「サン・アンド・ムーン」

2008年8月 6日

作詞:リチャード・モルトビー Jr.、アラン・ブーブリル 訳詞:岩谷時子 作曲:クロード・ミシェル・シェーンベルク

デビュー当時からアイドルではなくアーティストでありたいと語ってきた本田美奈子さんが、アーティストとしての地位を揺るぎないものにしたのは周知の通りミュージカル『ミス・サイゴン』へのヒロイン、キム役での出演だった。『ミス・サイゴン』はヴェトナム戦争下のサイゴン(現ホーチミン市)で、地獄のような状況下に生まれた奇跡のような純愛と、それが招いた悲劇を描いたミュージカルである。

この作品はジャコモ・プッチーニの有名なオペラ『蝶々夫人』を下敷きにしていると言われている。実際にアジア女性が西洋の男性と恋に落ち、それが報われず最後に死を迎えるという筋書きは非常によく似ている。ただ両者の決定的な違いを一つ挙げるなら、それは『蝶々夫人』におけるピンカートンは初めから蝶々さんに誠意がなかったのに対し、『ミス・サイゴン』ではクリスはキムを心から愛しており、やむを得ずアメリカに帰り別の女性と結婚した後もなお、キムのことを絶えず気にかけていたという点である。その意味ではキムは蝶々さんより遥かに幸せだったといえるかも知れない。

このキムとクリスの美しい純愛を象徴しているのが第1幕の中ほどで二人によって歌われる愛の二重唱「サン・アンド・ムーン」である。このナンバーは第2幕でもクリスとの思い出を振り返るキムによって独唱で歌われる。このミュージカルの中でもとりわけ平和で美しい旋律が印象的なナンバーである。

この時間にして2分少々の短いナンバーにも美奈子さんの特徴はよく表れている。まず何よりも独特の緊張感を湛えた張りつめたような歌声(美奈子さんの恩師、服部克久さんの表現では「声に“悲壮感”がある」)。そしてダイナミクスを大きくとる表現はここでも生かされていて、「鳥鳴き…」の部分のスフォルツァンドにはいつ聴いてもはっとさせられる。

“モーニン”と呼んで慕った岸田敏志さんとも息の合ったアンサンブルを聴かせている。束の間の幸せとはいえ真実の愛で結ばれた二人の和やかな喜びを感じさせる歌唱である。


劇の筋書きについての詳細な分析は切りがなく長くなるのでここでは一点だけ気になることを指摘しておきたい。それは劇中での“ベトコン”の扱いである。キムの幼なじみである北部勢力についたトゥイがこの劇の中ではほとんど悪役のように扱われている。全体としては戦争の悲惨さを伝える作品であるとはいえ、ヴェトナム戦争の当事国であるフランスの出身である作者が敵対する勢力の人物を悪役のように仕立てた劇を作るというのはいかがなものかと思わずにいられない。もし日本の芸術家が日本の統治下の中国や朝鮮を舞台にして、親日派を主役とし抗日派を悪役のように扱う作品を制作したとしたら、それが国際的な評価を獲得するということがあり得るだろうか。日本人には許されないことがフランス人には認められるのだとしたら、それはアンフェアであるような気がする。

しかしそうした問題点を救っていたのが美奈子さんの演技だったと思う。残念ながら『ミス・サイゴン』の映像は今日に至るまでリリースされていないのだが、プロモーション用に一部の細切れの映像が公開されており、その中に美奈子さん演じるキムがトゥイのなきがらを抱きしめながら絶叫するシーンがある。この演技からは幼なじみの許婚をタムを守るためとはいえその手にかけてしまったキムの悲痛な思いが痛いほど伝わってくる。ライヴ録音盤のこの場面では群集のコーラスを引き裂くようにキムの泣き叫ぶ声が聴こえてくる。キムの内面の真実に迫るこの圧倒的な表現力は、ヘリコプターよりキャディラックよりこの劇の成功に与って力あったものと推察する。開幕にあたって「舞台では、演じないからね。生きるからね。強く生きてみせるからね」と抱負を語っていたという美奈子さんの面目はここに躍如しているといっていいだろう。


