ゴーストライター問題について

2014年2月27日

世の中を騒然とさせた佐村河内守さんのゴーストライター問題、そろそろ騒ぎも沈静化してきているが、個人的な感慨をここに少し記しておきたい。何となく夜更しして特に目的もなく眺めていたツイッターのタイムラインに驚愕のニュースを見つけたのが2月4日の深夜(5日の未明)、これは大変なことになるとはその時直感したが、翌日以降の騒動の広がりは、私の当初の想像を遥かに超える規模だった。彼の音楽のファン層はクラシックの愛好家のうちでもやや限られた人たちなので、関心を持つのは一部の階層にとどまるだろうと思っていたのだ。しかし世の中はこの話題で持ち切りになり、NHKが特集を組んだりオリンピックが絡んだりといったことにもなると、単なる一音楽家のスキャンダルではすまなくなるのだと思い知った。

実は私は佐村河内さんの作品が世に知られるようになる過程を、主にネットを介してだが、割りと早い時期から観察していた。私がツイッターのアカウントを開設したのが2010年3月のことだったが、初期からフォローしていたのが日本コロムビアのディレクター、岡野博行さんのアカウントだった。というより、岡野さんがツイッターでの情報発信を始められたので、それをフォローする必要性を感じたことが、ツイッターに登録した大きな理由の一つだった。最近はたまにしかつぶやいておられないが、その頃は岡野さんもかなりの頻度でツイートを更新していて、その年の4月に佐村河内さんの交響曲の東京初演を聴いたことも、興奮気味に報告されていた。その頃は読み方がわからなくて「さむらかわちのかみ」とはまた古風な名前だな、などと思っていたのは、今となっては懐かしい想い出だ。

吉松隆さんのブログ記事によると佐村河内さんを岡野さんに引き合わせたのは吉松さんだったようだが、以後、コロムビアが佐村河内作品を積極的にプロモートしていく過程を、私は主に岡野さんのブログやツイッターを通じて知ることとなった。「HIROSHIMA」のレコーディングセッションが東北の震災後最大の余震に襲われたさなかに行われた様子などは、ブログに詳細に綴られている。岡野さんは本田美奈子さんをクラシックとのクロスオーヴァー路線に導いた立役者でもあり、クラシック音楽を幅広い階層に親しみやすく紹介しようとする姿勢に共感を抱いていたので、私は佐村河内さんを、というよりむしろ岡野さんを応援するような心持ちで、一連の経過を見守っていた。

関連する議論の中で名前が挙げられる機会はあまり多くないが、この事件をめぐる最大のキーパーソンは、実は岡野博行さんだと私は思っている。岡野さんの尽力がなければ、佐村河内作品がここまで広く世の中に知られることには決してなっていなかったはずだからだ。真相が発覚して最も頭を抱えているのも、おそらく岡野さんだろう。コロムビアから社としてのコメントは公式サイトに掲載されたが、岡野さん個人としては、週刊文春の記事で紹介された「佐村河内さんが言うことを信じてあげようと思います」という言葉が伝えられたほかは、沈黙を保っている。ほとぼりが冷めた頃で構わないので、落ち着いたらぜひこの件について岡野さんなりの見解を伺いたいと思う。別に総括を迫るとかそんなつもりではなく、岡野さんの立場からは一連の顛末がどのように見えていたのか、ということに、純粋に興味がある。


交響曲第1番「HIROSHIMA」は、CDは持っていないがNHKが演奏会の模様を全曲放送した際に聴いて、素直にいい曲だと思った。ショスタコーヴィチやペンデレツキの影響なども指摘されているが、基本的には19世紀的なロマン派音楽の延長線上にある作品といっていいだろう。このような大作を現代の作曲家の新作として聴くことができるのというはほとんど奇跡のような出来事であり、こんな僥倖に恵まれたことにはただ感激するほかなかった。

私は全聾とか被曝二世といった作者の属性よりも、現在のクラシック音楽の作曲界の本流からは見向きもされないことを承知の上で、これほどの大規模な作品を完成させたというドン・キホーテ的な蛮勇に感銘を受けるところが大きかった。だから真相が明らかになった時には、ショックとか腹立たしいといった感情よりも、手品の種を明かされた時のような、すっきりと腑に落ちる感覚が強かった。奇跡のように思えた出来事も、真相が明かされてみれば、幻滅すると同時に、なるほどよくできた仕掛けだなという感慨にもとらわれるのだった。


