ピカソに殺された画家?—ダリが語るブグロー

2014年10月17日

先日のオルセー美術館展について書いた記事の中でダリのことに少しふれたが、ダリについては最近知った興味深いエピソードがもう一つあるので、ついでにそのことを書いておきたい。

ヴィーナスの誕生

しばらく前に書店に立ち寄った際に、平松洋著「名画 絶世の美女 ヌード」(中経の文庫、2012年に新人物往来社から刊行された単行本が今年6月に文庫化されたものらしい)という本が平積みされていたので買ってみたのだが、うれしいことに表紙がウィリアム・アドルフ・ブグローの「ヴィーナスの誕生」だった。というより、部分を切り取っているのですぐにはブグロー作品とは気づかなかったものの、パッと見た時に表紙がきれいだったのがこの本を手にとってみたそもそもの理由だった。

著者と編集部で選んだ裸婦画の名作に著者が簡単な解説を付け加えるという体裁の本だが、巻末の後書きを、著者の平松洋氏はサルバドール・ダリの次のような言葉の引用から書き起こしている(参考文献としてダリ著「異説・近代藝術論」が挙げられているのでおそらくここから採ったものと思われるが未確認)。

すべてを恐れるピカソは、ブグローが怖いばかりに醜なるものを作った。

平松氏によると、ダリはブグローを引き合いに出しつつ、モダニズムの批評家に迎合した画家たちをこのように批判していたのだという。ダリはシュールレアリスムの旗手として自身が美術の革新を先導する立場にありながら、現代の前衛絵画によって裸婦画が醜悪なものに転じていくことには我慢がならなかったらしい。

西洋では元々、神話や歴史を“主題”とすることを口実に、裸婦をその“モティーフ”として描いていたのだが、次第に裸婦そのものが絵画の主題になっていった。そして主題としての裸婦はやがて現実の女性像の再現であることをやめ、モダニズムの画家たちによって色や形や形式において解体され、再構成されることになった。平松氏の見立てでは、「ピカソは、ブグローを短刀で半殺しにしたのち、闘牛の短剣でとどめをさした」というダリの発言こそが、この“美的モティーフ”としての裸婦の殺害という事態を明快に物語っていることになる。


私には現代の“醜なる”裸婦画を批判していた一人がダリだったのも意外なら、その際に引き合いに出していたのがブグローだというのもうれしい驚きだった。私はブグローのことは、そうした美術史における位置付けについてなどほとんど知識のないままに、作品そのものに魅了されて好きになったのだが、その画家が“美しい”裸婦画の作者の代表格として名前を挙げられる存在だったとは、自分の審美眼もまんざら捨てたものではなかったようだ。

「ヴィーナス…」と同じくギリシャ神話に題材を採った「ビブリス」(ビュブリス)でも、「夜明け」や「夕暮れ」のような寓意画でも、官能的でありながらも高貴な品格を備えた女性美の究極を描き出すことに成功している。裸婦ばかりでなく、例えば母娘(と思われる二人)や幼い姉妹を描いても、この画家の描く女性像の優美さは際立っている。淑女の肖像画はもとより羊飼いの娘水汲みの少女のような庶民の面立ちからさえ溢れ出るノーブルな気品は、私はこの画家の伝記的事実についてなど多くを知らないけれども、作者の高潔な人格の表れでもあるのだろうと想像している。


「名画 絶世の美女 ヌード」の著者、平松氏もダリに共感するとのことで、表紙に起用したのもその表れなのだろう。本文でも「ヴィーナスの誕生」のみならずほかにも多くの作品が紹介されている(正確には数えていないがおそらく作品の掲載数は最も多い)。西洋絵画に描かれた美女を特集した解説書の類いは数多く出ているが、これほどブグローを大きく扱うというのはこれまでの類書にはなかったことではないだろうか。

MMM(メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド)なるサイトに掲載されたオルセー美術館展の紹介記事でも、アカデミスム絵画を印象派との対比で“悪しき絵画”と見做すような風潮を戒めているが、ブグローなどアカデミスムの画家たちに再び光を当てようとする機運はそれなりに盛り上がってきてはいるようだ。この本の出版なども契機となって、この“ピカソに殺された画家”(という云い方が本当に正しいのか私には判断がつかないが。記事のタイトルにまで名前を出してしまったが私自身はピカソに対して特に含むところはない)の再評価がさらに進むことを願いたい。

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

国立新美術館「オルセー美術館展」

2014年10月13日

先日、六本木の国立新美術館で開催されているオルセー美術館展を見に行ってきた。お目当ての一つは私のお気に入りの画家、ウィリアム・アドルフ・ブグローだが、今回の企画には若い頃の作品である「ダンテとウェルギリウス」(1850年、画像)が出展されている。ダンテの「神曲」に題材をとった作品だそうで、裸体の男性二人が戦っていて、一方が他方の喉元に喰いついているという構図である。ヨーロッパ絵画史の文脈ではそれなりに意義深い画題なのかも知れないが、何とも観る者の心をそそらないテーマではある。若き日のブグローがなぜこのような主題で絵を描くことになったのかよくわからないが、後に気品ある優美な女性像を数多くものすることになるこの画家にしてみれば、自分でも描いていて気乗りのしないテーマだったのではないだろうか。オルセーには代表作「ヴィーナスの誕生」をはじめブグロー作品がいくつも収蔵されているはずだが、数ある名画の中からどうしてこれを選んで日本に持ってきたか、選定に当たった責任者を小一時間問い詰めてみたい気にもさせられる。

例えばフランシスコ・デ・ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」なら、あの官能的な「裸のマハ」を描いた同じ画家によるとは思えない凄惨な作品ではあっても、それでも観る者に深い感銘を与える、マハとは違った魅力が確かにそこにはある。しかしこの絵からは、ヴィーナスとは異なる方向性の魅力を感じ取ってみようと意識して鑑賞してみても、そのようなものを見出すのは困難だった。しかしまあこの画家の経歴の初期にはこうした作品もあったということを知れたのは、ファンとしては貴重な経験だったとはいえるかも知れない。


そんな次第でブグローのヴィーナスが見られないのは残念なのだが、その代わりといっては何だが、同じ新古典主義の画家でブグローにとっては先輩に当たるアレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」(1863年、画像)が展示されている。こちらはごく普通に観て楽しい作品で、特に波の上に寝そべるヴィーナスのポーズは女性らしい美しさを強調して秀逸である。ただ、画集などで観ていた時から感じていたのだが、空の色彩が単調で明るすぎ、そのせいで全体の印象がややぼやけたようになってしまっている気がする。実物を観ても、その印象は変わらなかった。

