「Lovin’ You」再び

2009年8月 6日

作詞・作曲:Minnie Riperton & Richard Rudolph 編曲:ボブ佐久間
アルバム「心を込めて…」(2006.04.20)所収。

先頃本田美奈子さんの歌う「Lovin’ You」を聴いた感想を記したのだが、その際音源の持ち合わせがなかったこともありオリジナルのミニー・リパートンによる歌唱は敢えて聴かずに書いた。もちろん、現在の発達したネット社会では聴こうと思えば聴けてしまうことは承知していたが、そのような方法で聴いた体験に依存して文章を書くことにはためらいがあったし、また自分のPCでの再生環境にあまり自信がないので、そうした条件で聴き比べをすることにも抵抗があった。しかし最近になって調べ物の序でにウェブ上に転がっていたものを聴いてみて、以前書いた時とかなり認識が変わってきた。そこでこの曲の感想をもう一度記してみることにする。


ミニーの歌唱を実際に聴いてみると、彼女はかなり濃密に表情をつけて歌っていた。「And every time that we」の後などはやや色っぽい吐息をもらしているし、「La la la...」のスキャットの部分は通常フラットなリズムで歌われるので譜面上はそうなっているのだろうが、ミニーは適宜符点付きのリズムに変えて歌ってみせたりもしている。この歌は実にいろいろな機会に耳にするので、あらためてオリジナルを聴いてみたからといって特に新たな発見はないだろうと思っていたので、このことは私には新鮮な驚きだった。どうやら私のこの歌に対する印象はミニー本人のものよりも、むしろ他の歌手によるカヴァーによって形作られるところが大きかったようだ。

そして重要なのは、それにも関わらず彼女の歌にはくどさや下品さを感じさせるところが少しもないということである。それは決して効果音として使用している鳥の鳴き声の効用によるばかりではない。明らかに彼女自身が“情感豊かな歌唱”と“くどい表現”との境界を正確に見極める審美眼を備えていたからこそそうなっているのだ。彼女はきっと、そうした感覚をおそらくは後付けの知恵としてではなく、天性の勘として身につけていたのだろう。さらにいえば、それは彼女の人柄や音楽的な感性の表れであり、また聴衆と真摯に向き合いつつも決して媚びることのない、彼女の音楽に取り組む姿勢の為せる業でもあるのだと思う。

正確に何と呼べばいいのかよくわからないのだが、いわゆる“フラジオレット・ヴォイス”の使いこなしの見事さも特筆すべきである。彼女は得意とするこの独特の発声をこれ見よがしに誇示するのではなく、歌の中でのアクセントとして効果的に使用することに成功している。これもまた実に稀有な資質だと思う。

ミニー・リパートンというと私は“「Lovin’ You」のオリジナル歌手”という程度の認識しかなかったのだが、実際に聴いてみてその素晴らしい力量に感服させられた。これほどの歌手がわずか31歳で亡くなったという運命の苛酷さにもあらためて慨嘆する思いである。もしこの人がもう少し長く生きることができていたら、「Lovin’ You」一曲にとどまらず数多くの名曲、名演を残してくれたに違いなく、そして彼女の名は専らこの曲とのみ結びつけられて記憶されるのではなく、20世紀後半を代表する歌手の一人として称えられたであろうことを思うと、そのあまりにも早い逝去が惜しまれてならない。


さて、そうした認識の下に美奈子さんの歌唱を振り返ってみると、美奈子さんは決して突飛なアイディアとしてこうした解釈を思いついたわけではなく、オリジナルのミニーの歌唱をかなり忠実に再現しようとしていたことがわかる。あの吐息混じりの妖艶な歌唱は美奈子さんなりのミニーへのオマージュでもあったわけだ。しかし悲しいかな、ミニーには備わっていた節度の感覚が、美奈子さんには決定的に欠如していた。美奈子さんの歌唱はミニーが決して踏み込もうとはしなかった一線を明らかに越えてしまっている。

スキャットの後にヴォカリーズで聴かせるソプラノ・ヴォイスも、ミニーのあの独特のフラジオレット・ヴォイスを意識したものであるようだ。しかしミニーのそれが曲の中に無理なく自然に納まっているのに対し、美奈子さんの場合は他の部分との相違が際立っていて、どこか場違いな印象を受けてしまう。

総じていうと、前回は「美奈子さん独自の解釈は失敗に終わった」というような論調になってしまったが、この歌唱はミニーの名人芸に近づこうとする意欲的な挑戦として評価することはできると思い直した。しかし、美奈子さんのファンとしてこういうことをいうのはいかがなものかという気もするのだけど、この挑戦は結果的にミニーの歌の世界は余人がおいそれと再現できるようなものではないということを証明するものとなってしまっているように思われる。技術的には表面をうまくなぞれているように見えるのに、そこに描かれた音楽世界は元のものとは全く別のものになっているというのは実に不思議なことで、つくづく音楽というのは奥が深いものだと感じさせられる。