詐術的ないかがわしい手法だったにせよ、彼のセルフプロモーションは結果的に、現代の作曲家の新作を聴きたいという需要が聴衆の側に確かに存在していることを明らかにした。ということは、作曲家がもっと聴衆と誠実に向き合って創作に励むなら、現代音楽のシーンが一般的な音楽ファンを巻き込んで活況を呈する可能性だって十分にあるわけだ。このことを浮き彫りにしたのは彼の功績であり、一つの希望といってもいいと思う。ただ、新垣さんのお仲間には、この虚構によって傷ついた人たちの心情を慮ることもなく、小さな仲間内で共有されているに過ぎない価値観だけで彼を擁護している人も散見され、そんな現状を考慮すれば、それもまた虚しい望みでしかないのかも知れない。

それでもこの騒動でわずかに救いなのは、新垣隆さんがこうした形での制作に職人的な誠実さを以て臨み、それゆえにでき上がった作品は「ひとつひとつが非常に大事なもの」だと語っていることだろう。会見でのこの言葉に救われる思いがした“佐村河内作品”のファンの方も多かったに違いない。

一連の作品の今後について、被爆者や震災の被災者や障碍者の方たちの心情を思うと軽々しいことはいえない。ただ、「ヴァイオリンのためのソナチネ」に関しては、献呈を受けたヴァイオリニストの“みっくん”こと大久保美来さんが、深く傷つきつつも作品自体は今でも好きだと語っている。みっくんとは旧知の間柄だという新垣さんもソナチネについては「五輪という大きな舞台で鳴り響く資格のある、素晴らしい曲」と自負していることでもあり、この曲は今後も継続して演奏される機会があっていいと思う。


まあともかく、良きにつけ悪しきにつけいろいろなことを考えさせられる、興味深い出来事ではあった。最後に、私が目にして非常に参考になったページを以下にリンクしておく。


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ヴァン・クライバーンさん逝去

2013年3月 1日

先月27日にアメリカのピアニスト、ヴァン・クライバーンさんが亡くなった。78歳だった。クライバーンは1958年に開催された第1回のチャイコフスキー・コンクールで優勝したピアニストで、冷戦期のアメリカとソ連の文化交流に大きく貢献し、クラシックの演奏家の枠を越えて“アメリカン・ヒーロー”にもなった人である。



上の動画はそのチャイコフスキー・コンクールでの優勝から50周年を記念して2008年に制作された映像である。当時はまさに東西冷戦のただ中にあり、人々は第三次世界大戦がいつ起こるのかと戦々恐々としていた。そしてそうなれば当然、それは本格的な核戦争になるに違いなかった。

そんな状況でテキサスからやってきた青年がモスクワの聴衆を熱狂させた、その事実が当時の人たちにどれほど大きな希望を与えたかは想像に難くない。映像に紹介されている風刺画(5分25秒くらい)にある「WE NEED MORE MUSIC, AND LESS H-BOMBS!」という言葉からも、そんな当時の世情を窺い知ることができる。


ラフマニノフ作品の普及に貢献した人でもあり、特にピアノ協奏曲第3番が現在のように人気曲になったのは、クライバーンがチャイコフスキー・コンクールのファイナルで演奏したことが一つのきっかけだったらしい(もちろんそれ以前からヴラディーミル・ホロヴィッツが愛奏していたことも決して忘れてはならないが)。コンクールから帰国する際に、アレクサンドル・ネフスキー大修道院の構内にあるチャイコフスキーの墓から土を持ち帰り、ニュー・ヨークのラフマニノフの墓前に供えたのは有名な話である。

コンクールの審査員を務めたスヴャトスラフ・リヒテルがクライパーンに満点の25点を与え、他の参加者全てに0点をつけたというのもよく知られているが、そのリヒテルの演奏をクライバーンは帰国後に絶賛し、それが西側でもリヒテルの評判が高まる一因になった。キリル・コンドラシンが西側で知られるようになったのも、クライバーンの凱旋コンサート・ツアーに帯同したのがきっかけだったのではないかと思う。



こちらは1987年にゴルバチョフ書記長が訪米した際にホワイトハウスで演奏を披露した時の映像である。1978年以来事実上の引退状態にあり、公の場での演奏はこれが9年ぶりだった。クライバーンの伴奏に合わせて聴衆が「モスクワ郊外の夕べ」を合唱するシーンもある。


