墨家の盛衰と音楽

2007年2月 4日

今日放送の『世界ふしぎ発見!』は中国春秋時代の思想である墨家の特集で興味深く見た。墨家とは墨翟(中国春秋時代の魯に生まれた思想家、墨子と称される)の教えに基づく学派のことで、儒家と対立し拮抗する程の勢力を誇った。その内容は「非攻」(非戦)と「兼愛」(平等の愛)を旨とし、儒家の重んじる繁雑な儀礼に反対するものだった。儒家の教えが現世利益的な処世術の集成であったのに対し墨家は過激な革新思想であり、現代の革命的社会主義にも例えられることがある。

「墨守」という言葉が大国の攻撃を受けた小国の防衛の指導をしたことから生じたというのは知らなかった。急進的な革命思想の持ち主であった彼らに由来する言葉が現在では「旧套墨守」といった文脈で使われることがあるのは皮肉なことである。


3問のクイズのうち最初の2問は正解できなかったのだけど、最後のクイズはすぐにわかった。「ある娯楽について孔子は積極的に奨励したのに対し、墨子は排斥しようとしたがその娯楽とは何か?」という問題だった。答えは「音楽」である。

孔子にとって音楽は儀礼的秩序になくてはならないものだったが、墨子は音楽を君子の奢侈として排斥した。番組では隆盛を誇った墨家がその後急速に衰退した理由を「権力者に都合の悪いものだったために弾圧された」と説明していたが、「荘子 天下篇 第三十三」は異なる分析をしている。そのあまりにも禁欲的な内容が人々に受け容れられなかったためだというのだ。

…その実践が極端にはしり、その用い方が本旨をはずれ、音楽を排斥する主張をたてて、それを浪費の節約だと称した。そこで、生きているあいだには歌うこともなく、死んでからは葬いの礼もないありさまであった。

…こんなことで人を教えるとすると、恐らく人を愛することにならないだろう。またこんなことを自分で行うとなると、もちろん自分を愛することにはならない。…歌うべきときに歌ってはならないといい、哭泣すべきときに哭してはいけないといい、楽しむべきときに楽しんではいけないというのでは、これで果たして人並みだといえようか。…人々を嘆かせ悲しませるばかりで、その実行はむつかしい。…世界じゅうの人々の心情とはうらはらで、すべての人にとってたえられないことだ。墨子だけがそれを行えたとしても、世界じゅうの人々をどうしようもあるまい。…

「荘子 第四冊」金谷治訳注 岩波文庫

歌と音楽は人々の生きる喜びそのものなのだ。それを排斥しようとするような思想が世の中に受け容れられるはずはないだろう。


私がこの時代の中国の思想史に関心を抱くのは現代の状況と似ているところがあると思うからだ。墨家が衰退した後、「白馬は馬ではない」という説で有名な公孫竜や荘子と交流があったことで知られる恵施に代表される詭弁的な言辞を弄する学派が一時的に流行した。その流行も下火になった後に力を得たのが荘子に代表される道家であった。その教えは中国社会に根づき、今日に至るまで儒家と並ぶ一大思想として脈々と受け継がれている。

このことは一つの希望でもある。マルクス主義が終わりを告げ、その後のフランス現代思想の流行も過去のものとなった今こそ、人々の生きる支えとなる新たな思想の胎動が始まろうとしているのかも知れない。

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コメント

こんばんは〜。コメントはお久しぶりです。



>>墨子は排斥しようとしたがその娯楽とは何か?」という問題だった。答えは「音楽」である。



春秋時代に、墨子がそんな考えを主張していたとは驚きです。
大学生の時の卒論で、ケルティック民謡がアメリカを経由してどうやって
日本に入ってきたのか?というルーツの研究をしたことがありました。
あくまでもその流れの中のことだけのことですが、音楽を様々な思惑
(商業的営利、情操教育、カトリックの布教など)に利用するケース
というのはありましたけれど、奢侈だから禁止するというのは一度も
でてきませんでした。



反対に明治時代の日本での音楽は、奢侈どころか、体の不自由な人たちが
芸人として生活していく手段だと、蔑まれていた時期もあったみたいです。
つまり、時代は違えど、蔑まれても音楽を生活の糧としている人も現にいた。
君子には奢侈であることはあったとしても、民衆にはどうなのでしょうか。
明らかに、生活の一部となっていたはずですからね。



