六手のピアノのための「ロマンス」 続報

2007年10月10日

以前ラフマニノフの若き日の作品である六手のピアノのための「ロマンス」について紹介記事を書いたが、その後新たに気がついたことがあるのでその報告をしたい。


ラフマニノフはよく知られているように交響曲第1番の初演の失敗の後何も作曲できない日々が続いていたが、幸い精神科医のダーリ博士の助力により精神的な危機を乗り越えることができた。再び創作への意欲を取り戻した彼が最初に取り組んだのが2台のピアノのための「組曲第2番 Op.17」だった。ピアノの名技性と交響的な響きの効果の両面を追求したこの作品は1900年から翌年にかけて作曲され、今日ラフマニノフの最高傑作の一つに数えられ、高く評価される名曲である。2台のピアノのためのレパートリーとしては現在最も演奏される機会の多い作品の一つとみていいようだ。

この組曲は以下の4曲から構成される。

  1. 序曲
  2. ワルツ
  3. ロマンス
  4. タランテラ

勇壮な行進曲風の序曲に始まり活気のあるタランテラで締めくくられる壮麗な組曲で、ラフマニノフが作曲の才能を自ら確認し、再び作曲家として歩んで行く決意を高らかに宣言した記念すべき作品である。友人のピアニストで教育者としても知られるアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(“ゴールデンワイザー”と表記されることも多い)に献呈され、私的な会合で二人の共演により演奏が披露された。公式の初演はその後作曲者自身と従兄にあたるピアニスト、アレクサンドル・ジロティとの共演により行われた。

この初演は「ピアノ協奏曲第2番 Op.18」の初演よりも後だったが、出版は組曲第2番の方が早かったようで作品番号はこのような順序になっている。実際にはどうやらこの二曲は並行して作曲されていたらしい。


当然のことながらこれよりも前に2台のピアノのための「組曲第1番 Op.5」という作品が存在する。こちらは「幻想曲–絵画」というタイトルがつけられ、四つの曲にはそれぞれレールモントフ、バイロン、チュッチェフ、ホミャコフによる詩が添えられている。これらの詩から受けた印象の音楽による絵画的表現ということなのだろう。

一方この組曲第2番には標題その他のコンテクストが存在せず、着想の源泉は明確にされていない。ところがある時この曲を聴いていてそれを読み解く重要な鍵がひそんでいるのに気がついた。

「組曲第2番」の第3曲「ロマンス」の終盤に、六手のピアノのための「ロマンス」のコーダが引用されているのだ。「組曲第2番」は手許にあるCDを比較してみると演奏によってテンポ設定がかなり違うようだが、現在日本で最も広く流通していると思われるマルタ・アルゲリッチさんとアレクサンドル・ラビノヴィッチさんによる録音では第3曲の5分12秒から40秒ほどの間、六手のピアノのための「ロマンス」の方はヴラディーミル・アシュケナージさんがご家族と共演した録音でいうと3分10秒以降である。お聴きになればこの二つの部分の曲想がほとんど一致しているのがおわかりいただけるだろう。これほどの一致は決して偶然類似した音型になったというようなものではなく、意識的に自作から引用したとみて間違いないと思う。

六手のピアノのための「ロマンス」の序奏がピアノ協奏曲第2番の第2楽章に用いられていることは冒頭で言及したエントリーですでに述べたが、コーダまでもが同じ時期の自作に引用されているというのは驚きだった。並行して作曲されていた二作品でともに引用されているということは、この時期のラフマニノフにとってスカローン三姉妹とイワノフカで過ごした日々の想い出がいかに大切なものであったかを物語っている。若き日にプライヴェートな目的で作られた小品とはいえ、この曲が彼の創作を理解する上で重要な作品であることはいよいよ明らかになった。

これはもしかすると新発見なのだろうか? いやいや、両方の作品を演奏した経験のあるピアニストなら気がつかないはずはないと思う。ただ、少なくとも私はこれまで文章として記されたのを見たことがないし、ウェブで検索してみてもそれらしい記述は見当たらない。あまり知られていない事実であるのは間違いないだろう。