カバネルではもう一点、「ケラー伯爵夫人」(1873年、画像)という作品が展示されているが、こちらは女性の佇まいに気品があり、色彩も非常に洗練されていていい絵だと思った。いま買ってきた絵葉書やウェブにある画像をあらためて確認して、眼窩のくぼみが強調され過ぎてくまのようになっていることに驚いているのだが、実物を観た時にはそれほど不自然には感じなかった。

晩鐘

今回の展示で最も深い感銘を受けたのはジャン・フランソワ・ミレーの「晩鐘」(1857-59年)だった。バルビゾン派の代表的な作品としてあまりにも名高いこの絵だが、実物を観ると意外なほど小ぶりなのに驚いた。しかし小品とはいえ辺りを払うような威厳を備えていて、農民の敬虔な祈りとともに荘厳な鐘の音が聞こえてきそうな思いにとらわれる。日本画の川合玉堂もミレーから影響を受けていたというのも実にうなずける気がする。

実は最近、中野京子著「怖い絵 2」を読んでサルバドール・ダリがこの絵について、“亡き子を埋葬した後の祈りの情景”という奇抜な解釈を披瀝していたことを知ったのだが、これはさすがに無理があると思う。農民たちの素朴な祈りの世界からはあまりに遠く隔たったところに辿り着いてしまった近代人の過剰な自意識が生み出した“照れ”の表出とでもいうべきか。この作品に関しては、素直に見たままを受け取るのが正しい鑑賞態度ではないだろうか。

ミレーの作品はほかにもう一点、「横たわる裸婦」(1844-45年)が展示されていた。こちらは裸婦のポーズに工夫が見られるものの、上半身が薄暗く蔭に覆われた陰影の表現が効果的でなく、凡庸な絵という印象しか受けなかった。名画家といえども得手不得手というものがあることを窺わせる。


裸婦に関しては、今回展示されていた中ではジュール・ルフェーヴルの「真理」(1870年、画像)という作品が、奇を衒うことなく女性らしい美しさを素直に描出していて好感を抱いた。ただ、この女性が頭上に掲げ持っているのがどうしても電球にしか見えなかった。トーマス・エジソンによる電球の発明は1879年とされているのでこれは時代的に合わず、実際には鏡を描いているようなのだが、それにしても“真理”の寓意としては些か安っぽい図のような気がするがどうだろう。


今回の企画で最も前面にフィーチャーされていた画家はエドゥアルド・マネで、多くの作品が展示されていたのだが、私は特に、最後に展示されていた「ロシュフォールの逃亡」(1881年頃、画像)が気に入った。ナポレオン3世に反旗を翻し、パリ・コミューンにも関わってニューカレドニアに追放されたアンリ・ロシュフォールが小舟で島を脱出する様子を描いているのだそうだ。政治的な事件を背景に持った作品ではあるが、主人公の孤独や不安といった要素よりも、私は寧ろ洗練された色彩や、粗いタッチでさざ波を描いた技法の冴えに目を奪われた。作品に内在する“精神”といったものよりも外面が与える“印象”の方が観る者の心を強くとらえるところに、印象派を代表する名画家(印象派展には一度も出展したことのないこの画家をそう呼び得るとすればだが)の面目が躍如しているといえるのかも知れない。

ポスターにも採用されていた代表作の一つ、「笛を吹く少年」(1866年、画像)は快活な笛の音が聞こえてきそうな楽しい作品。普通にいい絵だとは思うのだが、この作品が当時の画壇で物議を醸したという、その美術史上の位置付けについては、私の知識ではよく理解できなかった。


マネのほかにも印象派の作品は多数展示されていたが、誰でも知っているような有名な作品は多くなく、「印象派の風景」と題された区画はやや地味な印象を受けた。その中では私はピエール=オーギュスト・ルノワールの「イギリス種のナシの木」(1873年頃、画像)という作品が、緑の濃淡が目に鮮やかでいい絵だと思った。観ているだけで初夏のさわやかな風が(いや、いつの季節を描いたものか正確には知らないのだが)頬を撫でていくのが感じられるような気がする。


会期は今月20日までで、場所を変えての展示というのもないようなので、もう残りわずかな日にちしかないが、印象派やその周辺のフランス絵画がお好きな方には絶好の企画なので、ぜひ足を運んでみることをお薦めしたい。


関連ページ

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

ターナー展

2013年12月30日

先日、上野の東京都美術館までターナー展を観に行ってきた。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851年)といえば風景画に独自の境地を確立した画家として予てその名をよく知っていたし、独特の画風に魅力を感じてもいたが、その画業の全貌をよく理解しているわけでもなかった。それが、今年の夏に山種美術館で開催されていた川合玉堂特別展を観に行った際に、事前の予習として見たテレビの特集番組で玉堂がターナーから影響を受けていたと知って、俄然強い関心を抱くようになった。ちょうどそのタイミングだったので、私にとってはまさに見逃せない企画だったのである。


今回の展示はテート美術館所蔵の絵画が中心で、初期から晩年に至るまで幅広い作品を観賞することができるようになっている。水彩画が非常に多いのも印象的だった。先に“風景画に独自の境地を確立した画家”と述べたが、このいい方はあまり正確でないようで、そもそも自然の風景が絵画の主題として成立するようになったのがターナーによってのことだったようで、風景画というジャンルの創始者とでもいった方が適切なのかも知れない。その呼び名に相応しくどんな風景を描いても趣きがあり、何気なく描かれているように見える雲を眺めているだけでも、その豊かな表情に魅了される。

若い頃に描かれた「バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」(1798年)は明暗の対照による光の表現が見事だった。「グリゾン州の雪崩」(1810年、画像)はむき出しの荒々しい自然を描写した作品で、こうした大自然の猛威に崇高さを見出す風潮の芸術的表現として、美術史において重要な作品と位置付けられているようだ。


この頃の作品はほぼ写実的な表現に終始しているが、壮年期から晩年に至る作品には色彩表現に新たな境地を開拓しようという野心が目立つようになる。印象派を先取りしていると評されることもあるようで、その飽くなき探究心には圧倒される思いがする。「ヴェネツィア、月の出」(1840年)などはその好例で、私には寧ろ印象派よりもこちらの方が好みかも知れない。初期の水彩画には色彩があまりいい趣味とは思えないものも散見されたのだが、この時期の水彩画はどれも非常に洗練された感覚を示している。私が特に気に入ったのは4点ほど展示されていたスイスのルツェルン湖の風景を描いた水彩画で、後にラフマニノフもこの風景を愛することになるんだな、と思うとなおさら感慨深かった。

