国立新美術館「オルセー美術館展」

2014年10月13日

先日、六本木の国立新美術館で開催されているオルセー美術館展を見に行ってきた。お目当ての一つは私のお気に入りの画家、ウィリアム・アドルフ・ブグローだが、今回の企画には若い頃の作品である「ダンテとウェルギリウス」(1850年、画像)が出展されている。ダンテの「神曲」に題材をとった作品だそうで、裸体の男性二人が戦っていて、一方が他方の喉元に喰いついているという構図である。ヨーロッパ絵画史の文脈ではそれなりに意義深い画題なのかも知れないが、何とも観る者の心をそそらないテーマではある。若き日のブグローがなぜこのような主題で絵を描くことになったのかよくわからないが、後に気品ある優美な女性像を数多くものすることになるこの画家にしてみれば、自分でも描いていて気乗りのしないテーマだったのではないだろうか。オルセーには代表作「ヴィーナスの誕生」をはじめブグロー作品がいくつも収蔵されているはずだが、数ある名画の中からどうしてこれを選んで日本に持ってきたか、選定に当たった責任者を小一時間問い詰めてみたい気にもさせられる。

例えばフランシスコ・デ・ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」なら、あの官能的な「裸のマハ」を描いた同じ画家によるとは思えない凄惨な作品ではあっても、それでも観る者に深い感銘を与える、マハとは違った魅力が確かにそこにはある。しかしこの絵からは、ヴィーナスとは異なる方向性の魅力を感じ取ってみようと意識して鑑賞してみても、そのようなものを見出すのは困難だった。しかしまあこの画家の経歴の初期にはこうした作品もあったということを知れたのは、ファンとしては貴重な経験だったとはいえるかも知れない。


そんな次第でブグローのヴィーナスが見られないのは残念なのだが、その代わりといっては何だが、同じ新古典主義の画家でブグローにとっては先輩に当たるアレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」(1863年、画像)が展示されている。こちらはごく普通に観て楽しい作品で、特に波の上に寝そべるヴィーナスのポーズは女性らしい美しさを強調して秀逸である。ただ、画集などで観ていた時から感じていたのだが、空の色彩が単調で明るすぎ、そのせいで全体の印象がややぼやけたようになってしまっている気がする。実物を観ても、その印象は変わらなかった。

カバネルではもう一点、「ケラー伯爵夫人」(1873年、画像)という作品が展示されているが、こちらは女性の佇まいに気品があり、色彩も非常に洗練されていていい絵だと思った。いま買ってきた絵葉書やウェブにある画像をあらためて確認して、眼窩のくぼみが強調され過ぎてくまのようになっていることに驚いているのだが、実物を観た時にはそれほど不自然には感じなかった。

晩鐘

今回の展示で最も深い感銘を受けたのはジャン・フランソワ・ミレーの「晩鐘」(1857-59年)だった。バルビゾン派の代表的な作品としてあまりにも名高いこの絵だが、実物を観ると意外なほど小ぶりなのに驚いた。しかし小品とはいえ辺りを払うような威厳を備えていて、農民の敬虔な祈りとともに荘厳な鐘の音が聞こえてきそうな思いにとらわれる。日本画の川合玉堂もミレーから影響を受けていたというのも実にうなずける気がする。

実は最近、中野京子著「怖い絵 2」を読んでサルバドール・ダリがこの絵について、“亡き子を埋葬した後の祈りの情景”という奇抜な解釈を披瀝していたことを知ったのだが、これはさすがに無理があると思う。農民たちの素朴な祈りの世界からはあまりに遠く隔たったところに辿り着いてしまった近代人の過剰な自意識が生み出した“照れ”の表出とでもいうべきか。この作品に関しては、素直に見たままを受け取るのが正しい鑑賞態度ではないだろうか。

ミレーの作品はほかにもう一点、「横たわる裸婦」(1844-45年)が展示されていた。こちらは裸婦のポーズに工夫が見られるものの、上半身が薄暗く蔭に覆われた陰影の表現が効果的でなく、凡庸な絵という印象しか受けなかった。名画家といえども得手不得手というものがあることを窺わせる。


裸婦に関しては、今回展示されていた中ではジュール・ルフェーヴルの「真理」(1870年、画像)という作品が、奇を衒うことなく女性らしい美しさを素直に描出していて好感を抱いた。ただ、この女性が頭上に掲げ持っているのがどうしても電球にしか見えなかった。トーマス・エジソンによる電球の発明は1879年とされているのでこれは時代的に合わず、実際には鏡を描いているようなのだが、それにしても“真理”の寓意としては些か安っぽい図のような気がするがどうだろう。


今回の企画で最も前面にフィーチャーされていた画家はエドゥアルド・マネで、多くの作品が展示されていたのだが、私は特に、最後に展示されていた「ロシュフォールの逃亡」(1881年頃、画像)が気に入った。ナポレオン3世に反旗を翻し、パリ・コミューンにも関わってニューカレドニアに追放されたアンリ・ロシュフォールが小舟で島を脱出する様子を描いているのだそうだ。政治的な事件を背景に持った作品ではあるが、主人公の孤独や不安といった要素よりも、私は寧ろ洗練された色彩や、粗いタッチでさざ波を描いた技法の冴えに目を奪われた。作品に内在する“精神”といったものよりも外面が与える“印象”の方が観る者の心を強くとらえるところに、印象派を代表する名画家(印象派展には一度も出展したことのないこの画家をそう呼び得るとすればだが)の面目が躍如しているといえるのかも知れない。

ポスターにも採用されていた代表作の一つ、「笛を吹く少年」(1866年、画像)は快活な笛の音が聞こえてきそうな楽しい作品。普通にいい絵だとは思うのだが、この作品が当時の画壇で物議を醸したという、その美術史上の位置付けについては、私の知識ではよく理解できなかった。


マネのほかにも印象派の作品は多数展示されていたが、誰でも知っているような有名な作品は多くなく、「印象派の風景」と題された区画はやや地味な印象を受けた。その中では私はピエール=オーギュスト・ルノワールの「イギリス種のナシの木」(1873年頃、画像)という作品が、緑の濃淡が目に鮮やかでいい絵だと思った。観ているだけで初夏のさわやかな風が(いや、いつの季節を描いたものか正確には知らないのだが)頬を撫でていくのが感じられるような気がする。


会期は今月20日までで、場所を変えての展示というのもないようなので、もう残りわずかな日にちしかないが、印象派やその周辺のフランス絵画がお好きな方には絶好の企画なので、ぜひ足を運んでみることをお薦めしたい。


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