私はミュージカルのことは正直よくわからないので劇評はこのくらいにして、ここでは少しこの頃の思い出話を綴ってみる。ロックバンド“MINAKO wish WILD CATS”を解散してソロに戻ったものの人気低迷にあえいでいた頃、後に自身“ガケっぷち”と呼んだこの時期に、美奈子さんは『新説三億円事件』というTVドラマに出演している。実は私は当時たまたまこの放送を見ていた。決して彼女を目当てに見ようと思ったわけではなく、この歴史的事件に少し興味があったので何となく見ていたというだけのことだった。

美奈子さんは織田裕二さん演じる主人公の恋人役を演じていたのだが、この時の彼女ははっきり言って少しも輝いていなかった。そもそも恋愛を主題としたドラマではないのでこの役自体がどうでもいいような役だったのだ。歌のないセリフのみの演技には興味のなかった美奈子さんにとって、この役はおそらくやっつけ仕事のようなものでしかなかっただろう。かつてトップアイドルとして一世を風靡したあの美奈子さんが、このままブラウン管のお飾りのような存在になり果ててしまうのか、と思うと切なく胸が痛んだのを微かに覚えている。


その彼女がミュージカルの舞台で大活躍しているという評判を聞きつけたのがいつのことだったか、もう思い出すことができない。『ミス・サイゴン』公演の最中だったのか、ロングランを終えてしばらく経った頃だったのか…。いずれにしてもかつてのあこがれの人がやっと自分が輝ける場所を見出せたのを祝福したい気持ちになったのは確かだった。それでも彼女のことをそれ以上深く知ろうとは思わなかった。…それを今さら悔いるのはやめておきたい。誰だって自分の心を深く傷つけて去っていった人の消息がわかったからといって、敢えて追いかけて会いに行ったりはしないだろう。

「…マリリン」に幻滅して気持ちが離れてしまって以来、私は美奈子さんのことを忘れようとしていたし、時たま気まぐれに思い出すことがあっても、その思い出は注意深く元の場所にしまい込んでいた。美奈子さんは私にとってそんな存在だった。ミュージカルを見に行けば会えると知ったところでそれが何になろうか…。

美奈子さんもそれを責めるほど冷酷な人ではないと思う。いや、美奈子さんだって自分が人の心をどんなに傷つけたのか、少しは思い知るべきなのだ、などど少し意地悪く考えてみたりもする。あるいは舞台の上でエポニーヌを生きた美奈子さんなら私の気持ちも少しはわかってくれるだろうか。

今となってはもはや忘れようにも忘れられない存在となってしまったが、それも悲しい宿命として受け容れるしかないだろう。実際のところ、それがどれほどつらいことだとしても、今の私には美奈子さんを忘れてしまうなんてことの方が遥かに悲しいことなのだから。

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コメント

興味深く拝見しました。『ミス・サイゴン』の歌の中で、TVの追悼番組や追悼展では映像があまり流れなかった『サン・アンド・ムーン』を取り上げる所などsergaiさんらしくて良いですね。今度アンコール上映されるNHKアーカイブス川口のビデオ映像の中で、『ミス・サイゴン』を取り上げた当時のニュースが流れますが、その中で結構長い時間、映像が見れました。CDを聴かれただけでこれだけ書けるのもsergaiさんならではだと思います。『ミス・サイゴン』という劇は初演当時、ベトナムに対して偏見があるとか何とか色々批判されましたね。ついでに言うと『べトコン』は『南ベトナム解放民族戦線』の事でトゥイが所属したのは北ベトナム正規軍だと思います。なんか『べトコン』という略称自体、アメリカが使った蔑称らしいですがまあいいか。日本版は日本のスタッフの尽力で大分差別色が薄らいだらしいです。
それはともかく未だに『「…マリリン」に幻滅して気持ちが離れてしまって』とか言われているのはひっかかりますね。気持ちは分からないでもないですが、あまりに個人的すぎます。マリリンを作ったのは筒美京平氏と秋元康氏なので彼らを恨みましょう(笑)。sergaiさん個人のブログでsergaiさんが何を書こうが自由ですが、美奈子さんに関する事は美奈子さんのファンの人も多く読んでいると思うので。マリリン好きな人が辛いじゃない(笑)。それはともかく美奈子さんのファンの人も多くはいい歳した大人なので、自分個人の事より、どうしたら美奈子さんの事と彼女の歌をより若い世代に正しく伝えられるか、を考えて実践する時期にきていると思いますけど。まあsergaiさんはwikiのご執筆やこのBlogなどでそれなりに実践されているとは思いますけど。

