますので、宜しかったらご覧下さい♪♪
http://plaza.rakuten.co.jp/momoko123/diary/200609120000/

PS・・・かのんさんへは、私の方からご連絡させて頂きますね^^

sergeiさん、はじめまして。
ももこさんからご連絡をいただきまして、歓喜して飛んでまいりました!
わたしの拙い記事を取りあげてくださり、ありがとうございます!
TBとコメントを試みられたとのこと、お手数をおかけいたしました。
最近、記事に全く関係のない不快なTBや書き込みが多いものですから、楽天外からの書き込みは受け付けないように設定したばかりだったのです。それが裏目に出る形となってしまい、ご迷惑をおかけいたしました。重ねてお詫び申し上げます。

さて、sergeiさんのグリモーの記事、興味深く拝見させていただきました。
彼女の野生動物への愛情と活動、その生き方は、とても共感を抱くものがありますよね。
きっと、「自分のいる場所はここじゃない」と、常に孤独感に苛まれていた彼女の幼い頃の思いと、現在の狼の保護活動への思いは、どこかでつながっているのではないかと、勝手ながら推察しております。
女性として、演奏家として、そして啓蒙活動の旗手としての彼女、これからも応援してゆきたいですね。

これをご縁に、これからもどうぞよろしくお願いいたしますね。

-> ももこさん

昨夜もこのCD聴いてみたのですがあらためて名演奏だなぁ、と感嘆しました。この曲グリモーさんにはまり過ぎですよね。先頃「ショパンはノクターンを真央ちゃんのために作曲した」という珍説が提出されましたが、これを聴いているとベートーヴェンはグリモーさんのためにこの曲を作ったのではないかという気さえします。

記事のご紹介ありがとうございました。あのテロ事件の日、まさにこの曲を演奏していたんですね。ニューヨークに住むグリモーさんには特別の思いがあったに違いありません。グリモーさんにとって大切なレパートリーであるはずのこの作品、きっと平和への祈りや生きる喜びのこもった特別な演奏になったのでしょうね。ぜひ地上波でも見られるようにしていただきたいものです。


それから小山さんのTV放送の情報、ありがとうございました。そちらのエントリーはすでにコメントがたくさんでしたのでここでお礼申し上げます。自分でも当日まで情報に気を配っておこうと思います。

またかのん111さんへのご連絡までしていただきましてありがとうございました。大変助かりました。どうぞ今後ともよろしくお願いします。

-> かのん111さん

はじめまして。コメントありがとうございます♪

あらためてTBを送信させていただきました。スパムには私も随分悩まされたので事情はよくわかります。どうぞお気になさらないで下さい。(楽天さん、もう少しスマートなスパム対策を用意して下さるといいのですけどね。)

ブラームスについてはあまり詳しくなかったもので、大変参考になりました。自分の記事はあまり中身のないものになってしまったのでリンクさせていただきました。

「どこにいてもそこが故郷だとは思えない」というような言葉も聞いたことがありますが、生い立ちに何か関わりがあるのでしょうか。ベートーヴェンのような古典を弾いてもそこに清新で現代的な感覚が感じられるのは現代人の孤独や漂泊感がにじみ出ているせいかも知れませんね。生存が脅かされている狼へのシンパシーも、音楽活動と深いところでつながっているように感じます。

まだ若い方ですし、今後のさらなる飛躍が楽しみですね。こちらこそどうぞこれからもよろしくお願いします。

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