ゴーストライター問題について

2014年2月27日

世の中を騒然とさせた佐村河内守さんのゴーストライター問題、そろそろ騒ぎも沈静化してきているが、個人的な感慨をここに少し記しておきたい。何となく夜更しして特に目的もなく眺めていたツイッターのタイムラインに驚愕のニュースを見つけたのが2月4日の深夜(5日の未明)、これは大変なことになるとはその時直感したが、翌日以降の騒動の広がりは、私の当初の想像を遥かに超える規模だった。彼の音楽のファン層はクラシックの愛好家のうちでもやや限られた人たちなので、関心を持つのは一部の階層にとどまるだろうと思っていたのだ。しかし世の中はこの話題で持ち切りになり、NHKが特集を組んだりオリンピックが絡んだりといったことにもなると、単なる一音楽家のスキャンダルではすまなくなるのだと思い知った。

実は私は佐村河内さんの作品が世に知られるようになる過程を、主にネットを介してだが、割りと早い時期から観察していた。私がツイッターのアカウントを開設したのが2010年3月のことだったが、初期からフォローしていたのが日本コロムビアのディレクター、岡野博行さんのアカウントだった。というより、岡野さんがツイッターでの情報発信を始められたので、それをフォローする必要性を感じたことが、ツイッターに登録した大きな理由の一つだった。最近はたまにしかつぶやいておられないが、その頃は岡野さんもかなりの頻度でツイートを更新していて、その年の4月に佐村河内さんの交響曲の東京初演を聴いたことも、興奮気味に報告されていた。その頃は読み方がわからなくて「さむらかわちのかみ」とはまた古風な名前だな、などと思っていたのは、今となっては懐かしい想い出だ。

吉松隆さんのブログ記事によると佐村河内さんを岡野さんに引き合わせたのは吉松さんだったようだが、以後、コロムビアが佐村河内作品を積極的にプロモートしていく過程を、私は主に岡野さんのブログやツイッターを通じて知ることとなった。「HIROSHIMA」のレコーディングセッションが東北の震災後最大の余震に襲われたさなかに行われた様子などは、ブログに詳細に綴られている。岡野さんは本田美奈子さんをクラシックとのクロスオーヴァー路線に導いた立役者でもあり、クラシック音楽を幅広い階層に親しみやすく紹介しようとする姿勢に共感を抱いていたので、私は佐村河内さんを、というよりむしろ岡野さんを応援するような心持ちで、一連の経過を見守っていた。

関連する議論の中で名前が挙げられる機会はあまり多くないが、この事件をめぐる最大のキーパーソンは、実は岡野博行さんだと私は思っている。岡野さんの尽力がなければ、佐村河内作品がここまで広く世の中に知られることには決してなっていなかったはずだからだ。真相が発覚して最も頭を抱えているのも、おそらく岡野さんだろう。コロムビアから社としてのコメントは公式サイトに掲載されたが、岡野さん個人としては、週刊文春の記事で紹介された「佐村河内さんが言うことを信じてあげようと思います」という言葉が伝えられたほかは、沈黙を保っている。ほとぼりが冷めた頃で構わないので、落ち着いたらぜひこの件について岡野さんなりの見解を伺いたいと思う。別に総括を迫るとかそんなつもりではなく、岡野さんの立場からは一連の顛末がどのように見えていたのか、ということに、純粋に興味がある。


交響曲第1番「HIROSHIMA」は、CDは持っていないがNHKが演奏会の模様を全曲放送した際に聴いて、素直にいい曲だと思った。ショスタコーヴィチやペンデレツキの影響なども指摘されているが、基本的には19世紀的なロマン派音楽の延長線上にある作品といっていいだろう。このような大作を現代の作曲家の新作として聴くことができるのというはほとんど奇跡のような出来事であり、こんな僥倖に恵まれたことにはただ感激するほかなかった。

私は全聾とか被曝二世といった作者の属性よりも、現在のクラシック音楽の作曲界の本流からは見向きもされないことを承知の上で、これほどの大規模な作品を完成させたというドン・キホーテ的な蛮勇に感銘を受けるところが大きかった。だから真相が明らかになった時には、ショックとか腹立たしいといった感情よりも、手品の種を明かされた時のような、すっきりと腑に落ちる感覚が強かった。奇跡のように思えた出来事も、真相が明かされてみれば、幻滅すると同時に、なるほどよくできた仕掛けだなという感慨にもとらわれるのだった。


詐術的ないかがわしい手法だったにせよ、彼のセルフプロモーションは結果的に、現代の作曲家の新作を聴きたいという需要が聴衆の側に確かに存在していることを明らかにした。ということは、作曲家がもっと聴衆と誠実に向き合って創作に励むなら、現代音楽のシーンが一般的な音楽ファンを巻き込んで活況を呈する可能性だって十分にあるわけだ。このことを浮き彫りにしたのは彼の功績であり、一つの希望といってもいいと思う。ただ、新垣さんのお仲間には、この虚構によって傷ついた人たちの心情を慮ることもなく、小さな仲間内で共有されているに過ぎない価値観だけで彼を擁護している人も散見され、そんな現状を考慮すれば、それもまた虚しい望みでしかないのかも知れない。

それでもこの騒動でわずかに救いなのは、新垣隆さんがこうした形での制作に職人的な誠実さを以て臨み、それゆえにでき上がった作品は「ひとつひとつが非常に大事なもの」だと語っていることだろう。会見でのこの言葉に救われる思いがした“佐村河内作品”のファンの方も多かったに違いない。

一連の作品の今後について、被爆者や震災の被災者や障碍者の方たちの心情を思うと軽々しいことはいえない。ただ、「ヴァイオリンのためのソナチネ」に関しては、献呈を受けたヴァイオリニストの“みっくん”こと大久保美来さんが、深く傷つきつつも作品自体は今でも好きだと語っている。みっくんとは旧知の間柄だという新垣さんもソナチネについては「五輪という大きな舞台で鳴り響く資格のある、素晴らしい曲」と自負していることでもあり、この曲は今後も継続して演奏される機会があっていいと思う。


まあともかく、良きにつけ悪しきにつけいろいろなことを考えさせられる、興味深い出来事ではあった。最後に、私が目にして非常に参考になったページを以下にリンクしておく。

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