「タイスの瞑想曲」
2010年3月 6日
本田美奈子さんはソプラノ歌手としてのデビュー・アルバム「AVE MARIA」に「タイスの瞑想曲」を収録している。原曲はフランスの作曲家、ジュール・マスネのオペラ『タイス』の中の間奏曲であり、ヴァイオリン独奏とオーケストラのための曲である。
この「タイスの瞑想曲」は当初から収録が予定されていたものではなかった。プロデューサーの岡野博行さんの公式サイトのアルバムジャケット撮影のレポートには収録予定曲が12曲紹介されているのだが、この中に「タイスの瞑想曲」の名が見えないことから、この曲は後から収録されることが決まったのがわかる。
このジャケット撮影が行われたのはこの年の3月5日から7日にかけてのことだったが、「タイスの瞑想曲」が収録されることになったのは、おそらくその二週間ほど後の3月19日にアメリカによるイラクへの攻撃が始まったことと関係している。美奈子さん自身が手がけた歌詞は戦争への反対と平和への祈りを主題としているのである。
ジャケット撮影の時点で他の収録曲は録音作業をほぼ終えていたはずだが、この「タイスの瞑想曲」はまだ作詞も編曲も行われていなかったものと考えられる。このアルバムの他の収録曲のほとんどには録音に参加したゲスト・ミュージシャンの名がクレジットされているのだが、「タイスの瞑想曲」には keyboard として編曲者の井上鑑さんの名前が記されているだけである。開戦を受けて急遽収録が決まり、5月21日の発売までに間に合わせるために急いで作業を行ったため、ゲスト・ミュージシャンを招いて録音を行うだけの時間的余裕を確保できなかったのだろう。井上さんが独力でできる範囲で仕上げたのがこの伴奏パートをなのだと思う。
そうした慌ただしさは美奈子さんの歌唱にも表れていて、この歌は他の収録曲にくらべると歌い回しが十分にこなれていないように感じられる。おそらくこの旋律を自分の中で咀嚼するに至らない状態で録音に臨まざるを得なかったのではないだろうか。尤もこの曲は元々は器楽曲として作曲されたもので、人が歌うにはあまりにも不向きな旋律だということも大きな要因だったと思う。この曲はソプラノ歌手の幸田浩子さんが去年発売したアルバム「カリヨン 幸田浩子〜愛と祈りを歌う」にも収録されているのだが、幸田さんにしてもやはりややかたい感じの歌い回しだった。
しかしそれはともかく、このクラシックの中でも指折りの名旋律を美奈子さんの美声によって聴くことができるのは、やはり格別の喜びである。平和への祈りというテーマ自体はミュージカル『ひめゆり』に出演して以来美奈子さんの中で熟成されてきたものだった。当時すでにアルバム制作は仕上げの段階に入っていたはずだが、美奈子さんとしては開戦の報を聞いて居ても立ってもいられなかったのだろう。急な思いつきから新たに曲を一つ仕上げてしまう行動力もまた美奈子さんらしいところだと思う。
人は無益な殺し合いを簡単にはやめることができない愚かな生き物で、あれから7年が経った今もおそらくイラクの人々は平穏とは程遠い日々を過ごしていることだろう。私自身も世界の惨状を目の当たりにしても何もすることができない愚かな存在の一人だが、せめてこの歌を聴きながら美奈子さんの歌声に世界の平和への祈りを重ね合わせたい。
コメント
sergeiさん今晩は。
『タイスの瞑想曲』・・・素敵な詞ですよね。。
美奈子さんの作詞能力だけとってみても、早世が惜しまれます。。
まあこんな事書いてもしょうがないとは分かっているのだけれど、、つい思ってしまいますよね。。
>せめてこの歌を聴きながら美奈子さんの歌声に世界の平和への祈りを重ね合わせたい。
御意。私達はとりあえずはただ聴かせて頂くだけです。。
-> ケイさん
本当に、もっとたくさんの美奈子さんの詞を鑑賞したかったです。私たちには美奈子さんの歌を聴いて自分の心を平和にすることしかできないんですけどね。