「ソルヴェイグの歌」

2008年10月 6日

日本語詞:岩谷時子 作詞:ヘンリク・イプセン 作曲:エドヴァルド・グリーグ 編曲:井上鑑
アルバム「」COCQ-83683(2004.11.25)所収。

数日前から金木犀がいよいよ匂い始め、日が沈むのも早くなり秋も深まりつつあることが感じられる。今回はそんな秋の夜長にしんみりと聴き入るのに相応しい曲を、と思い「ソルヴェイグの歌」を取り上げることにした。ノルウェーの作曲家、エドヴァルド・グリーグヘンリク・イプセンの劇詩『ペール・ギュント』のために作曲した劇付随音楽の中の一曲である。

ペール・ギュントはノルウェーの伝説に登場する人物で、実在の人物がモデルになっているらしい。奔放な放浪生活を送った末に故郷に帰り恋人の元で息を引き取るという破天荒な物語を、イプセンは上演を前提としない物語詩として執筆した。イプセンは後にこの物語を実際に上演するにあたって同郷の作曲家であるグリーグに劇付随音楽の作曲を委嘱した。こうした経緯で完成されたのが劇付随音楽としての『ペール・ギュント』である。後にこの中から8曲を選んで二つの組曲に編曲されている。

イプセンの劇が自然主義的な筆致で描かれているのに対し、音楽の方は本質的にロマンティックな作風を示しているために劇の内容との乖離が指摘されてもきたようだ。しかしそれはそれとしてここに盛り込まれた楽想の愛らしさはグリーグならではのものであり、音楽自体はグリーグを代表する傑作と称して差し支えないだろう。現在ではピアノ協奏曲と並んで最も人気のあるグリーグの作品の一つとなっている。ことに「朝のすがすがしさ」や「ソルヴェイグの歌」はクラシック・ファンの枠を越えて広く親しまれている名曲である。


ソルヴェイグの歌」は恋人のソルヴェイグ(“ソールヴェイ”という表記が原語の発音に近いらしいがここでは慣例に従っておく)が放浪を重ねるペールを嘆きつつ、いつまでも待ち続けるという決意を歌った歌である。その悲しげな旋律は彼女の健気な決心を物語るかのようである。元の劇付随音楽としては独唱を伴うのだが、組曲として編曲された版では器楽曲として演奏されるようになっている。歌詞は本来はノルウェー語なのだが実際にはドイツ語など他の言語で歌われることが多いようだ。

本田美奈子さんはクラシック・アルバムとしては二作目となるアルバム「」でこの歌を歌っている。ペールへの献身的な愛を歌うこの歌は美奈子さんの琴線にふれるところがあったのだろう。日本語詞はもちろん岩谷時子さんである。

実はこの曲に関しては美奈子さんの歌ったもののほかにもう一つ愛聴している音源がある。ここではそれと聴き比べながら感想を述べてみたい。それは私のお気に入りの女性歌手、メイヴさんのデビュー・アルバムに収録されたものである。メイヴさんは主にケルト系の楽曲を中心に歌っているアイルランド出身の歌手なのだが、自身の名を冠したデビュー・アルバム「méav」にはこの「ソルヴェイグの歌」が収録されている。ノルウェーとアイルランドは音楽文化の面で互いに通じ合うところもあるようで、これは余談になるが彼女も参加したケルティック・ウーマンの歌唱によって日本でも広く知られるようになった「ユー・レイズ・ミー・アップ」も元々はノルウェー人とアイルランド人の二人組、シークレット・ガーデンの作品だった。


メイヴさんは私には奇跡としか思えないほど美しい声の持ち主で、この歌の歌唱でもそののびやかな声を存分に響かせている。ヴィブラートを抑えめにした発声によるその清楚な歌声からは透明な悲しみのようなものが感じられる。それは生身の女性が抱く悲しみというよりは何か天上的とでもいうべき清澄な響きとなって聴こえてくるのだ。

一方美奈子さんはそれに比べると恋人の帰りを待ち侘びる女性の悲しみをよりドラマティックに歌い上げている。ヴィブラートを効かせた発声や歌い回しの抑揚のつけ方には劇的な迫力が宿っている。こういうところはやはりミュージカルの舞台で場数を踏んできた美奈子さんならではの個性なのだろう。

岩谷さんの詞がまた簡素な言葉の中にも生身の女性の痛切な悲しみを表現している。メイヴさんの歌っている英語詞が待つ身の女性のつらさを過ぎ行く季節に托して歌ったやや抽象的な内容であるのに対し、岩谷さんの詞はヒロインの心身に根ざした嘆きの歌となっているのだ。こうした詞の性質の違いは歌にもそのまま反映されている。それは二人の言葉に対する豊かな感受性の表れでもあるのだと思う。

ヴォカリーズの部分の歌い回しが両者で微妙に異なっているのも興味深いとこるである。このヴォカリーズ部の細かい音符をメイヴさんが旋律として平板に歌っているのに対し、美奈子さんは幾分技巧的に音を転がすようにして歌っているのだ。美奈子さんはおそらくこうした箇所を一種の装飾音符のように解釈していたのではないかと思う。こうした歌い回しは聴き手の耳に幻惑的な効果を伴って響いてくる。


両者に共通しているのはともに伴奏として木管楽器がフィーチャーされていることである。メイヴさんの歌にはデイヴィッド・アグニューさんによるオーボエが温かみを添えている。このオーボエ独特の朴訥とした音色にはノスタルジックな感慨をかき立てられる。キーを押さえる指の音まで聴き取れる優秀な録音もうれしい。

一方美奈子さんの歌は山本拓夫さんのソプラノ・サックスの華やかな響きによって彩られている(意外に思う人も多いかも知れないがサックスは木管楽器に分類される)。両者ともにヴォーカルとソロ楽器の編曲の組み立て方が共通の発想に基づいているのがおもしろいところである。アイルランドの民俗音楽に根ざした活動を行っているアグニューさんの演奏はけれん味のない素朴な味わいだが、サザンオールスターズなどのサポートを行ってきた山本さんのサックスはジャズ風の洒脱なセンスが感じられる演奏になっている。


この二つの音源は私にとってはいずれ劣らぬ愛すべき歌唱で、こうした贅沢な聴き比べができる幸せを思わずにはいられない。実を言うと私は先に入手して聴き込んでいたメイヴさんの録音があまりにも素晴らしかったので、この曲についてはもうほかの音源は要らないと思っていたくらいだった。しかしこうしてあらためて双方を聴いてみると安易な限定をして自分の嗜好を狭めてしまうものではないな、と思い知らされる。この素晴らしい歌唱のどちらがより優れているかなどという野暮なことは考えず、これからもそれぞれの魅力に酔いながら聴いていきたいものである。

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