クルト・ザンデルリングさんのラフマニノフ交響曲第2番

2009年10月22日

前回のエントリーからすっかり時間が経過してしまったが、クルト・ザンデルリングさんのことを知るきっかけとなったラフマニノフ作品の演奏について、私なりの感想を述べてみたい。


私がこの指揮者のことを知ったのはフィルハーモニア管弦楽団と共演したラフマニノフ交響曲第2番の録音によってだった。まだクラシック音楽を聴き始めて間もない頃のことだったが、最初にこの作曲家の協奏曲を聴いて感銘を受け、交響曲の方も近年人気と評価が高まっていると知り、ぜひとも聴いてみたいと思って手に取ったのがこのCDだった。これを選んだのは、廉価盤であることに加え、ザンデルリングさんが作曲家の母国であるロシア(当時はソヴィエト連邦という体制だったけれども)で活動した経歴のある指揮者であることに惹かれたというだけの理由だった。

彼の経歴だとかどんな指揮者なのかといった予備知識は全くない状態で聴いたのだが、作品はもちろん、演奏も実に素晴らしかったので、この指揮者はすっかり私のお気に入りになったのだった。この曲はその後いくつもの演奏を聴いてみたのだが、私にとっては未だにこの録音がベスト盤になっている。


この演奏の際立った特徴はまず何といってもその長さである。第1楽章ではかなりのスロー・テンポの上に提示部を楽譜の指示通り反復しているので、この楽章だけで26分もかかっている。全体の演奏時間は67分となり、ライナーノートの諸石幸生さんの解説によると「この作品の演奏時間としては過去最長のものと思われる」とのことである。

もちろん、こんな美しい曲ならいつまででも聴いていたいと思う私にとって、演奏時間が長いことは少しも苦にならない。むしろ少しでも長く聴いていられるのは有難いことである。こうしたテンポ感覚が自分にとても合っていることは、この指揮者の演奏を好きになった大きな理由の一つである。

そして、ゆったりとしたテンポで旋律を存分に歌わせながら、全体を堅固に構築して楽曲の構成を明確に提示してみせる手腕もまたこの指揮者の特徴である。驚異的なまでの長さとなっている第1楽章でも、長い序奏から二つの主題の提示、激しく盛り上がる展開部を経て優美な再現部へと至る全体の流れが確固としてまとめ上げられているので、冗長さを感じさせるところは全くない。

この楽章の提示部の第2主題の最後にはチェロが極めて美しい旋律を奏でるエピソード的な部分があるのだが、ザンデルリングさんはこの旋律を反復も加えて二度たっぷりと歌って聴かせてくれている。この提示部の反復は完全全曲版による演奏が定着した今日でも省略されることが多く、第2主題のチェロの旋律は再現部でも再現されないので、この旋律がとても好きな私としては長さを厭わずに提示部を反復してくれるザンデルリングさんのこの演奏は極めて貴重なものとなっている。

第2楽章のスケルツォ主題や終楽章の第1主題のように活気のあるにぎやかな主題でも、徒らに切迫感を煽り立てることなくどっしりと腰を据えて歩を進めて行く。こうした落ち着きは曲全体をより一層壮大に感じさせる効果を与えている。この録音を聴き慣れているので、私は他の演奏を聴くと速過ぎるように感じてしまうようになっている。

第3楽章に関しては他の演奏と比較して特に長いわけではなく、これよりも遅いテンポで長い時間をかけて演奏した録音もあるようだ。それはともかく、この有名な美しい旋律を豊かな情緒とともに香り高い風格を以て歌い上げる演奏は得難いものだと思う。静かな歌い出しで始まる中間部が次第に盛り上がりを見せ、それが最高潮に達したところで主部の再現へと至る音楽の流れを、ドラマティックでありながらも悠揚迫らぬテンポで自然な運びのうちに聴かせる手腕も実に見事である。