ビギニング」と題する2点の水彩画(1840年代頃)などはもうほとんど抽象画といっていい作品で、晩年のこの画家が極めて先進的な画風を模索していたことを窺わせる。「荒れた海とイルカ」(1840-45年頃、画像)はやや大きめの油彩画だが、タイトルとは裏腹に極めて抽象的な作品である。よく見ると右下あたりにイルカらしきものの姿が描かれているのだが、私にはどちらかというとカジキマグロか何かのように見えた。


風景の中に人物を配した作品も結構な数があるのだが、風景描写の巧みさに比して人物の描き方はあまりうまくないというのが一般的な評価のようだ。なるほど、よく見るとどの人物も墓場から掘り出してきたような生気のない表情をしていて、とても一流の画家の手になる人物像とは思えない。風景画に人物を描くことでより豊かな世界観を表出する手腕にかけては、川合玉堂に遠く及ばないというのが私の率直な感想である。得意でないなら無理して描かなくてもいいのに、という気もするのだが、風景だけでなく歴史画などの題材をも扱う能力を示すことが、画家としてのステイタスに関わるというような事情もあったのかも知れない。

人物を描くことで唯一成功していると思えたのが、「海の惨事(別名:難破した女囚船アンピトリテ号、強風の中で見捨てられた女性と子どもたち)」(1835年頃、画像)だった。当時実際にあった海難事故に取材した作品のようだが、独特の生気のない表情をした人物像が、悲劇的な題材をより迫真的に描出するのに功を奏している。


まあともかくこの稀代の風景画家による多数の作品が一堂に会した充実した展覧会で、その旺盛な創作意欲を残された作品から浴びるように感じ取ることができたのは充実した体験だった。玉堂が自身の画風を確立していく過程で影響を受けたという理由も、かなり理解できるようになった気がする。東京での開催はすでに会期が終了しているが、来年1月11日から神戸市立博物館で開催されるので、関西地方在住の方は足を運ばれるといいと思う。なお、今回の事前の予習にはBS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」の特集が役に立った。

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

山種美術館特別展「川合玉堂—日本のふるさと・日本のこころ—」

2013年8月31日

気がつけば今日で8月も終わりだが、今月はじめに山種美術館で開催されていた「【特別展】生誕140年記念 川合玉堂—日本のふるさと・日本のこころ—」に行ってきた。すっかり遅くなってしまったが、感想をまとめておきたい。

川合玉堂は山水を主に手がけた日本画家で、私の最も好きな画家の一人である。日本の山河を美しく、そして詩情豊かに描くことでは他の追随を許さないといっていいだろう。そして玉堂の絵には、山河を主題としていてもほとんどの場合にそこで生きる人の姿が描かれているのが特徴で、そのことが玉堂絵画を単に美しいだけではない、真の芸術作品として深い精神性を湛えたものにしている。今年が生誕140周年、明治6年(1873年)の生まれということは、奇しくも私の敬愛するロシアの作曲家、セルゲイ・ラフマニノフと同年ということになる。


今回の展示では、若き日の写生帖から晩年の滋味溢れる傑作群まで、多彩な作品が紹介され、玉堂芸術の全貌を概観できるものとなっている。木曽川のほとりに生まれたということもあって好んで描いた「鵜飼」の数点、「渓村春雨」や「水声雨声」の水車小屋に細かい雨がそぼ降る風景など、どれもたまらなく郷愁をそそる、見事な作品である。じっと見ていると農婦の話し声や、やさしい雨がその肩を濡らす音まで聴こえてきそうな気がする。

春渓遊猿」は風景の中に小さく描かれた猿たちの姿が愛おしく、「動物をいつくしむ」と題して別室に掲げられたいくつもの作品とともに、玉堂が人に限らず生きとし生けるものに深い愛情を注いだ様子を窺わせる。

少年時代の鳥の写生などは実に精細に描かれていて、早熟な才能を感じさせるとともに、玉堂の画業が元々は技術的な正確さへのこだわりから出発していたことを窺わせて興味深い。しかしそうした高精細な写生よりも、晩年に描かれたへたうま風の人物像の方がはるかに味わい深く感じられるのが、芸術というもののおもしろさである。

焚火」は30歳頃の作品で、後年に繰り返し描くことになる“自然の中に生きる人々”というテーマを先取りしている一方で、人物の描き方がまだかなり写実的であるところが特徴的である。晩年の滋味溢れる詩的な人物像と趣きは異なるが、これもまた玉堂芸術の一つの精華といっていいだろう。直接には全く関係ないのだが、私はこの絵を見ると、岡本おさみさんの作詞による「襟裳岬」が、元は「たき火」と題する一編の詩だったというエピソードを思い出す。

玉堂としては比較的めずらしいのではないかと思うが、屏風絵も数点、展示されていた。特に尾形光琳風の「紅白梅」は紅白の梅を遠近に配した構図の妙と気品のある花ぶりが素晴らしく、枝に止まる四十雀の愛らしい姿がまたいかにも玉堂らしい。

もう一点めずらしいと思ったのは、日本人初のオリンピック代表となったフィギュアスケート選手、稲田悦子のリンク上の姿を描いた「氷上(スケート)」である。稲田は当時29歳だそうで、きれいな曲線を描くエッジの軌跡としなやかなポーズにオリンピック代表選手としての実力を彷彿とさせている。日本の山河を数多く描いた玉堂に、まさかフィギュアスケートを主題にした作品があったとは意外だった。

《氷上(スケート)》(山種美術館)。軽やかに舞うのは、弱冠12歳でオリンピック出場経験をもつ稲田悦子選手(当時29歳)。玉堂は、青梅や信州でスケートを見に行き、リンクで一人長靴を履いて写生していたそうですよ。(山崎) pic.twitter.com/JsSNwZ2Jra

— 山種美術館 (@yamatanemuseum) August 2, 2013

期間中に展示替えがあることに気づくのが遅れて「二日月」など重要な作品のいくつかを見逃してしまったのが心残りだが、玉堂ならではの名作の数々から意外な逸品まで、多彩な画業にふれられて満足のいく体験だった。真の芸術とは、作品そのものの価値はもちろんのこと、そこから作者の高潔な精神までをも感得させるものなのだということを、あらためて思い知った気がする。


この展示企画をめぐってはNHKの『日曜美術館』で特集があり、これがまた非常に充実していて興味深い内容だった。たとえば自身の画風を確立すべく模索していた若い頃に、ジャン=フランソワ・ミレーウィリアム・ターナーなどの西洋画から影響を受けていたということはこの番組で初めて知った。

