BiS—その破天荒な活動が刻んだ爪あとと傷あと

2014年7月14日

アイドルグループのBiSが予ての公約通り、8日の横浜アリーナ公演『BiSなりの武道館』を以て解散した。3時間半にわたり、MCはおろか定型の自己紹介さえなく、途中わずか3分ほどの休憩をはさんだだけで全49曲を歌い切ったこのライヴの様子は、すでにライターの宗像明将さんによるすぐれたレポートがある。

BiSは、まさにBiSらしく終わった。「伝説」なんて、これまでの現場にいなかった連中の妄言に過ぎない。この後味の悪い、曖昧模糊とした感覚こそがBiSなのだ。

現場に通い詰めた方ならではの凄味のある言葉だが、私自身は、カヴァー曲を含めて持ち歌をかなり網羅的にパフォーマンスしてくれた中で「でんでんぱっしょん」がなかった(セットリストはナタリーの記事を参照)ことのほかは、概ね満足のいくものだった。しかしともかく、“解散ライヴ”と銘打ったお祭り騒ぎの終演後に翌日のワンマンライヴをアナウンスするというのは、確かに後味のよくないことには違いない。


この解散ライヴについては宗像さんのレポートに付け加えるほどの言葉を持たないので、これまでのBiSの活動について自分なりの視点で振り返ることで、私のささやかな研究員人生の総括としたい。

私がBiSについて知ることになったのは、まだソロで活動していた頃のプールイさんがツイッターでフォローしてくれたのがそもそものきっかけだった。おそらく自分の活動に興味を持ってくれそうな人を探し出してはフォローしてアピールする戦術だったのだろう。それで何気なくリフォローしてみると、しばらくしてアイドルグループを結成するためにオーディションを開催するというニュースが伝わってきた。それがBiSの始まりである。

音楽の話題をメインにツイートしているアカウントなんていくらでもあるだろうに、プーちゃんがどのようにして私のアカウントに行き当たったのかはよくわからない。プロフィールに「アイドルポップスも好き」みたいなことを書いていたので、その辺りが引っかかったのかも知れない。当時のプーちゃんはまだマネージャーの渡辺淳之介さんが考え出した「カート・コバーンの影響でギターを始めた」とかいうニセのプロフィールを掲げて“新世代ロックアイコン”として活動していたはずなのだが、もしこの予想が正しいとすれば、すでにその頃からアイドル好きの音楽ファンをターゲットとして見据えていたことになる。なんにせよその時プーちゃんにアカウントを見つけ出してもらえたことは私にとって僥倖というべきで、お蔭でこのユニークなグループの情報を初期から追うことができたのだった。


とはいえそれですぐさまBiSにはまったかというとそうではなかった。最初にフリーダウンロードという形で発表された音源が「太陽のじゅもん」だったが、今だからいうけどこれがかなりひどいしろもので、聴いてみてはたしてこれでやっていけるのかと不安しか感じなかった。初期のBiSについては、サウンドプロデューサーの松隈ケンタさんは「もう最初はひどかった!」(『INMUSIC』インタビュー)、アレンジを手がけたSchtein & Longerさんは「(ヴォーカルのピッチを)もう、初音ミクかっていうくらいいじって」(『CDJournal』インタビュー)と述べている。歌やダンスのうまいメンバーを厳選したわけでも、綿密なレッスンを積んでデビューに至ったわけでもないBiSは、そういうところからスタートしたのである。

もっとも古参の研究員さん(BiSファンのこと)にはファーストアルバムがよかったからファンになったという人も多く、今から振り返れば確かに曲自体は決して悪くなかったと思う。ただ当初の楽曲はポップス寄りで、私にとっては数多あるアイドルグループの中で特に強い印象を残すものではなかったのだ。


私のBiSを見る目が変わってきたのは「My Ixxx」くらいからだった。この曲は全裸PVの衝撃もさることながら、曲自体が非常に好みで、強く惹きつけられた。これをきっかけにBiSは、私の中で俄然お気に入りのアイドルとして浮上してきたのである。

この頃からBiSはロック色を強めていき、破天荒なロックアイドルとして音楽シーンに独自の地位を確立することになる。ロック志向のアイドルは今では決してめずらしくはないが、楽曲にしても活動スタイルにしてもここまで振り切れているグループはほかになく、アイドルファンのみならず幅広い音楽ファンに支持されることになった。著名なミュージシャンのファンを多く獲得したのも、自然な成り行きだっただろう。


かくしてデビューの翌年にはメジャー移籍も実現させ、順調に飛躍し始めたかに見えたBiSだったが、“事件”が起きたのはメジャー初のアルバムをリリースするタイミングでのことだった。このアルバムのプロモーションの一環として、メンバー間の内部抗争をアピールするキャンペーンが展開されたのである。

私はこの頃までには、ブログやツイッターやゆるキャラ連載などで見せる文才やまじめであたたかい人柄を通して、テラシマユフさん(現在は寺嶋由芙としてソロで活動中)に強く惹かれるようになっていた。しかし推しメンというのは特に固定せず、“基本箱推し実は隠れゆふぃすと”みたいなスタンスをとるつもりでいた。他のメンバーもみなそれぞれに好きだったし、何より当時のメンバー5人の組み合わせがとても魅力的だったからだ。

しかしこの騒動によって、そういうバランスは一気に崩れてしまった。泣きはらした目でライヴする姿を動画配信で見つめながら、自分は紛れもなくゆふぃすとなのだという自覚を、否応もなく意識させられたのである。(他のメンバーが好きではなくなったということではないので、念のため。)