-> ケイさん

「命をあげよう」はあまりにもよく語られているので、今回は敢えて「サン・アンド・ムーン」をテーマに選んでみました。「命をあげよう」についてはまた別の機会に、ということにしたいと思います。

異文化の社会をフィクションで描くというのはなかなか難しいもののようですね。『ミス・サイゴン』の元になったと言われる『蝶々夫人』にしたって結構ひどいものです。作者に悪意はなくても違和感を以て受け取られてしまうということも多いのかも知れません。“ベトコン”というのは一種の差別語でしょうが、あの時代のヴェトナムの姿をありのままに描くために敢えてこうした言葉を用いる、というのはあってもいいと思います。

ただこの劇におけるトゥイの造型は何とも平面的で、それがドラマの構成自体を弱いものにしてしまっているのは実に惜しまれます。もしトゥイの歌う歌詞に、愛する幼なじみのキムと離れ離れになってしまった悲しみとか、やっと見つけたと思ったらクリスに奪われていた悔しさとか、キムへの愛を暴力的な言葉によってしか表現できない自分へのいら立ち、といったような感情が盛り込まれていればもっと遥かに深みのある劇になったはずです。でも短い映像からも十分に窺うことができる美奈子さんの演技力にはかなり救われていると思います。


Wikipediaやほかのファンの方が管理されているサイトはともかく、ここは私の個人的な感慨を記すためのスペースなので、内容が個人的であるのはご容赦下さい。私個人の感想はどうあれ、「…マリリン」をはじめとするアイドル時代の楽曲が好きだという方がいても何らおかしなことではないし、私としてもそういう感じ方を尊重するつもりです。ですから「…マリリン」がお好きな方はその方なりに「…マリリン」の素晴らしさについて熱く語っていただけばいいのではないでしょうか。

私としては美奈子さんを心から愛しているからこそ嘘偽りのない言葉で美奈子さんへの愛を語っていたいのです。たとえ私がここで美奈子さんの「…マリリン」などのアイドル時代の楽曲について取り繕ったように語ってみたところで、そんな言葉が若い人の心に届くはずはありません。ですから美奈子さんのアイドル時代の楽曲について衆知を計るのは自分のやるべきことではないと考えています。それはやはりデビュー以来20年に亙って美奈子さんを応援してこられた古参のファンの方々にやっていただくのがよろしいのではないでしょうか。Wikipediaに関してもアイドル時代のアルバムやシングルの項目はいずれもスタブ状態なので、美奈子さんのアイドル時代の楽曲の魅力を熟知している方に加筆していただけないものか、と考えているところです。

