「ララバイ」〜ミュージカル『十二夜』より

2007年8月 6日

作詞:斉藤由貴/作曲:八幡茂/編曲:井上鑑
ミニアルバム「アメイジング・グレイス」COZQ-147,8(2005.10.19)所収。ベストアルバム「クラシカル・ベスト〜天に響く歌〜」COZQ-255,6(2007.04.20)にも収録されている。

本田美奈子さんはシェイクスピアの戯曲を元に2003年に東宝によって制作されたミュージカル『十二夜』のネコ役を初演している。原作にないこの役は、プロデューサーの酒井喜一郎氏がセリフに苦手意識のある美奈子さんのために特に用意したものだった。美奈子さんは自分に割り当てられた役が人ではなかったことに戸惑いつつも、いろいろと工夫して“ネコ”に成り切って演じようとしたようである。

制作発表の記者会見では、抱負を尋ねられて歌に懸ける思いをとうとうと語った末、熱くなり過ぎて却って場を白けさせてしまったと思ったのか「まじめでごめんなさい」と謝っていた。不器用で真っ直ぐな美奈子さんの人柄がよく表れた、愛すべきエピソードである。

なおこのミュージカルは美奈子さんと同時代にアイドルとして活躍した斉藤由貴さんが作詞を担当している。かつてのトップアイドル二人の意外な場所でのコラボレーションとしても興味深い。


『十二夜』でネコ役の美奈子さんが歌ったナンバーの一つがこの「ララバイ」である。美奈子さんは2005年にデビュー20周年を迎えるにあたりミュージカルの名曲を集めたアルバムを制作することを予定していた。そのために2004年12月27日に『マイ・フェア・レディ』の「踊りあかそう」とこの「ララバイ」を録音した。

しかし年明け早々に白血病が発覚し緊急入院したためにこのアルバム制作は実現しなかった。「ララバイ」の録音は入院中の2005年10月19日に発売されたミニアルバム「アメイジング・グレイス」に収録された。そしてそれからわずか半月ほど後に美奈子さんは帰らぬ人となってしまった。


実を言うと私はこのミニアルバムをなかなか入手せずにいた。広告を新聞で見て「復帰はいつごろになるのかな」などと考えていた矢先に訃報を聞いたショックもあり、「アメイジング・グレイス」は私にとって美奈子さんの死を象徴する存在となってしまっていた。「ララバイ」と「アメイジング・グレイス」のライヴ映像というほかの盤には収録されていない音源があることは承知していたものの、敢えて手に取ってみる気になれなかったのだ。

思い直すきっかけとなったのは昨年8月にラフォーレ原宿で行われたフィルムコンサート“舞輝”を見に行ったことだった。上映までの待ち時間の間に美奈子さんのCDの音源がいくつも会場に流されていたのだが、その中にこの「ララバイ」があったのだ。聴いた瞬間に「これは何はさておいても入手しなければならない」と思い直し、上映が終わるとすぐに販売コーナーに行ってこのCDを購入した。以来この歌は美奈子さんの残した録音の中でも最も頻繁に愛聴している作品の一つになった。


この歌は原作の『十二夜』で幕切れに道化のフェステが歌う「おいらが子供であったとき…」で始まる歌を元にしていると思われる。同じくフェステがオーシーノーに歌って聴かせる「まことの愛に死ぬもの」に相当すると思われる「古い恋歌」もネコが歌っているので、このネコはフェステの分身なのだとも考えられる。

「ルルル…」とスキャットでひとふし歌った後に、「ごらんあの影法師…」とフェステを揶揄するかのような調子で歌い進められていく。斉藤由貴さんによる詞は、当時の世相に言及したと見られる原作の詩のコンテクストは継承していない。道化をあげつらいながら私たちの存在一般の孤独や儚さに思いを馳せ、原作の詩の“子供の時分と大人になった今との対比”というモティーフを巧みに生かしながら移り行く時の流れについて語っている。

井上鑑さんの編曲は伴奏にギターや鍵盤楽器など減衰系の楽器のみを使用し、息の長い旋律との対照を形作って絶妙な効果を上げている。スキャットから詞のついた部分へ移行するところでの鍵盤楽器(チェレスタ?)の動きから「愛が生まれた日」を思い浮かべてしまうのは私だけだろうか。

八幡茂さんはこの歌のために、「ララバイ」のタイトルに相応しい子守唄のような優しい調べを作り出した。この時すでに美奈子さんは「AVE MARIA」をリリースしており、このナンバーもソプラノ的な唱法で歌うことを前提として作られている。半音階的な動きを交えた息の長い旋律はワグナー的というべきかラフマニノフ的というべきかよくわからないが、聴く者の心の襞を縫うようにして奥深くへと入り込んでくる。


美奈子さんのソプラノ唱法はこの「アメイジング・グレイス」収録の「ララバイ」で至高の域に達している。息の長いゆったりとした旋律に乗って響くソプラノヴォイスは絶品の美しさである。この歌はクラシカル・クロスオーヴァーのレパートリーの中でもとりわけ伸びやかな声が生きる曲で、情感溢れる歌い回しは聴いていてくらくらと目眩いを覚えるほどである。

この録音は結果的に美奈子さんの最後のスタジオ録音となった。“白鳥の歌”と呼ぶに相応しい、燃え尽きようとする命の最後のきらめきにも似た繊細な光芒を放つ絶美の歌唱である。


音楽が恋の糧であるなら、つづけてくれ。

オリヴィアへの恋に苦しんで楽師たちに命ずるオーシーノー公爵のように、私もまた日々この歌に聴き惚れている。美奈子さんへの叶わぬ想いに身を焦がしながら…。

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コメント

アメージング・グレイス、クラシカルベスト〜天に響く歌〜を何度も、何度も繰り返し聴いています。

優しい気持ち、愛おしい気持ちになります。
リラックスして聴いていると心に響きます。

読書をしながら聴くのをいいですけど、じっくり聴いていたいですね。


-> moonさん

美奈子さんの歌は聴いているとやさしい気持ちになりますね。ぜひじっくりと聴いてみて下さい。

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