岩に打ちつける荒々しい波の姿を描いた「荒海」は文部省戦時特別美術展に出品された作品で、戦意高揚を計る目的の展覧会だったのだが、その要請に玉堂は戦闘の様子も兵卒もなく、人の姿すらない一幅の風景画を以て応えたのだった。画家は直接には多くを語らなかったが、近しい人たちは静かな抵抗の意思を読み取っていたようだった。

晩年に至るまで創作に意欲を止むことなく、戦時中に疎開して移り住んだ青梅の風景などを描いては、親しい人に贈るのを習いとした。亡くなる前には、好きな絵を描いて生涯を過ごしたことに満足しつつも、有名になり過ぎたために絵を描く時間を制約されたことを惜しんでいたという。もっと沢山の絵が描けたのに、もっと沢山の人に絵を差し上げることが出来たのに、という慨嘆の言葉に、この稀代の芸術家の素朴で飾らない人柄と高邁な志を見る思いがする。

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

「奇跡のクラーク・コレクション」

2013年5月29日

先日三菱一号館美術館に「奇跡のクラーク・コレクション」を見に行ってきた。この美術館はオフィス街の真ん中にある赤煉瓦のイギリス風建築で、明治時代のオフィスビルを模して近年再建されたものらしい。周辺の駅からのアクセスが少しわかりづらかったり、館内の移動経路の導線があまり効率的でないように感じられたりもしたが、なかなかに趣きのある建物だった。中庭がちょうどバラの盛りだったこともあり、展示を見るのはもちろん、この美術館を訪れること自体が楽しい体験でもあった。

座る裸婦

この展覧会は主にルノワールなど印象派の画家を中心に据えた企画なのだが、私が最も目当てにしていたのはウィリアム・アドルフ・ブグロー(1825年 - 1905年)の「座る裸婦」(1884年)だった。印象派の画家たちの作品についてはよく知られ人気も高いが、私は寧ろアカデミズム絵画に属するアングルやブグローの描く女性像に強く惹かれるものがある。ドミニク・アングルは有名なので昔から知っていたが(「」は誰もが一度は目にしたことがあるだろう)、ブグローという画家は割りと最近になって知った。何がきっかけだったかはもう覚えていないのだが、どのような作品があるかネットで調べてみて、気品のある女性像の数々にひどく魅了された。いつか実物を見る機会があればとおもっていたところ、今回の企画にブグローの作品が含まれていることをたまたま知って出かけて行った次第なのだが、やはり本物には匂い立つような気品と美しさがあり、これを目にすることができたのは幸せな体験だった。

Wikipediaでブグローについて調べると次のようなことが書かれている。

構図や技法はアカデミックなものだが、官能的な裸婦像、可憐な子どもの像、憂愁を帯びた若い女性の像などに独特の世界を築いている。甘美で耽美的な彼の画風は当時の人々の好みに合ったと見え、生前には彼の名声は非常に高かったが、20世紀以降、さまざまな絵画革新運動の勃興とともにブグローの名は次第に忘れられていった。再評価されるようになるのは20世紀末のことである。

……

20世紀に入り、印象派、ポスト印象派、キュビスム(立体派)などのモダニスムの台頭とともに、これに対抗する旧勢力としてのアカデミックな絵画は等閑視されるようになり、やがて美術史から忘れ去られた存在となった。しかし、20世紀末頃からアカデミスム絵画を再評価し、美術史の上で正当に位置付けようとする動きが高まり、ブグローについても再評価がなされるようになった。

ウィリアム・アドルフ・ブグロー - Wikipedia

何だかどこかの作曲家と似たようなことをいわれていて苦笑してしまうのだが、こうした再評価が順調に定着していくことを望みたい。ただし現状ではまだまだというところのようで、美術館のショップでもこのブグローの絵は絵葉書が売られていなかった。おそらく主催者からはこの絵が集客力のある呼び物だとは認識されていないのだろう。今回はたまたま運よく展示にブグローの作品が含まれていることに気づいたが、下手をするとせっかく作品が日本に来ているのに気づかずにに見る機会を逃してしまうということもありそうで、今後注意していかないといけないな、と思った。


もちろん印象派も決して嫌いなわけではなく、ルノワールの描く女性像もすばらしく魅力的だった。ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年 - 1919年)の作品としては、特に三つ並んで飾られていた「若い娘の肖像(無邪気な少女)」(1874年頃、画像)、「うちわを持つ少女」(1879年頃、画像)、「かぎ針編みをする少女」(1875年頃、画像)が圧巻の美しさだった。「テレーズ・ベラール」(1879年、画像)はやや古典的な手法に近い作品とのことだが、背景の色彩のグラデーションを見ているだけでも飽きない。

後に妻となるアリーヌ・シャリゴをモデルにした有名な「金髪の浴女」 (1881年、画像)も展示されていたが、裸婦に関しては私はやはりブグローを推したい。「シャクヤク」(1880年頃、画像)は他の作品にくらべるとやや色彩が派手な印象を受けたが、やはり独特の美しさがある。「タマネギ」(1881年、画像)は静物画なのになぜか色っぽいというユニークな作品で、これを見られたのもラッキーだった。

ほかに私が特に気に入ったのはエドゥアール・マネ(1832年 - 1883年)の「花瓶のモスローズ」(1882年、画像)だった。晩年ですでに健康状態が思わしくなかったとのことで小ぶりの作品だが、バラの花の透明感ある色彩が素晴らしく、この画家の力量を窺い知るに十分だった。


ここで挙げた以外にも、バルビゾン派やポスト印象派など多彩な作品が展示されていて、実に充実した展覧会だった。東京の三菱一号館美術館での展示はすでに終了しているが、6月8日から9月1日まで兵庫県立美術館で展示されるので、関西地方在住で印象派やその周辺の画家がお好きな方はぜひ見に行かれるといいと思う。


Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

「真珠の耳飾りの少女」

2012年8月27日

24日の金曜日に現在東京上野の東京都美術館で開催されているマウリッツハイス美術館展を観に行ってきた。この展覧会の目玉は何といってもヨハネス・フェルメール(1632年 - 1675年)の「真珠の耳飾りの少女」である。

真珠の耳飾りの少女

この絵は地下の入り口から一つ上がった一階の最初の位置に展示されていて、最前列で鑑賞するためには長い列に並ぶように誘導されている。私もそれに並んだのだが、最後尾から遠目に観た時点でもう、あの視線が目に突き刺さってきた。私はあまりに世の中で名作と騒がれたりするとひねくれて「本当にそうか?」と疑ってしまうたちなので、美術館に向かっている最中は半信半疑で「いわれるほど美少女ではないような」とか「眉毛がなくてこわい」「武井咲さんの方がかわいいだろ」などいろいろと下らないことを考えていた。しかし実際に観てみるとやはり絵から発散されるオーラには尋常ならざるものがあった。ずっと以前に実物を観たこともあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」は正直いって名画だといわれる理由を理解できたことがないのだが、この絵は紛れもなく本物の名画だと思った。

