寺嶋由芙さん「知らない誰かに抱かれてもいい」

2017年11月16日


寺嶋由芙さんの今年3枚目となるシングル「知らない誰かに抱かれてもいい」が今月8日にリリースされた。「天使のテレパシー」「私を旅行につれてって」に続く三部作の最終作となる今作のタイトル曲は、まず何よりも正統派アイドルにあるまじき刺激的なタイトルに目を瞠る。9月にタイトルが発表された時はゆふぃすとの間に衝撃が走ったが、プロデューサーの加茂啓太郎さんはその狙いを「清純派と思われてるアイドルがショッキングな歌詞でブレイクするという事例を踏襲したんです」と説明していた[1]。おそらく山口百恵さんの「ひと夏の経験」のようなものを念頭に置いているのだろうと想定されたが[2]、この戦略にはなかなか平静ではいられなかった。というのも私はかつて「1986年のマリリン」や「Sosotte」の路線でそれまで好きだった本田美奈子さんから離れてしまったという前歴があるからだ。美奈子さんが亡くなった時、そのことをどれほど悔やんだかは言葉には尽くし難いものがある。ゆっふぃーを推すようになって以来、有り難いことに気持ちが離れるような危機もなく、幸せなヲタク生活を送ってこられたけれども、今作のリリースは私にとってゆふぃすととして結構な試練になることを覚悟しなければならなかった。

そんなわけでリリースイベントでの初披露の模様をかなりの緊張感を以て配信で見守ったのだが、実際に聴いてみると、奇抜なタイトルとは裏腹に中身は真っ当な失恋ソングという印象だった。前作「私を旅行につれてって」では全く無防備な状態で“それ以上”というキラーフレーズの不意打ちを食らったからショックが大きかったけど、今回はタイトルでまず打ちのめされたから、曲を聴いてさらに心を抉られるということはなかった。タイトルと同じフレーズはサビで歌われるが、恋人の心変わりに直面した女性のいじらしい反論として理解可能な文脈に収まっている。

むしろそれ以上に強く印象づけられたのは締め括りの「頭がいいのに バカ バカ バカ」という捨てゼリフだった。これを聴いた時のくすぐったいようなむず痒いような感覚は、曰く言い難いものがある。ゆふぃすとにはそれなりの高学歴者が多そうだと見越しての戦略もおそらくあるのだろう。私信といってはおこがましいけど、私のような聴き手が感情移入しやすいように作ってくれているのだろうな、というのは感じる。ゆっふぃーは実際にはたとえ売り言葉に買い言葉的な状況でも「知らない誰かに…」みたいなことはいわない人だと思うけど、「頭がいいのに」云々には妙なリアリティーがある。繰り返し聴いていると、推しと痴話喧嘩をしているような感覚に陥ってくる。

この問題含みの際どい歌詞を手がけたのはいしわたり淳治さんで、「私を旅行につれてって」に続く起用となる。加茂さんは「作詞家の最高のポテンシャルを引き出せた」と手応えを口にしていたが[3]、正統派のアイドル楽曲としてぎりぎり成立する境界を攻めた意欲作といえるだろう。ゆっふぃーは「いや嬉しかったですね、こういう曲を歌いたかったので」と話しているが[4]、大人の失恋ソングが歌いたいという望みはかねてから口にしていたことでもあり、まさに念願叶った一作ということになる。

作曲は藤田卓也さんで、コンペで70曲の中から選ばれたという。愁いを帯びたAメロから未練のうちに逡巡するようなBメロを経て決然としたサビへと至る展開が、ショッキングな歌詞によって綴られるドラマを的確に曲に映し出している。特にサビは同音反復が多いのに、平板な印象を与えずに劇的な効果を演出しているのが見事で、どこかベートーヴェンを彷彿とさせる。

最後に“バカ”と連呼する箇所に関して、詞が先にないとメロディーがこういう終止にはならないのではないか、ということを聴いた当初から感じていたのだが、はたしてこの曲は詞先で作られたことが明らかにされている。加茂さんによると自身の発案に加え、ヤマモトショウさんからの提言もあってのことだという[5]。ショウさんは自身のブログでもフィロソフィーのダンスのアルバムに絡めて詞先の意義を語っているが[6]、ゆっふぃーがMCを務めるテレビ番組「japanぐる~ヴ」のインタビューで松本隆さんも、近年は曲先が圧倒的に多くて詞先で曲を作る技術が継承されてきていないことへの懸念を表明していた。加茂さんが「業界の安易な慣習へのアンチテーゼにもなってます」と述べていた[7]のもそのあたりを意識してのことかと思われるが、業界でもめずらしいという詞先でのコンペという方式で作られたこの曲は、そうした意味でも価値ある挑戦だったに違いない。

