「おふくろさん」アレンジについての省察

2007年3月18日

このところ世間を騒がせている「おふくろさん」騒動、これまでいろいろと識者の解説や一般の方のコメントなどを見てきたが、この曲についてあまり思い入れがないと思しき人がおもしろがって法律論を繰り広げているようなものが多く、参考になる意見はあまりなかった。冒頭に付け加えられたセリフは川内氏の同一性保持権の侵害にあたるのかも知れないが、事前に氏の了承を取り付けていなかったのは当時の森さんの所属事務所スタッフの事務処理のミスであり、森さんの人間性云々とは別次元の問題である。この件は法律論は本質ではなく、おそらくそれ以前からくすぶっていた感情的対立がこの問題をきっかけに露呈したということなのだと思う。

川内氏が森さんの何に対して腹を立てているのかはよくわからない。私は報道で知る事実以外のことはわからないし、森さんのファンであるためにこのことに中立的立場からコメントするのは難しいので今回の騒動自体について深く立ち入ることは避けたいと思う。ここではほかの人があまりふれていない、この「おふくろさん」のアレンジの意味論について少し述べてみたい。


この問題が顕在化した当初に森さんが「この曲は森進一の『おふくろさん』として親しまれている」と発言したことが波紋を呼んだ。しかし実際この曲が森さんの歌唱とは切っても切れない関係にあるのは間違いないはずだ。

それは一つには森さんの歌唱があまりにも個性的で、そうしたスタイルがすでに深く人々に浸透してしまっているためである。みんなものまねはするけど、まともなカヴァーをするなどということは事実上困難だろう。私が唯一聴いたことがある"カヴァー"と呼び得るものは、NHKの『二人のビッグショー』で上田正樹さんと共演した時に上田さんが歌ったものである。(因みにこの時森さんは「悲しい色やね」を歌ったのだがこれがまた実に絶品だった。)

今回の騒動を受けて吉幾三さんが「歌いたい」と話しているというが、果たして音楽ファンはそれを許すのだろうか。私は吉さんの歌も好きだし、吉さんもまたそれなりに味わいのある「おふくろさん」を聴かせてくれることと思うが、こうした経緯で吉さんがこの歌を歌うということになれば、とても喜んで聴く気にはなれない。


それはともかくとして、もう一つこの歌を森さんと強く結びつけているのは、森さん自身の母を思う気持ちがこの歌に込められているということである。これを聴く人は誰もが森さん自身の人生と重ね合わせて聴いているはずである。

母思いの森さんにとってそもそも母への愛は歌を歌うことの動機の根幹をなしていた。だからこそ1971年に「おふくろさん」が発表されるや否やまたたく間に人気曲になっていったのだった。しかし73年、その最愛の母との死別により森さんは歌い続ける意欲を失ってしまう。

立ち直るきっかけになったのは74年に出会った「襟裳岬」だった。この歌を歌うことで再び歌手として生きていく意欲を取り戻していったのだった。「おふくろさん」はこうした森さん自身の人生の歩みに思いを馳せることなく鑑賞するのは不可能な曲である。


さてその問題となっている冒頭に短いセリフを加えたアレンジだが、私は以前から何度か聴いていて、今の森さんの気持ちを無理なく歌えるようにしたうまい工夫だな、と感じていた。というのも、母親を亡くした後の森さんにとって、この「おふくろさん」はリリースされた当時と同じ気持ちでは歌えるはずがないからだ。

実をいうと私は少し勘違いをしていて、最初にこの騒動を知った時は川内氏の作品が全て歌えなくなるとしたら「うさぎ」も歌えなくなってしまうのか、と思い込んでしまっていた。実際は「うさぎ」は保富康午氏の作詞で、今回の騒動の影響は受けずに済むと知って安堵すると同時に、問題のセリフを作ったのがこの保富氏だと知って腑に落ちる思いがした。

うさぎ」という曲はあるいはご存知ない方も多いと思われるが、やはり母ヘの思いを歌った素晴らしい名曲で、これこそまさに森さんでなければ歌えない逸品である。歌詞は森さん自身をモデルとしたと聞いている。ぜひ何かの機会に聴いてみていただきたい作品である。

思うに母亡き後森さんにとって母への思いを歌う意味はそれ以前と違ったものにならざるを得なかった。そのことを受けて作られたのが「うさぎ」であり「おふくろさん」冒頭のセリフだったのだろう。実際に森さんはあの後しばらくは「おふくろさん」は歌えなかったと述べている。あのセリフは決して伊達や酔狂で付け加えられたのではなく、新たな気持ちで「おふくろさん」を歌えるようになるためになくてはならないものだったのだと思う。

現状では「三文芝居」といった類の言葉ばかりが一人歩きしてしまっている感があるが、このアレンジが内的必然に基づいてなされたのだということが十分に理解されれば少しは事態の進展に向かうのではないだろうか。当面は「おふくろさん」を封印せざるを得ないとすれば、しばらくはこのまだ世の中に十分に知られているとはいえない「うさぎ」を歌う機会を増やしていくといいと思う。


孝行息子の日本代表のような存在である森さんがあのような悲しい別れを体験しなければならなかったということは、森さん自身ばかりでなく日本の音楽ファン全体の心性にも大きな影響を与えているといっても大袈裟ではないと思う。その時の森さんの絶望がいかに深いものであったか、今は私にも少しはわかる気がする。歌い続けるどころか、生きていく意欲さえ失ってしまっていたのではないだろうか。森さんのその心の痛みは、今も少しも変わらずに胸に生き続けているのだと推察する。だからこそあのような人の心を揺さぶる歌を歌うことができるのだと思う。

日本を代表する人気歌手でありながら絶えずこうしたトラブルに巻き込まれるというのはよほど不器用な生き方しかできない人なのに違いない。森さんの歌唱による「おふくろさん」が聴けなくなるとすれば日本の音楽界にとって重大な損失でもある。この問題が早く終息して、森さんに平穏な日々が訪れることを願わずにはいられない。

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