最前列では止まらずに歩いて観賞するよう指示されていたのであまり細部を丹念に観察することは困難で、両目の瞳や唇の両端に白い輝点が描かれていることなどは確認している余裕がなかった。しかし美術史の専門家などではなく、日ごろ熱心に美術館に足を運んでいるような美術ファンですらない私には、あの観る者の心を射抜くような無垢な視線を全身で体感できただけでも十分だろう。


このほかにフェルメール作品としてはもう一点、「ディアナとニンフたち」が展示されている。これは画家の若い頃の作品だそうだが、ディアナの服の色が“少女”と似通っているなど、鮮烈でありながらも決してけばけばしくならない色彩感覚にフェルメールらしさが窺える気がする。その一方で、ディアナもお付きのニンフたちも誰一人としてまともに顔が描かれていなかったり、神話に題材を採っているのに人物に少しも神々しさが感じられないあたりに未熟さが感じられる、などと生意気に考えたりもした。

フェルメール以外で目を引くのは6点ほど展示されているレンブラント・ファン・レイン(1609年 - 1669年)の作品で、特に名高い最晩年の自画像には、この稀代の肖像画家の力量と素顔の人物像とが表されているような気がする。「水浴するスザンナ」は旧約聖書の外典に題材を採った、なかなかエロティックなシチュエーションを描いた作品なのだが、私の感覚では惜しいかな色っぽさが少し、というかかなり足りない、というのが率直な印象である。(当時のヨーロッパ人にはああいうむっちりとした肉付きの女性が好まれたのだろうか。)

このほか注目すべきなのは「フランダースの犬」に登場することでも知られるアントウェルペン大聖堂の祭壇画「聖母被昇天」のペーテル・パウル・ルーベンス(1577年 - 1640年)自身による下絵である。下絵とはいえそれなりの大きさで細部まで入念に描かれているので十分に見応えがある。特にアニメ好きの方にはうれしい展示だろう。


呼び物となっている「真珠の耳飾りの少女」のほかは全体にやや地味な印象も受ける今回の企画だが、この名高い美少女に逢うだけのためにでも行ってみる価値は十分にある。東京都美術館では来月17日まで開かれているので、美術にあまり関心がなくても美少女にはちょっと興味があるという方はお出かけになってみるといいと思う。来月29日から来年の1月6日までは神戸市立美術館で開催されるので、関西地方の方はお楽しみに。

なお、東京都美術館の展示ではショップの出口を出たスペースの奥の方に、この企画のプロモーションのために少女の姿を再現した武井咲さんが実際に着用した衣装が展示されている。武井さんのファンの方は必見である。うっかりすぐ手前にある下りのエスカレーターでそのまま階下に降りていってしまわないようご注意を。



それにしてもこの映像、BGMにマーラーの交響曲を使っているのは何ともミスマッチという気がする。グスタフ・マーラー(1860年 - 1911年)と同時代の画家というと、直接の関わりがあったかは定かでないが同じウィーンで活躍したグスタフ・クリムト(1862年 - 1918年)が思い浮かぶが、マーラーやクリムトが体現する19世紀末ウィーンの爛熟した文化の香りは、(イマニュエル・ウォーラーステインの用語でいう)世界=経済のヘゲモニー国家として勢威を誇った17世紀オランダの清新な気風とは、かなり趣きの異なるものであるように思われる。

フェルメールとはやや時代が異なるが、同じ地域で活躍したフランドル楽派と呼ばれる人たちが、音楽史では重要な位置を占めている。現在では演奏や録音される機会はそれほど多くないが、この楽派の作曲家による一般にはあまり知られていない隠れた名曲でも使った方がよほど気が利いているのに。…などとこの楽派についてろくな知識のない私がいっても全く説得力がないのだが。

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

シス・カンパニー公演『ガラスの動物園』

2012年4月 3日

前回のエントリーに引き続き演劇の話題になるが、先月の29日にBunkamuraシアターコクーンでシス・カンパニーによる『ガラスの動物園』の公演を観た。お気に入りのこの作品を、今や日本を代表する大女優となった感のある深津絵里さんの演技で観られるということで、これは観ておかなければ、と思い渋谷まで足を運んできた。

この戯曲は20世紀のアメリカを代表する劇作家の一人、テネシー・ウィリアムズの出世作で、一つの家族が崩壊していく過程を詩情豊かに描いた名作である。自伝的な要素の強い作品で、舞台の設定や登場人物のキャラクターには作者自身の生い立ちや家族の肖像が色濃く反映されている。特に作者の姉への痛切な思いが全編に溢れていて、これを書いていた当時はもとより、亡くなるまで決して癒えることのなかったであろう生々しい傷の痛みが、登場人物たちによって語られるみずみずしい言葉のはしばしから、ヒリヒリと伝わってくる。1930年代のセントルイスという時間も空間も隔たった場所が舞台だが、“無縁社会”などという言葉が流行語となるような昨今の日本の社会の状況にあっては、最小単位の共同体である「家族」というテーマは切実に身に迫る題材でもある。


ローラ役の深津絵里さんはまさに今が旬の名女優。幅広い芸域を持った役者さんだが、特にこういう繊細で可憐な女性を演じさせたら今この人の右に出る者はいないと思う。例えば劇の最後、アマンダが持ち前の南部アメリカ風のもてなし術で快活にジムに応接する脇で、蓄音機の傍らに呆然と佇んでいるだけのローラの姿がたまらなく切なく映る。もちろん作者の卓越した作劇術ゆえのことなのだが、こういうシーンを深津さんのような女優さんの演技で見るのはまた格別なものがある。いかにもローラに相応しいか細い声ながら、言葉がはっきりと明瞭に聴き取れる発声なども—役者として当たり前の技術なのだろうが—さすがだと思った。