なお以上の説明は楽譜もろくに読めない素人の音楽ファンが耳で聴いた経験を基に述べたものであることをご承知おき下さい。できればご自身で音源を聴き比べて、あるいは楽譜を見比べてお確かめ下さい。


実を言うとこの事実に気がついたのはもう去年のことになるのだけど、何となく書きそびれているうちに一年近く経ってしまった。私にとってクラシックの記事を書くというのはなかなか荷が重い作業であるようだ。

なおこれはすでによく知られていることだが、ラフマニノフは1900年の春にイタリアを旅行しており、その痕跡は組曲第2番の終曲「タランテラ」に残されている。このイタリア旅行、当初は作家・劇作家のアントン・チェーホフと行くことを計画していたが、チェーホフの健康状態が悪化したため実現しなかった。代わりにフョードル・シャリャーピンを誘ったもののこちらもシャリャーピンの都合がつかず、結局一人で行くことになったものである。

チェーホフとモスクワ楽派の音楽家たちとの関わりもこのサイトで論じてみたいテーマの一つなのだけど、これもなかなか大変なことなので手をつけられずにいる。できればそのうち少しずつでも語っていきたいと思っている。

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コメント

是非聞き比べをして見たいと思わせるsergeiさんの記事です。
秋の夜長に聴くにはピッタリではないでしょうか。

-> moonさん

六手連弾の方はあまり演奏される機会のない曲ですがよかったら聴いてみて下さい。秋の夜長に聴くには短い小品ですが、とっても愛らしい素敵な曲ですよ。

セルゲイさん、楽しみにしていた記事をアップして下さってありがとうございます!心待ちにしていました。なるほど、「六手のための『ロマンス』」は「ピアノ協奏曲第2番の第2楽章」と「組曲第二番第三章『ロマンス』」両方に引用されてるのですね。早速聴き比べてみます。と言っても、私の素人耳に判るかどうかは怪しいものですが…。そうですか、では私の大好きな「組曲第二番第三章『ロマンス』」にもスカローン姉妹との甘い思い出が込められているのかもしれませんね。でも、「組曲第二番」には着想の源泉は明確にされていない、と仰ってましたが、やはりはっきりとした誕生秘話などは分からないのですね。私は不思議なくらいこの曲に執着心があるので少し残念です。例え逸話でも、そのお話に触れている本でもあればぜひ読んでみたいのですが、何かご存知ないですか?
ともかく、セルゲイさんの記事は解り易くて楽しいです。これからも時々遊びに来ますので、素敵な記事を書き続けて下さい。

-> コリエさん

コリエさんに背中を押していただいてやっと書き上げることができました。^ ^ 私も全くの素人ですので、ぜひコリエさんご自身で聴き比べてみて下さい。


組曲第2番は評価の高い名曲なのですが、どうしても協奏曲の陰に隠れてしまって詳しく解説した文献などはあまりないのではないかと思います。一つ言えるのはやはり上にも述べた通りイタリア旅行の印象が大きく影響しているだろうということです。すでにこの旅行中にスケッチされていたようです。特に終曲の「タランテラ」はイタリアの舞曲ですので、ここにその影響が色濃く反映されているものと思われます。

ラフマニノフがあまり自作の着想の源を明かそうとしなかったのは、聴く人の受け止め方を制約したくない、という考えもあってのことだったようです。多くの人が協奏曲に注目する中で組曲第2番に惹き付けられておられるコリエさんはとてもユニークな感性をお持ちの方とお見受けします。あまり具体的な事実にはとらわれずに、ご自身で感じたままに解釈されるといいと思いますよ。


今後も細々とマイペースでやっていきますので、よかったらまたお越し下さい。私もコリエさんの音楽の感じ方など、ぜひいろいろとうかがいたいです。^ ^

私もアルゲリッチのCD持っています。組曲第2番の演奏が特に好きです。彼女にはピアノ協奏曲第3番の録音もありますが、あまり面白くありませんでしたが組曲の方は別人のように生き生きした演奏だと思います。

-> オペラファンさん

アルゲリッチさんとラビノヴィッチさんの演奏は勢いよく進んでいくところとしっとりと歌うところの対照が明確でとてもいいですよね。私はアルゲリッチさんのコンチェルト録音の方もとても好きなのですが。^ ^

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