sergaiさん、今晩は。
トゥイの設定に関しては仰る通りだと思いますが、役者さんが単なる悪役にならないよう、健気に演じて、歌もしっかりしているのが救いといえば救いです。まあベトナムではこの作品は未だに嫌われていて上演できないそうです。しかしsergaiさんが上演地域から遠く離れているならともかく見に行ける距離なら、一度は見に行かれた方が良いと思いますね。美奈子さんの再演はもうありませんが、見た後で美奈子さん出演のCDを改めて聴くと、より情景が目に浮かびやすいですから。
マリリン以降の話は、あまり厳しくならないようにぼかして書いたら大分誤解されてしまったようなので改めて言い直しますが、sergaiさんの気持ちの歴史は事実そうなんでしょうからそれを淡々と述回されるのは仕方ないとして、良くないのはイメチェンした美奈子さんの方が悪いみたいに書かれている所ですね。あまりに自己中心的すぎます。エポニーヌに共感出来るのはマリウスにずっと寄り添って彼の言うとおりにしていたのに気持ちが分かって貰えない所な訳です。sergaiさんが例えば美奈子さんのデビューからTemptationまでなら追っかけをしていて、マリリンに変貌した際に「あなたにはマリリンは合ってないから路線を戻して」とファンレターを送ったけれど無視された、とかいうのでしたらエポニーヌに近いものも感じられますが、失礼ですがそういう訳ではなく、単にTVを見ていて心魅かれていただけなんですよね。それだけで対象の歌手がイメチェンして心が離れたら対象の歌手の方が悪い、なんて言っても同情出来ません。もし美奈子さんが生きておられたら「sergaiさんの気持ちなんか分かる必要はありませんよ!」と言ってあげたい位です。シビアに言ってsergaiさんの方が人の本質を見抜く目を持っていなかっただけです。でも、その頃はsergaiさんもまだ若かったんだからそれも仕方がないというものです。
或いは、もしどうしてもマリリンが悪いというに拘りたいのであれば、いかにそれまでと比べて良くなかったかを客観的説得力を持って批評的に書けば良いだけの話です。
sergaiさんは音楽に対して知識も豊富で、美奈子さんの音楽に対しても、ずっぽり入り込んで感情的になってしまう一部のファンの人達とまた違った、かといって初めから冷たい訳ではない、ある種客観的評価が出来る方(そういう方の批評文も必要だと思いました)だと思ったので、当該の文も9割は良いのに最後の1割で台無しになってしまっていて勿体無いだけだと思いましたのであえて厳しい事を書かせて頂きました。
まあとにかく期待しておりますので、ある意味私の書いた事なんて気にしないでこれからも好きに色々書かれて下さい(^^)。

-> ケイさん

私は美奈子さんについて、自己中心的でないこと、誰かほかの人の意見を代弁するようなことを述べるつもりはありません。私は誰に同情してもらうためでもなく、美奈子さんにも自分の心にも真っ直ぐに向き合うためにこうして駄文を書き連ねているのであって、それを人に採点してもらう必要はありませんし、まして厳しく指導していただく必要もありません。

「…マリリン」の客観的評価など私には与り知らぬことです(そもそも音楽に“客観的評価”などというものが存在し得るのかよくわかりませんが)。私にはただ、自分は好きになれなかったし、これからも好きにはならないだろう、ということが言えるだけです。もちろん、それについて美奈子さんに非難される点があるはずはありません。美奈子さんには歌手として自己を表現するために「…マリリン」を歌う自由があるのですから。そしてそれと同様に私にはそのことに傷つき、怨嗟の念に悶え苦しむ自由があるのです。

美奈子さんにあこがれた思い出と「…マリリン」への深い幻滅との間でうまく折り合いをつけることは私が独力で解決しなければならない個人的な問題であり、人に教えて導いてもらうわけにもいかないし、指図を受けることでもありません。その過程で吐き出される私の独白がお気に召さなければ「愛する人が自分の望むのとはあまりに懸け離れた姿に変貌を遂げるという悲劇に見舞われた人物がいかに滑稽な存在になり得るか」というテストケースとして笑いとばしていただけばいいだけのことで、わざわざ頼まれもしない指南役を買って出ていただくには及びません。