今これを書きながらラフマニノフのピアノソナタ第2番の演奏をあらためて聴いてみている(1960年モスクワでのライヴ録音で、1913年の初版を元に1931年の改訂版を一部採り入れて弾いているようだ)。ロシア的なロマンティシズムをたっぷりと湛えたスケール感豊かな演奏で、19世紀的なヴィルトゥオーソの気風を残しつつ、そこに若々しく清新な息吹が萌しているのも感じられる。当時のロシア人たちから熱烈に愛されたというのもよくわかる気がする。

巨匠として円熟を迎える前に引退してしまった人なので、不世出の大ピアニストであるかのように語るのは、おそらく正しくない。しかし世に名演奏家は多しといえども、クラシック音楽の枠を越えて熱狂を巻き起こし、国際政治のパワー・ゲームが作り出した分厚い壁に音楽の力で風穴を空けるという偉業を成し遂げた人など、そうそういるものではない。その意味でやはり、20世紀のクラシック音楽の歴史を回顧する上で欠かすことのできない人であるのは間違いない。


2011年の第14回チャイコフスキー・コンクールではお元気な姿を見せ、表彰式で登壇して挨拶もしていた。しかしそれからほどなくして癌を患っていることが公表され、そう遠くない時期にこの日がくるのも予期されていたことではあった。

その2011年のコンクールでの挨拶の締めの言葉が素晴らしく素敵だったので、当時感想を記したエントリーでも紹介したが、もう一度ここで引用しておくことにしたい。

私は音楽とは神の息吹だと信じています。

ヴァン・クライバーン
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「海辺の祈り」

2012年1月29日


東日本大震災の犠牲者への追悼や復興への祈りとして発表された音楽作品をこのサイトでいくつか紹介してきたが、今回は近藤浩平さんによる「海辺の祈り〜震災と原子炉の犠牲者への追悼」Op.121を取り上げたい。近藤さんはいち早くこの災害に反応し、昨年4月の時点で本作を発表していた。私も早い段階で聴いて感銘を受け、ここで紹介したいと思っていたのだが、もたもたしているうちにすっかり時間が経過してしまった。しかしこれだけ待った(?)甲斐があって昨年12月に神戸新聞の記事でこの作品が取り上げられ、作曲の詳しい経緯や背景なども含めて紹介できることになったのは幸いだった。

記事によると震災前からノルウェイのファゴット奏者、ロベルト・ロネスさんから作品の委嘱を受けていたのがファゴット独奏のための作品となった理由のようだ。ファゴットの朴訥とした音色で歌われるもの哀しい旋律は、津波に襲われて全てが失われた被災現場に一人呆然と立ち尽くしているかのような寂寥感を醸し出す。福島県を中心に東北地方の民謡を多く聴いてリズム感や節回しを採り入れようとしたとのことで、目に浮かぶ状況は全く絶望的であるにも関わらず、どこか安らぎのような感覚さえもたらされるのは、そのようにして生まれた旋律の懐かしさ、親しみやすさゆえなのだろう。

ここに紹介した動画はもちろん作品を委嘱したロネスさんによる初演である。近藤さんはほかにもいろいろな楽器のための編曲をも手がけ、ご自身の公式サイトで公表されている。特に左手のピアノのための編曲は智内威雄さんによって演奏され、動画も公開されている。智内さんはさらに近藤さんにこれと対になる作品を依頼し、「海辺の雪〜震災と津波の犠牲者への追悼」Op.122が生まれた。こちらも演奏の動画が公開されている。

近藤さんとはTwitterで少しやりとりをさせていただいたこともあるのだが、時代の状況に真摯に向き合いつつ創作をされる方で、そうした姿勢はこの作品が震災だけでなくやがて生じるかも知れない原発事故の犠牲者にも捧げられていることにも表れている。本作はそうした鋭敏な感性が生み出した賜といえるだろう。ぜひ多くの方に、震災の犠牲となった方々の魂や、被災された方々の今なお続く苦しい生活に思いを馳せつつ聴いていただきたい作品である。