期待を裏切らない名演を見せたもらったと思う一方で、同時に少し役柄を作り込み過ぎているという印象を受けるところもあった。例えば足が悪いという設定は作者も「舞台上では暗示以上に強調する必要はない」と指定していて、極端にいえば足を引き摺るような仕草は一切見せなくても、観客の側の想像力に委ねてしまっていいところだと思うのだ。当惑して蓄音機のぜんまいを巻く仕草なども私は大仰に過ぎるように感じたのだが、このあたりは笑いの要素も積極的に採り入れるという演出の方針もあってのことだったかも知れない。まあローラという役柄は—もちろん現実の作者の姉がモデルになっているにしても—ウィリアムズがその天才的な詩的想像力によって作り出したかなり非現実的なキャラクターなので、こういう役を力を抜いて自然体で演じるというのもなかなか難しいことかも知れない。しかし深津さんの力量を以てすればそれも決して不可能ではなかったと思う。

劇場で売られていたパンフレットを丹念に読むと、彼女が共演の役者さんたちからもリスペクトされている様子が窺えて興味深いのだが、本人は至って謙虚で、幼稚園のお遊戯会では“草”の役だった、なんてエピソードを披露している。きっと素顔が可憐な人なのだろうけど、演技というのは可憐な人が可憐な役柄を演じれば可憐な人物が出来上がる、なんてなまやさしいものではないはずで、そこに役者としての確かな技術の裏付けがなければ、これほど鮮明に役柄の人物像が浮かび上がるものではないだろう。しかしどうも深津さんという女優さんは、そういう自分の能力に対する自意識みたいなものは希薄な人のようだ。

謙虚なのも結構だけど、彼女が今後さらに飛躍していく上で必要なことが何かあるとすれば、それはもっと自分の技術や才能に確かな自信を持つことではないだろうか。…などと偉そうにもそんなことを考えてみたのだけど、これはローラと同じだな、と気づいたら何だかおかしくて、一人で笑ってしまった。


トム役の瑛太さんもまた実に相応しい配役で、青年詩人の持つ繊細さと粗暴さの両極を大きな振幅で演じて見せた。この俳優さんについてはこれまでほかに大河ドラマ『篤姫』での小松帯刀役くらいしか見たことがないのだが、最近の自動車のCMそのままに、一見やさ男風の風貌の下に確かな役者魂を秘めた人、という印象がある。何より初演から70年近くが経つこの劇が紛れもなく“現代劇”なのだということをはっきりと印象づける清新さが、彼の演技からは感じられた。

欲をいえば、振れ幅の大きな抑揚の中に、それがトムの心理の内的必然によって引き起こされているのだと自然に感じられるところがもっとあればなおよかった、とも思った。例えばジムに「倉庫をクビになるぞ」と脅されて「倉庫もミスター・メンドーザもない世界に跳び出すんだ」と返す場面。ここは親友との平穏な会話のうちにトムの現状への強い苛立ちや焦燥感が滲み出てこなければおかしいところだが(ト書きには「トムは静かな昂奮をもって話す」と指定されている)、言葉があまりに一本調子に過ぎて行くのでこちらにはそうした風情を感じ取る余裕がなく、記憶の中からこの部分のテクストを思い起こして理解を補わなければならなかった(ということは戯曲を読んでいない人にはトムがこの部分でどういう心情を吐露しようとしていたのかが十分に理解できなかったのではあるまいか)。


アマンダを演じたのは立石凉子さん。今回の四人の配役の中で最も無理なく役柄にはまっていたのはこの人だったと思う。このアマンダという人物はかなり戯画的な描かれ方をしているので、かなりの量のセリフを早口でまくし立てなければならないという物理的な意味での困難さを別にすれば、トムやローラにくらべれば演じやすいという面はあるかも知れない(ウィリアムズは「類型のコピーに終わってはならない」と指定しているが、そう見えてしまうとすればそれは作者の責任によるところが大きいだろう)。しかしともかく、戯画的で滑稽であるにも関わらず、あるいはそれゆえにこそ滲み出る、ローラとは全く違った種類の可憐さが、立石さんのアマンダからは自然に感じられたのがよかった。

ジム役の鈴木浩介さんは野心的な出世主義者という側面よりも感じのいい好青年という面を強調して演じて見せた。ジムという人物の造形の仕方にはもっと違ったアプローチもあり得るだろうけど、私はやはりこういう方向性がいいと思う。ローラにキスして虚しい望みを抱かせてしまうところなどはある意味かなり残酷なのだが、鈴木さんはパンフレットに寄せた文章の中で、「熱弁を振るううちにベティのことなんかすっかり忘れて(笑)、その瞬間は本当にローラに惹かれてるんじゃないかな」と述べている。この意見には私も全面的に賛成である。


演出の長塚圭史さんはこの劇の悲劇的な性格をことさらに強調するのではなく、適度に軽快な笑いの要素も採り入れて作品に豊かな彩りを添えている。特にジムのキャラクターなどは、今は冴えない仕事に就いているとはいえ高校時代には花形スターだったという面をもう少し役柄に反映させた方が自然だと思うが、ここではかなりおどけた調子の三枚目として演じられている。これは配役の鈴木さんの個性によるところも大きいのだろう。

もちろん、悲しい物語だからといってひたすら陰鬱に演じればいいというものではなく、作者自身、ローラの絡む場面にさえ明らかに笑いをとることを意図したセリフを配している。そんなセリフの一つが、キャンドルをはさんでジムと向かい合うシーンでのローラの「私は—見えます」だが、目を引いたのは、このセリフに対するジムの反応が、いわゆる“ノリ突っ込み”になっていたことだった。こうした翻訳劇で関西芸人風のノリ突っ込みを見ようとは実に意外で、こんなところに長塚さんや出演者たちが風通しのいい稽古場から自由な感覚でこの劇を作り上げてきた様子が窺われるようで、興味深く感じた。


この公演では古家優里さん率いるダンスグループ「プロジェクト大山」による舞踏が呼び物の一つになっていた。役者の演技の邪魔にならないよう巧みに存在感を消しながら登場人物が四人しかいない舞台にアクセントを与え、しなやかな身のこなしで舞台の模様替えまで担当する様子は見ていてなかなか面白かった。しかしこの演出が劇の筋立てや詩情を伝える上で十分に効果的だったかというと、そこはやや疑問に思う。

これと似たような趣向として、2004年のグラインドボーン音楽祭でラフマニノフのオペラ、『けちな騎士』が上演された際に、原作にない擬人化された“吝嗇の精”を女優さんがパントマイムで表現する、というのを(TVでだが)観たことがある。この演出は劇の主題を視覚的に描き出す上で非常に効果的で、深い感銘を受けたものだった。(この上演の模様はブルーレイディスクで観ることができる。)