sergaiさん、今晩は。
まず、ブログの主であるsergaiさんの文に対してかなり否定的なコメントを付けたのに、それに対して削除せず丁寧にコメント返しをして下さった事を感謝します。
その上でまたコメント返しをさせて頂きます。(また長文で済みません。)
ただ自分が書きたい事を書くだけなら、別にネット上で公開するブログという手段を取る必要は無い訳です。ブログという手段を取る原因には「自分の事や自分の気持ち、考えを不特定多数の人達に伝えたい」という願望がある訳です。更にコメントが付けられる機能によって、その読者からもそのブログに対する反応が作者に伝わるように出来ています。
『私は誰に同情してもらうためでもなく、美奈子さんにも自分の心にも真っ直ぐに向き合うためにこうして駄文を書き連ねている』というのは本当の事だと思います。しかしそれだけなら別にネット上のブログという形を取らなくても良い訳です。何故ブログという形を取っているかを考えてみて下さい。
何が言いたいかと言うと、必ずしもその書かれたブログの文に対して肯定的な反応が返るとは限らない、という事です。つまり私はsergaiさんの文に対し部分的に否定的な反応をしただけです。別に指導や指南をしたつもりはありません。思った事を書いただけです。読者側には否定的反応をする権利も自由もあります。
また究極的に言うと、総て人の心を通して発せられるものに関して、『客観』なものはありえません。総て主観となってしまいます。しかし、どうせ自己中心で主観だ、と居直ってしまったものとそうでないものとでは自ずから結果が違ってきます。
sergaiさんのブログを開設当初から読んできましたが、ちゃんと自分の趣味や思い入れはそれはそれとして切り離して、美奈子さんに関しても良くないと思う所はちゃんとそう書いていて、ああ客観的に物事が見れてそういう批評文が書ける人なんだなあ、と思ってました。sergaiさんにそのつもりはなくてもそう見えてしまう事はある、という事です。
美奈子さんに関して言うと、美奈子さんのコンサートやライブに行った事のあるファンの人が良く言う事に「美奈子さんの本当の良さはコンサートやライブに行かないと分からない」というのがあります。これは本当の事だと思います。しかし、これは他の音楽家さんに関しても言える事の上、美奈子さんがもう居ないのでそれを新たに体験させる事は出来ず、思い出話としては良いのですが行った事のない一般の人や若い人に対して今一説得力に欠けます。なので本当に美奈子さんの良さを分かり易く伝えたいなら、現状で視聴可能なものを例に出して語ることだと思います(別にsergaiさんにそれをやれと言っているのではありませんが、結果としてsergaiさんはそれをやっている事になると思います。)。
私の前回の文は、私の願望をsergaiさんに対してある種のカタチを押し付けているようにも読めてしまう事は認めますので、それはそういうつもりは無いと訂正させて頂きます。
sergaiさんのブログですが、最初の方でマリリンやTemptationに関して色々書かれているのも読んでいます。その時は私はコメントしてませんが今読んでも特に問題ないというか、別に全部に共感する訳ではないですが、無理にコメントする程でもないという感じです。勿論、美奈子さんに感謝を込めている所には感動しますし、個人的な思いだけでなく結構客観的な批評もされているように感じます。まあ、今ちょっと別の感想を書けば、私の周り(当時の会社)は割と美奈子さんに好感を持ってる人が多かったので私は幸運だったな、という事と、やっぱり秋元康氏が総ての元凶(彼自身、ある雑誌で美奈子さんの事を「やっぱりアイドル」と本音を漏らしていた)かなあ、とちょっぴり思う位です。
美奈子さんのアイドル時代にコンサートに行った人には、他のアイドルのコンサートにも行っていて、単に話題のアイドルだから行ったので、今はもう殆ど覚えていないという人もいて、そういう人は単なる昔の思い出として心の中に閉まっているだけなので、そういう方に比べたらsergaiさんはブラウン管を通じてだけだったとはいえ強く美奈子さんをずっと思っていると言えると思います。
今回否定的なコメントしたのは、特にエポニーヌの例えに引っかかったからだと思います。改めて読むと一種の例え話として書いているだけなのに私がやや過剰反応したかな、という気はします。
そんな訳で繰り返しになりますが、これからも私の書いた事は「こういう反応もあるのだ」位に考えて、今まで通りにご自分の考えに従って書かれて下さい。内容に同感すればそのようにコメントするかもしれませんし、違うと感じたらまたそのようにコメントするかもしれません。
と言っても私のコメントが原因でブログを閉鎖されたら悲しいので否定的なコメントはなるだけ控えるようにしたいと思いますが。。(汗)。

-> ケイさん

寄せていただいたコメントはスパムや明らかな嫌がらせ、ブラウザの操作ミスによる誤投稿のようなもの以外は原則として削除しません。こうやってコメント欄をオープンにしている以上は自分が書いたものへの否定的なレスポンスもあるだろうということも想定しています。むしろ現在のところ開設した当初に想定していたよりもそういうものが少ないことにいささか拍子抜けしているくらいです。