関連ページ

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「前へ」

2011年7月11日

作詞・作曲:佐藤賢太郎

今日で震災からちょうど4か月になる。犠牲となった方々への鎮魂や復興への祈りをこめて制作された楽曲として伊藤康英さんの「貝がらのうた」という作品を以前紹介したが、このほかにも気に入った作品があるので紹介してみたい。

下の動画は佐藤賢太郎さんの合唱曲「前へ」である。演奏は男声部を作曲者自身、女声部を上田絢香さんが担当して多重録音したものらしい。穏やかなメロディーと清らかなハーモニーが鮮烈なまでに美しく、聴く人の心に優しい希望の光が降りそそいでくるような作品である。佐藤さんご自身で手がけた詞も素晴らしく、人と人の絆の大切さをあらためて想起させてくれる。(タイトルは明治大学ラグビー部元監督北島忠治さんの遺訓とは特に関係ない…はず。)



これはカワイ出版が提唱して始められた「歌おうNIPPON」プロジェクトの参加作品として発表されたもので、楽譜が無料で配布されている。ここに紹介したのは無伴奏の混声四部合唱版だが、女性合唱版や男声合唱版、あるいはそれぞれにピアノ伴奏がついた版も用意されている。佐藤賢太郎さんのYouTube公式チャンネルにはそうした版によるものや、多重録音でなく実際に合唱団によって歌われた映像も公開されている。無伴奏版の完成度があまりにも高いのでピアノ伴奏というのは蛇足ではないかと初めは思ったのだが、このピアノ・パートがまた実に絶妙な美しさだった。どの版も素敵なのでぜひいろいろと聴きくらべてみていただきたい。あるいは合唱をなさる方は実際に歌ってみていただきたいと思う。

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チャイコフスキー・コンクール2011

2011年7月 1日

先月半ばから開催されていた第14回チャイコフスキー・コンクール、私も連日ストリーミング配信でピアノ部門の模様を楽しんでいたが、昨日で全ての審査が終了し、日本時間の深夜に結果が発表された。ピアノ部門で優勝したのはダニイル・トリフォノフさん、ロシアの二十歳のピアニストだった。

彼は昨年のショパン・コンクールにも出場して3位という好成績を収め、ピアノ音楽の愛好家の間で高い人気を獲得した人である。その時はイタリアのピアノ・メーカー、ファツィオリを使用して、この楽器特有の澄明な響きを最大限に生かした演奏が非常に印象的だったのだが、私は正直に言ってこの時の彼の演奏はあまり好きになれなかった。

しかしあれからわずか半年程度に間に彼の演奏スタイルは進化を遂げていたようで、今回聴いた彼の演奏は、表面上の美観に過剰にこだわることなく、より柔軟で闊達な精神で楽曲の真価に迫ろうとしているように感じられた(楽器もスタインウェイだった)。特にファイナルで演奏したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は、以前の彼のスタイルからすれば彼の特長が出にくい曲目のように思われたが、実際に聴いてみると、チャイコフスキーらしいチャイコフスキーでありながら、なおかつ豊かなイマジネーションによって独自の新鮮な魅力も感じさせるという、実に素晴らしいものだった。もちろん、彼特有の繊細な感受性は失われていない。彼の優勝という結果は大方の納得のいくものだったのではないかと思う。


しかし、それにもまして私が感銘を受けたのはアレクサンドル・ロマノフスキーさんがファイナルで弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番だった。この曲にこめられた感情の陰影を繊細かつ雄弁に描き出し、単にうまいとかいったような次元を超えて、本物の芸術とでもいうべき演奏だった。終楽章でもったいないミスが出てしまっているのだが(提示部第2主題)、そのような小さな傷は音楽の本質に全く影響を与えていない。この神がかったような名演奏はアーカイヴで聴くことができるので、(Silverlightというソフトをインストールしたり利用者登録をしたりしなければならなくて少し面倒くさいのだが)この曲がお好きな方はぜひ一度ご覧になることをお薦めしたい。

ロマノフスキーさんは総合では4位という結果に終わったのだが、この演奏は聴衆のみならず審査員の方々にも深い感銘を与えたと見受けられ、今年の4月に亡くなったヴラディーミル・クライネフを記念して設けられた特別賞に、このラフマニノフの演奏が選ばれた。この賞の発表の際にはクライネフの妻であるタチヤナ・タラソワさん(アレクセイ・ヤグディンさんや荒川静香さん、浅田真央ちゃんなど多くの名選手を育てたフィギュアスケートの名コーチ)が挨拶し、実行委員長のヴァレリー・ゲルギエフさんとともにロマノフスキーさんを祝福した。