このプロモーションは結局、あまり得るところのないままメンバーとファンの心に傷を残して終息することとなった。かくして私は晴れて(?)ゆふぃすととなり、初めてアイドル現場に足を運び、ツーショットチェキを撮るようにさえなったのである。


ゆっふぃーはこの騒動から半年ほど後に、BiSを脱退した。そのタイミングで自分もBiSからはヲタ卒するという選択肢もあり得たのだろうけど、そうしなかったのは、新メンバーお披露目のライヴで披露された新曲「DiE」を、一聴して好きになれたことが大きい。新メンバーたちもそれぞれに個性的で魅力的だったし、私の中でBiSへの関心が失われることはなかった。非常階段とのコラボレーションを通じて海外の音楽雑誌に紹介されたり、折しも『あまちゃん』のブームでノイズ音楽への関心が高まる中でBiSの名が世の中に拡散していく、そうした過程を目撃するのは、初期からこのグループの活動に親しんできた身としてはなかなか痛快なできごとだった。


ただ、この新たな6人体制では、楽曲にやや新鮮さが欠けてきているように感じたのも事実だった。先ほど言及した「DiE」はBiSのキャリアの中で「primal.」と並ぶ名曲だと思うが、結局この体制では「DiE」に比肩し得るような楽曲はついに生み出されなかったような気がする。そのことが、解散へ向けてのラストスパートが爆発的なムーヴメントというには至らなかった一つの要因だったのではないだろうか。

解散ライヴはセットリストが最近の曲から過去へと遡っていく構成だったので、はじめのうちはなかなかノリきることができなかった。そのことをもどかしく感じながら、私は松隈さんが最後のシングル「FiNAL DANCE」がリリースされた際のツイートでプレッシャーとかスランプといったことを口にしていたのを思い出していた。こうした言葉をどの程度深刻に受け止めればいいのかはよくわからないが、このタイミングで松隈さんがプーちゃんと共に本来の持ち場であるバンド形態の活動に軸足を移していくことになるのは、BiSにとっても松隈さんにとってもいい潮時だったのかも知れない。


冒頭に宗像さんの「BiSは、まさにBiSらしく終わった」という言葉を紹介したが、在宅メインのずぼら研究員兼ゆふぃすとの立場として「最後までBiSらしかったな」と思った点を挙げるとしたら、それは元メンバーに対する解散ライヴへの出演交渉だった。ツイッター上で公開で行われたそのやり方は(詳しい経緯についてはTogetterのまとめを参照)あまりにもデリカシーを欠いたもので、熱烈な研究員であるギュウゾウさんのいうように、特にゆっふぃーにとって酷なものだった。

誰もが知っていることだが、ゆっふぃーはBiSに在籍した都合11人のメンバーの中で唯一、BiSに入りたいと志望してメンバーになったのではなかった。本人の認識では“つばさレコーズのオーディション”のつもりで受けたものが、実はBiSの新メンバーを探す場に設定されていて、そこで見初められてぜひにと請われる形で加入したという経緯がある。BiSでの活動は、もともと志向していたのはとかなり異なるものだったに違いないが、それでもゆっふぃーはメンバーとして求められる役割に精一杯の努力で応えてきた。しかしそれに対してBiSは、一ファンの立場では細かい内情までは窺い知ることはできないものの、ついに最後まで正当に報いることができなかったように見える。私はBiSがこれまでにアイドルシーンや音楽界に刻んだ爪あとは特筆大書に値すると確信しているけれども、そのことだけが、とても悲しい。

とはいえ、こうして推しと同じ傷の痛みを共有できるというのもある意味ヲタクの醍醐味かも知れないな、などと今では達観するようにさえなってきている。もともとは音源だけ聴いていれば満足していた怠惰な音楽ファンだった私を、こんないっぱしのアイドルヲタクみたいな口を利くようになるまでずぶずぶとハマらせたのだから、確かに偉大なグループだったには違いない。


ともかくもBiSはこうして終焉を迎えた。メンバーたちはすでに次を向かって動き出している。私のドルヲタ遍歴も一つの区切りとなったが、メンバーたちの新たな活動はもとより、BiSなき後のアイドルシーンがどんな展開を見せるのかなど、興味は尽きない。願わくは在籍した全ての女の子たちの人生に幸多からんことを。


下の動画は新潟を拠点に活動するローカルアイドル、RYUTistがシアトル近郊を訪問した際に、現地のファンと一緒に「nerve」を踊ったものである。BABYMETALほどではないにせよ、BiSがアメリカでも受けていたことの証として貼り付けておく。



最後に、これは全くの余談だが、解散ライヴの当日、ゆっふぃーがインストアイベントを行う川崎を素通りして新横浜まで足を延ばすのが申し訳なくて、せめて気持ちだけでもつながっていたいと思ってツイッターのリプ祭りの時に教えてもらったアンソロジーを携えて行った。(場所が近いのでひょっとしたら時間の都合をつけて横浜アリーナにも顔を出してくれるんじゃないか、という期待もなかったといえば嘘になるが。)

それで帰りの電車で加藤千恵さんの「パノラマパーク パノラマガール」を読んだのだが、これが実にドキドキものの傑作だった。偶然にも作中に、新幹線と在来線の違いはあるけれども新横浜から東京方面へ帰る電車の車内の描写があり、こういう状況でこの短編に接するというのは何やら特別なことのように思われて、感慨深かった。アイドルヲタクなら好きそうな話なので、ぜひ一読をお薦めしたい。

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