それと比べると今回の公演での舞踏の使用には、必然性というものがあまり感じられなかった。もっとも、『けちな騎士』 の場合、滅多に上演される機会のない作品を何とか忘却の淵から救い出すためには、どうしても何かプラスアルファが必要だという事情があった。逆に考えると、今回の演出があまり鮮烈な印象を残さなかったのは、何度も繰り返し上演されてきた名作に、それまでにない新たな趣向を付け加えるのはなかなか容易でないことを物語っているのかも知れない。


私はこの戯曲には小田島雄志さんの名訳で親しんできたが、今回の上演の台本を手がけたのは徐賀世子さんである。この新訳はベタなダジャレがこなれた表現になっているな、と感じる部分が多々あった一方で、小田島さんならではの気の利いた言い回しが平板で無粋なものに置き換わってしまっているように思える箇所も散見された。

一例だけ挙げると、ローラがジムの手に角の取れたユニコーンを握らせてつぶやくセリフ。ここでウィリアムズは「souvenir」というフランス語由来の美しい言葉を用いているのだが、このセリフが徐さんの訳では「おみやげに」となっていた。もちろん決して間違っているわけではないが、極度に内気な女性が淡い恋心を寄せていた男性と短いが濃密な時間を計らずも過ごし、もう二度と会えないと悟って自分が最も大切にしている品物を手渡す際の説明が「おみやげ」というのは、私の感覚では無粋に過ぎる。この部分、小田島さんの訳では「今夜の—記念に……」である。


総じていえば、作品の真価を清新な感覚とともに提示してみせた、上質な公演だったといえると思う。いくつか挙げた批判めいた事柄も、作品のファンであるがゆえの欲深な要求とでもいうべきものに過ぎない。ただ、はっきりと強い不満を表明したい点が一つだけあるとすれば、それは音楽である。スタッフのクレジットには音響担当の方のお名前はあるのだが、音楽監督に相当する役回りの人は置いていないようで、何とも味気ないおざなりの音楽が必要最小限使われているだけだった。しかしこの劇は、作者が「上演のためのノート」でかなりこだわって音楽の重要さを強調しているのだ。

例えば母親の選んだドレスを着て、“かわいいペテン師”(徐さんの訳では“ちっちゃな嘘つき”だったかな?)も仕込んだローラがひとり鏡の前に立つ場面。ここは初版ではスクリーンの字幕に「これが姉のローラだ—音楽で祝福を!」と映し出すよう指定されていたところで、作者の意思を尊重するならここはとびきり上等の音楽が鳴っていなければならない場面だった。こういう大事なところで音楽がないというのは、何とも寂しい思いがした。ローラが母親に促されて月にお祈りをする場面なども音楽の使用が効果的だったはずだ。これでもし音楽監督に例えば大島ミチルさんを迎えていたらどんなによかっただろう、と夢想してしまうのだが…。まあさすがにストレートな台詞劇にそこまで要求するのは欲深に過ぎるというものか。


それにしてもあらためて感じさせられるのは、テネシー・ウィリアムズの戯曲の素晴らしさである。生き生きと血の通ったセリフ、巧みな劇の構成、全編に溢れる豊かな詩情。そのどれもが相俟って、この上なくデリケートで親密な追憶の世界を作り出している(立石凉子さん「痛みと不思議な優しさに包まれている世界」、深津絵里さん「完璧な人は誰も出てこなくて、みんなが愛おしい」)。小田島雄志さんは新潮文庫版の解説で「見るたびに読むたびに、新鮮な感動を覚える」と述べているが、私も初めて読んでからもう20年以上が過ぎているが、あの時の新鮮な感動は今も少しも色褪せず胸に蘇ってくる。

悲しいお話だし、最後に救いの光明みたいなものが見えてくるわけでもない。ここに提示されているのは作りごとではなく、作者自身が生涯にわたって背負うことになった生々しい傷跡そのものである。それでもこの戯曲を鑑賞した後では、人という存在がより愛おしくなり、日々何気なく過ごしている瞬間瞬間がきらきらと繊細な光芒を放ち始めるように感じられる。生きることは悲しいことだけれど、私たちの体を通り過ぎていく時のかけらを、脆くてこわれやすいガラス細工のように愛おしみつつ過ごすことは、確かに貴く価値あることであるに違いないと信じさせてくれる、私にとってそんな作品である。


最後に、劇場で配られたアンケートに応えそびれてしまったので、代わりにここで回答しておくことにしたい。こんな辺境サイトが関係者の目に留まるとも思えないけど、自分の中のけじめとして。


この公演を何でお知りになりましたか? (該当するもの全てに○をつけてください。)
d. 新聞・雑誌 [誌名: 朝日新聞2月23日夕刊]
この公演をご覧になったきっかけは何ですか? (該当するもの全てに○をつけてください。)
a. 出演者 [深津絵里さん] b. 作品 c. 作家
この公演でよかったものは何ですか? (該当するもの全てに○をつけてください。)
a. 戯曲 b. 演出 c. 出演者 [全員]
(以下四つの設問は割愛)
この公演の感想などございましたら、お書き添えください。
詳しくは上に述べた通りだけど、とにかく今をときめく大女優、深津絵里さんを擁してこの劇を、という企画自体が秀逸でした。パンフレットの長塚さんの「ごあいさつ」などを読む限りでは予てからお気に入りの作品だったというわけではないようで、この企画がどういう経緯で立ち上がってきたのかよくわからないけど、ともかくこれを発案された方に敬意を表します。

関連ページ

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

グルジア国立バレエ『ロメオとジュリエット』

2010年6月10日

グルジア国立バレエの『ロメオとジュリエット』の舞台が先週金曜に教育テレビで放送されたが、録画しておいたものを見た。バレエには全く詳しくなく、この作品は初めて見たのだが、ジュリエット役のニーナ・アナニアシヴィリさんの踊りが際立って優美で品格が高いのは初心者にもはっきりとわかった。既にお年は40を大きく越えていて、全幕物の主演をつとめるのはこれが最後とのことなのだが、それでも立派に14歳の少女に見えてしまうところがすごい。

対してロメオ役のアンドレイ・ウヴァーロフさんが16歳の少年にはとても見えなかったのが惜しまれる。いや、決して老けて見えたわけではないのだが、体格があまりに屈強過ぎて、この感受性豊かな少年を演じるのに相応しい繊細さが、身体の所作から感じられなかったのだ。


セルゲイ・プロコフィエフのこの作品は音楽だけなら(抜粋で)何度か聴いたことがあるが、音楽だけでは正直さほど魅力的とも思えなかったのだが、これはやはりバレエのための音楽なのであって、実際にダンサーたちに踊られることによって光り輝く作品なのだと実感した。ダヴィド・ムケリアさん指揮による東京ニューシティ管弦楽団は弛緩のないきびきびとした演奏でダンサーたちを引き立てていた。