なお序でにいうと、前回は今井美樹さんによるカヴァーについて“正当な解釈”という言い方をしたが、むしろ美樹さんがミニーの歌唱にとらわれずにこの曲を自分に引きつけて解釈し、それによって成功を収めたものととらえた方がいいようだ。それでいながら結果として描かれた世界観はミニーのものとよく調和しているというのは、美樹さんの非凡なセンスを証明するものだと思う。


前回の文章を書いた時には、もしこの二人があちらの世界で会うことがあればどんな会話を交わすのか全く想像できなかったのだが、今は何となくわかる気がする。美奈子さんはおそらく「あなたの歌の世界を再現しようと努力してみたけどうまくできませんでした」と報告し、それに対してミニーは「私の真似をしようとせずに自分の好きなように歌ってご覧なさい」とアドヴァイスするのではないだろうか。今私の脳裏にはそんな光景が思い浮かんでいる。

そしてもし現実に美奈子さんがこの曲をもう一度歌う機会があったら、必然的にそうしていただろうと思う。この録音が行われたのは90年代の半ば頃のはずで、美奈子さんとしては腕試しとしてミニーの名人芸に挑んでみた、というのがこの歌唱の意義だったのだろう。美奈子さんがもっと自分の技量に自信を得てからであれば、肩の力を抜いた自分なりの相応しい歌い方を見出していたことだろう。実際、前回にも述べたようにこの録音の中でも最後のスキャットの部分はミニーのオリジナルにはなかったもので、ここは実に全く申し分のない美しさなのである。

私としてはそうした美奈子さん独自の歌唱の中から自然に滲み出してくるそこはかとない色香をこそ玩味したかったところだが、これは今となっては叶わない夢である。あるいはあの世へ行ってからのお楽しみとでもいうべきか…。

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コメント

こちらを読ませていただきました。で、繰り返しになりますが、私は本田美奈子さんのこの曲の歌唱を聴いてませんが、やはりあなたさまの文章によれば、私の想像どおり、本田さんは、ミニーの「コピー」を目指してたということのようです。
私はこの曲をミニーのオリジナルで知ったものですから、所詮後にでてくる人たちはモノマネないしカバーにすぎません。それは単に歌唱力の問題ではないと思います。別のところで示唆したように、私が最も好きなポピュラー歌手はバーブラ・ストライサンドなんですけど、たとえ彼女のような実力をもってしても、この曲に限ってはミニーには勝てないと思います(バーブラはさすがにカバーしてないと思いますが)。そうであれば、カバーは「モノマネ」でなく、ミニーにないもので勝負しなければなりません。ミニーになくて今井さんにあるものは、リスナーに対してまったく負担を感じさせない声質の「透明さ」「軽さ」でしょう。ですから、その道を選んだ今井さんの勝利なのです。

で、私も今井さんの古くからのファンなんですけど、布袋作品にはちょっと(かなり)違和感を感じていましたが、最近の彼女の作品からは布袋氏は完全に手を引いており、作風が昔の上田・柿原ラインに戻ってきた感じがします。もし同じような理由であなたさまが遠ざけているのなら、一度最近の作品をお聞きになったらいかがでしょう?さすがにお年の影響なのか、昔のような「天井知らずな」透明感は薄れましたが、それでも凡百の歌手には出せない美声だと思います。

-> mさん

前にも述べましたが今井美樹さんによるこの曲のカヴァーは自身の特徴を生かした実に見事なものだと思います。私は後からミニーのオリジナルを知ったので、こちらの方がむしろ耳に馴染んでいます。

私も布袋寅泰さんがプロデュースを手がけるようになってからやや陳腐な方向に流れてしまって、彼女の魅力がかなり失われてしまったな、という印象を抱いています(BOØWYの音楽はとても好きなのですけど)。最近では『SONGS』で川江美奈子さんの作品などを聴いてかなり以前の感じに戻ってきたように感じたのですが、やはりどうしても往年の名曲群と比べると今一つかな、と思ってしまいます。

まあ年齢とともに身体的な条件も当然変わってきているでしょうし、いろいろな人生経験を積んだことで内面にも変化が起きていて、そうしたことを反映しながら常に新たな道を模索されているのでしょうから、いつまでも過去の幻影を追いかけていてはいけないのでしょうけれども。もちろん、全く気持ちが離れてしまったというわけでは決してないので、これからも注目して見ていきたい歌手の一人であることにかわりはありません。

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