たぶん、音楽は永遠になくならないと思います。
それより、心配なのは文化的遺産かもしれません・・・。

-> みゅりえさん

こんばんは。かなりマニアックな話題だな、と思いつつ書いたのですがコメントして下さってうれしいです♪


大学生の時の卒論で、ケルティック民謡がアメリカを経由してどうやって
日本に入ってきたのか?というルーツの研究をしたことがありました

そんな興味深い研究をされたのですか。今度ぜひ詳しく教えて下さいね。


春秋時代に、墨子がそんな考えを主張していたとは驚きです。

当時の儀礼で金属製の鐘による音楽が用いられていたのですがそれを資源の浪費であるとし、また若者の労働意欲を失わせるという理由で排斥しようとしたのだそうです。

君子には奢侈であることはあったとしても、民衆にはどうなのでしょうか。
明らかに、生活の一部となっていたはずですからね。

仰る通り歌や音楽は(多くの場合読み書きのできない)民衆にとってこそ必要なものなのだと思います。中野さんが素晴らしいエキシビションを演じた「アメイジング・グレイス」もアメリカの黒人たちがつらい時代を生きる支えにした歌でした。

芭蕉に「風流のはじめや奧の田植え歌」という俳句があります。芸術の根源が農民たちの田植え歌にあると指摘した、卓越した見解だと思います。


たぶん、音楽は永遠になくならないと思います。
それより、心配なのは文化的遺産かもしれません・・・。

形あるものはいつかこわれてなくなるかも知れません。しかし歌の心は人が生きている限り決してなくなることはないでしょうね。

>そんな興味深い研究をされたのですか。今度ぜひ詳しく教えて下さいね。


音楽専門ではなかったので(比較文化学科という学科だったのですが)、
文献収集に困り、専門的知識の基礎もなっていなかったため、最後は
ちょっと破綻してしまいましたが、途中までは巧い具合にまとめたつもりです。


アメージング・グレース、まさにそれらの音楽について調べたのです。
他、蛍の光、アニーローリー、ロンドンデリーの歌など、童謡というか
フォークソングというか・・・全部、スコットランドやアイルランドにルーツがあります。
だから、中野さんがアメージンググレースで滑ってくれた時は嬉しかったです。


>当時の儀礼で金属製の鐘による音楽が用いられていたのですがそれを資源の浪費であるとし、また若者の労働意欲を失わせるという理由で排斥しようとした


金属が高価だから...というのは少しは分からないでもないですけれど、
労働意欲を失わせる、というのはピンとこないですね・・・。
田植えの歌からも分かるように、なんと言いましょうか、
こう、力を合わせ気持ちを一つにしようとする時にはむしろ、
音楽(歌)は、労働意欲をかき立てもすると思います。


ちょっと話がずれますが、宮崎駿の「もののけ姫」の映画の冒頭で、
女たちが鉄を作る場面があるんですね。重労働らしいんですけど、
一緒に歌いながらタイミングとって、10人くらい同じ作業をしていたのです。

歌って不思議ですよね。楽譜が残れば(あるいは残らなくても)、
別の人によって歌われ、生まれ変わっていきますからね。

-> みゅりえさん

蛍の光、アニー・ローリー、ロンドンデリーの歌…。みんないい歌ですね。ケルトの音楽はメロディーが美しくて聴き惚れてしまいます。現在の日本人の音楽的な感受性にも大きな影響を与えていますよね。私も以前「故郷の空」についてちょっとした記事を書いたのですが何か誤りなどあればご指摘下さい。


ちょっと話がずれますが、宮崎駿の「もののけ姫」の映画の冒頭で、
女たちが鉄を作る場面があるんですね。重労働らしいんですけど、
一緒に歌いながらタイミングとって、10人くらい同じ作業をしていたのです。

そういえばそんな場面を見た記憶があります。宮本常一の「忘れられた日本人」という本の「女の世間」という章に女たちが歌を歌いながら楽しんで田植えをする様子が紹介されています。しかし田植えが能率化されるようになると歌も歌われなくなり、田植えのような労働が大きな痛苦として考えられるようになっていったのだそうです。

私たちは歌うことと苗を植えることが一体となって生きる喜びをもたらしたような牧歌的な世界からはあまりに遠く懸け離れたところへたどり着いてしまいました。今では歌いながら仕事をするのは職業的な歌手の方たちだけでしょう。それでも私たちが歌に癒しや励ましを見出すのは、魔法のような力でそうした喜びに満ちた世界を追体験させてくれるからかも知れません。


歌って不思議ですよね。楽譜が残れば(あるいは残らなくても)、
別の人によって歌われ、生まれ変わっていきますからね。

本当にそうですね。歌は生きているのだと感じます。

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