ウィリアム・シェイクスピアによる原作には名高い「薬屋の場」というのがあるのだが、このバレエ版ではそれが全く影も形もないということは初めて知った。ジュリエットが死んだと聞かされて死を決意したロミオが貧しい薬屋から毒薬を買う場面はこの劇のハイライトの一つと云うべきもので、この場面こそが『ロミオとジュリエット』に単なるメロドラマにとどまらない深みを与えているのだ。この劇を翻案するのにこの場面を省略してしまうというのは私には考えられないのだが、この名場面の価値をセリフ抜きで身体の所作だけで表現するというのは、確かにあまりに困難かも知れない。


音楽が好きでフィギュアスケートにも興味があるとなると、バレエにも当然関心があっていいはずなのだけど、これまでなぜかあまり食指が動かずにいた。でもこれから少しずつ学んでみるのもいいかな、と思い始めている。

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

チェーホフとルビンシテイン兄弟

2010年5月30日

以前述べたように、私が最初にロシアの芸術に関心を抱くようになったのはアントン・チェーホフの戯曲を読んだのがきっかけだった。チェーホフは帝政末期に活躍したロシアの作家、劇作家で、特に『かもめ』などの作品を通じて世界の演劇史に革命をもたらした、偉大な芸術家である。

そのチェーホフは音楽を愛した人で、その創作においても音楽から大きな影響を受けていたことが指摘されている。チェーホフの作品には当時のロシア社会に横たわる深刻なテーマを取り扱ったものが多いが、それにも関わらずその筆致には常に抒情詩的な美しさが湛えられている。そのことがチェーホフ作品の大きな魅力となっているのだが、そうした彼の作風を支えていたのは彼が生涯愛してやまなかった音楽だったのである。

そしてチェーホフは当時の多くのロシアの音楽家たちと関わりがあった。その中にはロシアの音楽史上の重要人物も多く含まれている。昨年夏に予告してからかなり日が経ってしまったが、そのことをこれから少しずつ述べていきたい。なお、本稿の内容はそのほとんどをエウゲーニイ・バラバノーヴィチ著、中本信幸訳「チェーホフとチャイコフスキー」(新読書社)に依存している。この本はモスクワのチェーホフ博物館に長年勤務しチェーホフ研究に生涯を捧げた著者による労作で、ロシアの芸術に関心のある方にはたまらなく興味深い内容が記されているので、ぜひ一読をお薦めしたい。


今回はまずルビンシテイン兄弟のことについて説明したい。アントン・ルビンシテインは19世紀のロシアを代表する作曲家、ピアニスト、指揮者であり、大公妃エレーナ・パーヴロヴナとともにロシア音楽協会を設立し、その後のロシアの音楽界に多大な影響を与えた人物である。彼の影響下に西欧の音楽理論を重視するロシア音楽の流派が形作られ、グリンカの流れを汲む五人組などの国民楽派に対抗する勢力をなしたのはよく知られるところである。

チェーホフは若い頃、このアントン・ルビンシテインと容貌が似ていて、家族の間で“ルビンシテイン”と呼ばれることもあったのだという。画家の兄、ニコライ・チェーホフがこの頃の作家の姿を描いた肖像画が残っているのだが、それはイリヤ・レーピンによるアントン・ルビンシテインの肖像画を意識して、両者の類似を強調したかのような作品なのである。

チェーホフはこの自身と同名の音楽家による交響楽の演奏会に足を運んだことがあった。また正確な記録は残っていないようだが、バラバノーヴィチはピアノ・リサイタルをも聴いたに違いないと推測している。チェーホフは冗談交じりに この世の中には二人のアントンしか存在しない。ぼくとルビンシテインだけだ。ほかの人たちをぼくは認めない。 などと語ったりもしたというから、よほどその演奏から深い感銘を受けたものと思われる。


このアントン・ルビンシテインの弟、ニコライ・ルビンシテインもまた著名なピアニストで、ロシア音楽史の重要人物である。正確な記録は残っていないようだが、チェーホフはこのニコライの演奏も聴いたことがあるらしいのである。というのも、やはり当時の著名なピアニストであるピョートル・ショスタコフスキーの演奏について批評した文章の中で、チェーホフはニコライを引き合いに出しているからだ。チェーホフが実際に聴きもしないで演奏内容を論じるという無責任なことをするとは考えにくいので、ニコライの演奏をも聴いたことがあるのはほぼ間違いないと思われるのである。

チェーホフがモスクワ大学医学部入学のためタガンロークからモスクワへ出てきたのが1879年のことだった。一方ニコライ・ルビンシテインは1881年2月に亡くなっており、前年の1880年のうちにはすでに病気のために演奏活動を停止している。ということは、チェーホフは大学入学から間もない、おそらくは勉学のみならず新生活への適応にも追われて多忙だったであろう時期に、数少ない機会をとらえてニコライの演奏を聴いていたことになる。バラバノーヴィチはチェーホフが聴いたのは1880年3月14日に行われた演奏会だったであろうと推定している。


ルビンシテイン兄弟とは直接の交流はなかったようだが、このような形で縁があったということだけでも、十分に興味深い事実だと思う。ロシアの音楽界に偉大な足跡を残したこの兄弟は、若き日のチェーホフを感化したことによって、文学や演劇にも間接的な影響を及ぼしたといえるのである。


関連ページ

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村

井上ひさしさん 逝去

2010年4月12日

作家、劇作家の井上ひさしさんが9日午後に亡くなった。私は井上さんの作品をそれほど多くは知らないのだけど、2008年に上演されたものを見た道元の冒険』は実に素晴らしい作品だった。笑いのとり方はほとんどドリフターズのコントのようなチープな構成ながら、そこに禅の思想のエッセンスを取り込んでいく作劇術は見事というほかなく、こんな芸当のできる劇作家は世界広しと雖もそうはいないのではないか。

高齢となっても旺盛な創作意欲は衰えることを知らず、最近まで『ムサシ』や『組曲虐殺』などの新作を世に送り出していた。惜しい人を喪ったものである。謹んでご冥福をお祈りしたい。

Bookmark and Share BlogPeople 人気ブログランキング にほんブログ村
  

最新のコメント

アーカイブ

author

author’s profile
ハンドルネーム
sergei
モットー
歌のある人生を♪
好きな歌手
本田美奈子さん、幸田浩子さんほか
好きなフィギュアスケーター
カタリーナ・ヴィットさん、荒川静香さんほか

最近のつぶやき

おすすめ

あわせて読みたい

Giorni Cantabili を読んでいる人はこんなブログも読んでいます。