タイトル公表時から謳われていた“1990年代前半のJ-POPを彷彿とさせるメロディー”というコンセプト[8]については、私の90年代の音楽についての知識に偏りがあるのか、実際に聴いてみてそういう印象はあまり受けなかった。藤田さんは大江千里さんに強く影響されているそうなのだが[9]、大江さんは「格好悪いふられ方」で爆発的にブレイクしたのは1991年だったものの、それ以前からすでに広く知られた存在だったので、私にはどちらかというと80年代の人というイメージが強い。ただ、イントロがちょっと古めのトレンディドラマの主題歌みたいだなという印象はあって、渋谷系とかビーイング系、小室サウンドといった系統のどれかに括るのは難しいけど、確かにあの時代の雰囲気をどこかに湛えているという気はする[10]

その印象的なイントロを含め編曲を手がけたのはrionosさん、ゆっふぃーにはおなじみの存在である。若さに似合わぬ熟練の手腕によって、曲のドラマティックな性格がより際立たせられている。

ゆっふぃーは幾分背伸びした感のあるこの曲で、他の曲よりも落ち着いたトーンで大人びた歌唱を聴かせている。特にブリッジ的なパッセージで、ポルタメント気味にやや音を下げながら「忘れないでね ずっと」と消え入るように歌うところは絶妙で、切なさや哀しさ、そしてこういってよければ少しの怖さをかき立てられる。

Shoさんによる振付けはなまめかしい手の動きが特徴的で、“知らない誰か”の愛撫や抱擁をほのめかしつつ曲の世界を際どく表現している。落ちサビで手を引っ張られるような動きもヒロインの未練を表しているようで、大きなアクセントになっている。

“トレンディドラマの主題歌”という印象はMVの監督を務めた荒船泰廣さんも抱いたようで、MVもまさにそうした感じの作りになっている。荒船さんは今年の前二作に続く起用となるが、春の出会いから夏の旅行、そして秋の別れという恋の展開を三部作として描き出している。印象的なのは最後のシーンで、恋人にバカと言い放って走り去るヒロインが、朝食のパンをくわえて道を急ぐ姿と重ねられている。三部作の最初のシチュエーションへと回帰するこの構図は、長い黒髪と一緒に失恋の痛手を振り捨てたヒロインが、また元の日常を取り戻して前に進もうとしていることを暗示している。

ジャケット写真もおなじみとなった大川晋児さん、三形態それぞれ違ったテイストでゆっふぃーの魅力を引き出している。特に初回限定盤A、ゆっふぃーがボブがこんなに似合うとは知らなかった。ケース裏の埠頭にコート姿で佇むゆっふぃーも、長身が夕闇に映えて心惹かれる。

衣装は大人っぽさを意識しながらも、むしろシックなデザインで曲の危うい雰囲気とは対照をなしている。“伊勢丹の紙袋”などと揶揄されたりもしたが、緑を基調とした色合いは、タイトルに衝撃を受けたゆふぃすとの心を少しでも平穏にしようという効果も狙って選ばれたものと思われる。腋が大きくあいているのはゆっふぃー自身の発案だそうで、さすがにヲタクの喜ぶツボをよく心得ている。



カップリングの「世界で一番かわいい君へ」は一転して幸福感に溢れる明るい楽曲で、ゆっふぃーのゆるキャラへの一途な愛を歌っている。とはいえ聴く人それぞれが自分の“世界一かわいい君”に重ね合わせることができるように作られていて、ゆっふぃー自身「みんなはゆっふぃーだと思って聴いてくれる曲にしてほしい」と述べているので[11]、ゆふぃすととしては当然そのつもりで聴くことになる。

作詞は先に名前の出たヤマモトショウさんで、「なにもできないくせに」「なにもいわない君」「雨はにがてなくせに」とゆるキャラの特性を的確にとらえた文言が迫真のリアリティーを生み出している。作曲の芦沢和則さんは「終点、ワ・タ・シ。」のコーラスアレンジを手がけた方で、多面的な音楽性の持ち主なのだろう。フィロソフィーのダンスではブラックミュージック寄りの楽曲[12]を提供してもいて、加茂さんの「職業作家としてプロだから、良い意味で作家性がない」という評言[13]からは筒美京平的な才能が窺われる。

編曲の小佐井彰史さんについては私は知識がないのだが、rionosさんのコーラスをフィーチャーしていることが特筆される。先月「ハシタイロ」[14]で歌手としてもデビューを果たしたrionosさんの美声をOff Vocalヴァージョンで堪能するのもまた一興である。その歌手デビューというのが実はゆっふぃーのソロデビュー曲として提供した「#ゆーふらいと」が招き寄せた幸運だったそうで[15]、二人の運命的な縁を感じさせる。