終楽章ではコーダの直前に、この楽章の第2主題に第2楽章の最後で提示された金管のコラールがかぶせられるという対位法的な手法が用いられているのだが、中にはこの部分の対位法の処理がやや曖昧になってしまっている演奏もあって、残念な思いをすることもある。しかしザンデルリングさんは対位法の効果を明瞭に浮かび上がらせながら、二つの旋律をこれ以上ないほどの雄大なスケールで壮麗に響かせて、この大曲の掉尾を飾るに相応しい感動的なクライマックスを築き上げている。


終楽章に一部カットがあるようなのだけど、楽譜の読めない私にはあまり気にはならない。カットの内容は伝統的に行われてきたものとは違っているようなので、過去の悪習を引き摺っているというよりは彼独自の見識に従ったものなのだと思われる。かつてはベートーヴェンの作品でさえ楽譜に手を加えて演奏することが普通に行われたのであって、ザンデルリングさんくらいの世代にとってはこうした態度は自然なことなのだろう。

それよりも重要なのは、彼がラフマニノフの交響曲を最も早い時期からレパートリーに採り入れていた指揮者の一人だということである。この曲はこれだけの内容を持つ作品でありながら、作曲者の没後しばらくは全く忘れ去られていた。今日のようなポピュラリティーを獲得したのは、ひとえにこの作品を熱い共感を以て演奏してきた指揮者たちの功績である。その中でも特にアンドレ・プレヴィンさんは完全全曲版を普及、定着させたことで名高いのだが、このザンデルリングさんも、この曲を忘却の闇から救い出した功労者として特筆すべき存在といえると思う。


この録音が行われたのは1989年の4月のことなのだが、諸石さんによるとザンデルリングさんはこの年の9月にベルリン・フィルと共演した際にもこの曲を取り上げたのだそうだ。ここで気になるのは、この共演が行われた時期である。というのも、このわずか二ヶ月後にはベルリンの壁の崩壊という歴史的な大事件が発生することになるからだ。

彼がベルリン・フィルの指揮台に立つようになったのがいつの頃からなのか、とか、どの程度頻繁に客演していたのか、といったようなことをよく知らないので何ともいえないのだが、このような微妙な時期にかつてベルリン響の首席指揮者を務めたザンデルリングさんがベルリン・フィルの指揮台に立ったということは、あるいは東西融和に向けた何らかの象徴的な意味合いも伴っていたのではないかとも推察される。たとえそうではなく単なる偶然だったのだとしても、こうした歴史の分岐点というべき時と場所に極めて近接したところで、そのことに関わりの深い人たちの共演が行われたというのは、とても意義深いことのように思われる。

そして、こうした機会に演奏する曲目としてこの作品を選んだということは、彼にとってこの曲がいかに大切な作品であるかを物語っているようにも思われるのだ。やや穿ち過ぎた見方かも知れないが、そう考えると何となくうれしい気持ちにもなってくる。


早いものであの歴史的事件から20年が経とうとし、ザンデルリングさんもすでに指揮活動から引退されている。今はご自身の歩んだ道のりを回顧しつつ、悠々自適の日々を過ごしておられるのだろう。

激動の20世紀とはよくいわれる言葉だが、彼はまさにそのただ中を生きた歴史の生き証人である。激しい時流のうねりに時に翻弄されながらも、芸術家として一徹に、そしてしなやかに生き抜いてきた彼の人生経験が、この演奏にも凝縮しているように感じられる。

この時彼は77歳、その年齢にしてこのようなみずみずしい叙情がこぼれ落ちんばかりの演奏を聴かせたことは、まさに驚異的というほかない。20世紀の音楽芸術が生み出した精華の一つとして、貴重な記録である。

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

管理者の承認後に反映されます。

http://vita-cantabile.org/mt/tb-vc/512

コメントを投稿

最新のコメント

author

author’s profile
ハンドルネーム
sergei
モットー
歌のある人生を♪
好きな歌手
本田美奈子さん、幸田浩子さんほか
好きなフィギュアスケーター
カタリーナ・ヴィットさん、荒川静香さんほか

最近のつぶやき

おすすめ

あわせて読みたい

Giorni Cantabili を読んでいる人はこんなブログも読んでいます。