ただ先日のケイさんのコメントは「…マリリン」についての私の感じ方を改める必要性を指摘するかのような内容でしたので、批判的な意見として受け容れられるものではないと思わざるを得ませんでした。「…マリリン」については私にはあまりに強烈な思い出があるので、この曲の適切な批評をするのは自分には不可能だと考えてきました。ですから私はこれまでこの曲に関しては曲自体の善し悪しについての判断は留保した上で、自分は好きになれなかった、ということを述べるにとどめてきています。

明確な事実誤認だとか論理的な不整合といったことならともかく、こういう感じ方の問題というのは全く人それぞれなので、それについて批判を受けるのは本意ではありません。またそのことで私が美奈子さんに怨みがましい感情を抱くのは不可避なことであり、そうした複雑な心情を自分の中で整理することこそがこのサイトを開設したそもそもの目的の一つなのですから、それを“自己中心的”と批判するのは意味のないことです。ですのでケイさんのご意見が長年ファンを続けてこられた方からの貴重なものであるとしても到底受け容れることはできない、と思ったのですが…。

どうも意見の齟齬の原因は私がエポニーヌの比喩を持ち出したことにあるようですね。正直私は『レ・ミゼラブル』の筋はよく理解していなくて、単に美奈子さんが悲恋に泣く人の心情も理解できる人だったであろうと推定できる根拠として引き合いに出してみただけなのです。また美奈子さんのミュージカルでの演技について論じたこの稿の文脈ではそれが都合がよかったということもありました。しかし実際に美奈子さんの演じるエポニーヌの姿をご覧になった経験のある方からすると違和感のあるものだったでしょうかね。正直ちょっと安易な発想だったかな、とは思います。まあ今さら直すのも大変な作業なのでこのままにしておきますが…。


私も自分の書いたものが非のうちどころのない完璧なものだなどとは全く考えていませんので、コメントは批判的なものも含めて歓迎します。ちょっとやそっとそういうコメントが集中したからといってこのサイトを閉鎖する考えはありません。ただ個人的な好き嫌いについての意見の応酬はあまり建設的な議論にならないと思うので、例えば「…マリリン」についての私の記述に違和感があれば、「自分はこの曲のこんなところが素晴らしいと思った」とか、「美奈子さんのアイドル時代の楽曲にはこんな魅力もあるんだよ」といったようなコメントをしていただいた方がお互い気持ちよく意見の交換ができると思います。

「美奈子さんの本当の良さはコンサートやライブに行かないと分からない」というのはきっとそうなんだろうな、と思います。生前に東京文化会舘でのコンサートの広告を新聞で見て「行きたいな」という思いが頭をかすめたのを少しの痛みとともに思い出します。過去の心の傷を乗り越えて一歩踏み出す勇気が私には欠けていました…。しかし残された音源を通してという形であれ、美奈子さんは自分の歌に接してもらえることを望んでいるでしょうから、せめて今からでも大切に聴いていくよりほかはないと思っているところです。

sergaiさん、誠実な返信をありがとうございます。
う〜んそうですね、何というか、sergaiさんがマリリンで気持ちが離れてしまって、その後ミュージカルで成功しても見に行く程の気持ちになれなかったという感情が、sergaiさんの文から痛い程読者に伝わってくるのですよね。sergaiさんの文章が上手だから。で、その後の『美奈子さんだって自分が人の心をどんなに傷つけたのか、少しは思い知るべきなのだ』からが引っかかってしまったんだと思います。でもこれもしょうがないですよね。だからやっぱり私が過剰反応したのだと思います。。m()m。
今回は「サン・アンド・ムーン」について書かれててるのでちょっと脱線が過ぎたか、という気もしますがこれも話の流れでしょうがないかな、という気はします。
ただ、ちょっとくどいですが、「この部分(自分の内的感情の部分?)には批判的コメントをされたくない」と言いたくなる気持ちは分かりますが、それを事前に完全に防ぐのは、コメントされる事を許している以上無理だと思います。ブログを読む側には、そのブログ文の、コメントして良い部分と良くない部分の区別は、想像でしかつかないのですから。ですからそういう部分に批判的コメントをされていたら、反論するか受け流すかしていちいち対応するしかないと思います。面倒だとは思いますが。

