忘れられないこと

2007年2月16日

先日「忘れる」ということをテーマにちょっとした記事を書いたけど、この言葉についてはもう少し書きたいことがあるのでしつこくその続き。


最近「千の風になって」という歌が話題になっている。作家の新井満さんがこの詩を日本語に訳しメロディーをつけて歌ったのは数年前のことなのでなぜ今頃、という気もするが、テノール歌手の秋川雅史さんが去年の紅白で歌ったことで人気に火がついたようだ。もう随分前から人気凋落が指摘されているが、そうはいっても紅白の影響力はまだまだ大きいことを感じさせる。

大切な人との別れにどう向き合うかは人生における大事な問題であり、歌が担うべき課題の一つでもある。もともとこうした歌への希求が根強く存在していたところに紅白での熱唱があったので注目を浴びることになったのだろう。秋川さんのCDはクラシックとしては初のオリコンチャート1位を獲得するという快挙を成し遂げた。


以前ラフマニノフフョードル・シャリャーピンの死に寄せて贈った言葉に「忘れられた者のみが死んだのである」という碑文が引用されていることを紹介した。その思い出が人々の記憶の中に生き続ける限り人は死んでしまうことはない、という箴言は残された者にとっては救いである。

先日新聞のコラムか何かで読んだのだが、アフリカのある部族は死者を二通りに分ける習慣があるのだそうだ。その人を直接知っている人がまだ生きている場合と、もはやその人のことを直接知っている人は誰もいなくなってしまった場合とである。これもまた似た発想である。


本田美奈子さんの葬儀の際、お母様がご挨拶の中で「美奈子を忘れないで」と話しておられたのは強烈に印象に残っている。長い間美奈子さんのことは忘れていた(思い出さないようにしていた)私だが、これでもう自分にとって美奈子さんは決して忘れることのできない存在になってしまったな、と感じていたところだったので、こんなことを仰るのがとても意外だったのだ。

私は美奈子さんにはお会いしたこともないけれど、その面影は心の中に忘れ難い痕跡を残している。今自分がこうして生きているということは、美奈子さんが私の心の中に生きているということでもある。そう考えると自分の人生までがより価値あるものに思えてくるから不思議である。「wish」の歌詞にある「ひととつながりながら/いま生きていること」というのはこんなことを指しているのだろうか、などと考えてみたりもする。人生にはどんなに悲しくても決して忘れてしまいたくないこともあるのだ、とあの時以来思い知らされている。

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