もう一曲のカップリング「好きがはじける」はミナミトモヤさんの作詞・作曲で、「好きがはじまる」「好きがこぼれる」に続く“好きがシリーズ”の第三作である。過去二作はともにライヴで映える人気曲で、今作もゆっふぃーのレパートリーの中で切り札的な存在に育っていくに違いない。ミナミさんも最初期からゆっふぃーの楽曲制作に携わってきた一人だが、「今度はどこにも行かないから」とゆっふぃーの側からのマニフェストを歌ったのが「ほら みて/わたしはここにいるでしょ!」「ほら 来て/みんなもここにいるでしょ!」とヲタクへの呼びかけを含むものになり、今回は逆に「キミだ!決めたんだ!」「やっぱり キミなんだ」とヲタクの心情を歌っていると思われるものに遷移している。この移り変わりにゆっふぃーとゆふぃすとが積み重ねてきた歳月の重みが表れている気がする。

編曲はこちらもおなじみ宮野弦士さん。本人のいう「眠れるロック魂が燃えたギターソロ」[16]もさることながら、サビのコード進行も素敵で胸がときめいてしまう。


かくしてゆっふぃーの2017年のシングルリリースは、ハッピーエンドとはいかなかったけれども、ともかく無事に完結することとなった。推しが出逢った彼と自己同一化することで病んでしまいそうなシチュエーションを乗り越えるすべをどうにか習得してきたゆふぃすととしては、二人の恋物語にようやく愛着も湧いてきたところで結末を迎えることには、一抹の寂しさがある。

実は、歌詞自体は最終的な破局に至る一歩手前を描いているようなので、MVを見るまでは、今回の大きな危機を乗り越えた二人が次作以降でさらに絆を深めていく、という展開もあり得るかと思っていた。しかしMVがああいう終結をして“おわり”のテロップまで出てしまった以上は、これで本当に完結なのだろう。それまでロジカルな思考しかできなかった彼が彼女の捨て身の反論にほだされて、三軒茶屋に行こうと思って草加にたどり着いてしまう彼女の謎思考[17]も許容できる度量を身につける、という展開もなかなか感動的だと思うのだが…。

しかしともかく、今作のリリースが私にとってトラウマと化してしまう事態はどうやら避けられそうなことに胸をなで下ろしつつ、来年以降の新たな展開を楽しみに待つことにしたい。


脚注
  1. ^ 加茂啓太郎さんの9月16日付のツイート
  2. ^ 加茂さんは後掲の鼎談記事で百恵さんのほかにオリビア・ニュートン=ジョンとおニャン子クラブの名前を挙げている。
  3. ^ 加茂啓太郎さんの9月6日付のツイート
  4. ^ 寺嶋由芙 シングル三部作完結作は幸せ溢れる前作から一転の衝撃タイトルに! | スペシャル | EMTG MUSIC
  5. ^ 加茂啓太郎×寺嶋由芙×rionos鼎談~このチームでサブスクのバイラルチャートに入る名曲を作りたい(宗像明将) - 個人 - Yahoo!ニュース
  6. ^ フィロソフィーのダンス2nd album『ザ・ファウンダー』作詞家による全曲解説! - 毒か薬か
  7. ^ 加茂啓太郎さんの9月14日付のツイート
  8. ^ 寺嶋由芙、ニューシングル「知らない誰かに抱かれてもいい」で大人の女性に - 音楽ナタリー
  9. ^ 藤田卓也さんの9月23日付のツイート
  10. ^ 私が最もしっくりしたのはツイッターで見かけた「あえて1曲を挙げるなら」として西脇唯さんの「七月の雨なら」に言及したツイートだった。
  11. ^ 前掲EMTG MUSICによるインタビュー
  12. ^ フィロソフィーのダンス「ベスト・フォー」@2017.7.15 新宿BLAZE - YouTube
  13. ^ 前掲鼎談記事
  14. ^ rionos/ハシタイロ MUSIC VIDEO(FULL SIZE) (TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』ED主題歌) - YouTube
  15. ^ 純之介教授さんの10月11日付のツイート
  16. ^ 宮野弦士さんの11月8日付のツイート
  17. ^ 寺嶋由芙さんの8月22日付のツイート
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コメント

sergeiさん、ゆっふぃーのシングルについての解説、いつもながら詳細な解説、読み応えがありました。男女でけんかになると、男性はロジカルに説得しようとしがちでそれが女性の感情とかみ合わないというところが、よく表れた歌詞ですね。この「知らない誰かに…」もそうですが、1曲1曲作る過程での、それぞれの作者の熱意が感じられて、アイドルという存在もそれぞれの熱意あるアーティスティックな作業の結晶なのだなと深く感じ入りました。

-> ysheartさん

長文を読んで下さりありがとうございます(汗)。奇抜なタイトルとは裏腹に、中身は不思議とリアリティーがあって、ほんとよくできてるな、と思います。本人とスタッフが提示すべきアイドル像を周到に練り上げて、そうやってできた作品が私たちのところまで届くんですよね。いろいろと掘り下げて考えるほどに、そういうことを実感します。

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