美奈子さんの最大のヒット曲がマリリンだったのは彼女にとって不幸だったのでは・・・という様な意見は、美奈子さんの長年のファンの方やアイドルポップスファンの方からも良く聞かれます。なので、最初に自分が書いたことと真逆になるかもしれませんが、sergaiさんがマリリン幻滅して云々、という自分史を書かれる事や、好き嫌いを予め明確にしておくのも全く問題が無いと思います。
sergaiさんのマリリンに対する文は、約2年前に書かれたあれで充分だと思います。他の多くの文もそうですが、ご自分の思いの歴史や好き嫌いの部分と、それとは別に論理的に批評している部分が分かり易く分かれていて、感心します。単なる楽曲の批評や感想なんて、アマゾンのレビューでも見れば良いので、それこそ無理に取り繕ったような批評文などブログで書く必要も無いと思います。
しかし、何と言っても歴史は変えられません。美奈子さんのご逝去によって、あの歌の売り上げを超えるシングル新曲を美奈子さんが新たにリリースされる可能性は無くなってしまいました。切ないですが、こうなってしまった以上、ただただご生前の美奈子さんの頑張りを、それが自分の嫌いな方向への転換の部分があっても、総て讃えるしかないんだろうな、と自分としては思うのです(勿論これはsergaiさんのブログのスタンスを変えてと言っている訳ではないのですよ。あくまで自分が掲示板等に書く時は、です。)。
なんだか支離滅裂になってしまったかもしれませんが、これからも私がsergaiさんのブログの読者である事には変わりありません。美奈子さんの歌は沢山あるので、月ーで書かれていても恐らく何十年も持つでしょう。個人的には『殺意のバカンス』、『好きと言いなさい』についてどう書かれるかが興味あります。楽しみにしております。

-> ケイさん

「少し意地悪く考えてみたりもする」といったようなくだりはこういういい方が修辞法としても効果的だと思ったので敢えて書いたのですが、すんなり呑み込んでいただけなかったのだとすればそれは見込み違いだったのでしょうね。もう少し私に文章力があればいいたいことがうまく伝えられたのかも知れません。

「こうなってしまった以上、ただただご生前の美奈子さんの頑張りを、それが自分の嫌いな方向への転換の部分があっても、総て讃えるしかないんだろうな」というのは多分その方が真っ当な考え方なんだと思います。実際ほとんどの美奈子ファンの方はそういうスタンスだし、そうやって美奈子さんについて語るのを私としても応援したい気持ちです。ただ自分の性分としては偉大な歌手だからといって無闇に神格化せず、生身の一人の女性として慕っていきたいので、これからも時には恨みつらみもぶちまけながら語っていく所存です。


ファン歴に大きなブランクがあってろくな知識があるわけでもない私のサイトをケイさんのような古くからのファンの方に閲覧していただいているのは大変光栄です。ただこの月命日ごとの投稿はネタがなくなったり月一回の更新が負担になったりしたらいつでもやめるつもりでいるので予めご承知おき下さい(もちろんその場合でも美奈子さんの歌を大切に聴いていくこと自体は変わらないし、不定期の更新になっても感想を語るのは続けていくでしょうけど)。

今のところまだ書きたいことに不自由はしていませんが、「殺意のバカンス」や「好きと言いなさい」については当時のことをもうあまり覚えていないので残念ながら優先順位はかなり低い、かな。^ ^ それでもよろしければご笑覧下さい。

-> sergaiさん
私も無闇な神格化には反対です。ついでに言うと、現在のBMIの美奈子さんの扱い方にも疑問はあります。でもこの話はsergaiさんの最初の日記の内容から大きく脱線した雑談となるので、また機会がありましたら。。。それでは。

-> ケイさん

BMIさんとしては看板の所属アーティストを喪ってしまって本当に大変だと思いますが、美奈子さんの功績の賞揚に尽力していただきたいですね。BOSSさんのご健勝を祈るばかりです。

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