もう一人私の印象に強く残ったのがエドゥアルト・クンツさんが一次予選で弾いたベートーヴェンのワルトシュタインだった。知的に構築された演奏でありながら、生き生きとした愉悦感にも事欠かない、実に優れた演奏だった。この人が二次予選の第一フェーズで落選してしまったのは惜しまれる。この時の演奏も悪くなかったと思うのだが、プログラムの最初にラヴェルの作品を弾いたのが、チャイコフスキーの名を冠したこのコンクールの求める方向性と違っていたのか、などと邪推してみる。しかしパデレフスキ・コンクールで優勝したり「BBC Music Magazine」誌の選ぶ明日の名ピアニスト10人に選ばれるなどすでに高い評価を得ているピアニストのようなので、この結果に関わらずいずれ頭角を現していくことになるのではないかと思う。


ともかく半月ほどにわたっての鑑賞は楽しい体験だった。惜しむらくは日本人の演奏家の活躍が見られなかったことだが…。過去には複数の優勝者が日本から生まれていることでもあり、若い演奏家の奮起に期待したい。

最後に、第1回大会での優勝者であるヴァン・クライバーンさんが表彰式の挨拶で述べた言葉がとても素敵だったので、これを紹介しておきたい。

私は音楽とは神の息吹だと信じています。

ヴァン・クライバーン
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「貝がらのうた」

2011年6月 3日

詩:和合亮一 作曲:伊藤康英

3月11日の震災以来、音楽家が鎮魂や復興への祈りをこめた作品を発表することが多くなっている。私もそんなメッセージに連日耳を傾けているところだが、そんな中でとても気に入った作品を見つけたので紹介してみたい。

下の動画で歌われている「貝がらのうた」という作品は福島県在住の詩人、和合亮一さんがTwitterに投稿した詩に、伊藤康英さんが曲をつけたものである。ソプラノは見角悠代さん、ピアノは作曲家自身である。和合さんの当事者ならではの痛切な感覚から紡ぎ出された言葉たちに、伊藤さんはドラマティックな抑揚を伴う美しい旋律によって息吹を与えている。見角さんはこの麗しい祈りの歌に真摯に向き合いつつ、豊かな情感を以て歌い上げて見事である。



伊藤さんはこの曲を含めて数曲を作曲しその動画を公開しているので、それもぜひ聴いてみていただきたい。

また和合さんの詩にはほかに新実徳英さんも作曲していて、自作自演による動画を公開している。やはり本職の声楽家が歌っている分どうしても伊藤さんによるものの方が聴きごたえがあるのでこちらを紹介してみたが、新実さんの作品の方も併せて聴いていただければ、と思う。

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ユジャ・ワンさん スクリャービンを弾く

2011年2月26日

YouTubeを徘徊していたらユジャ・ワンさんがスクリャービンの作品を弾いている動画が公開されているのを見つけたので、ここで紹介したい。演奏しているのは以下の5曲である。

  • 前奏曲ロ長調 Op.11-11
  • 前奏曲ロ短調 Op.13-6
  • 前奏曲嬰ト短調 Op.11-12
  • 練習曲嬰ト短調 Op.8-9
  • 詩曲嬰ヘ長調 Op.32-1


ユジャ・ワンさんの演奏は以前にも『N響アワー』でラフマニノフパガニーニ・ラプソディを聴いたことがあって、それも十分にいい演奏だったのだが、ここに聴くスクリャービンもまた実に素晴らしく、あらためてこの若いピアニストの豊かな天分を思い知らされた思いがする。ここで弾いている作品の多くは比較的初期のもので、この作曲家にしてはやや穏当な作風といっていいのだろうが、最も作曲時期の遅い詩曲には幾分神秘的な雰囲気も漂っているのが感じられる。ユジャさんの演奏はスクリャービン特有の幻想的な情景を想像力豊かに描き出していて見事である。

なお、演奏自体もさることながら、それに劣らず目を引くのは彼女のセクシーな衣装である。これほどスカート丈の短い衣装でピアノを弾くコンサートというのは初めて見た気がする。一昔、というか二昔ほど前にディスコ(死語?)のお立ち台で踊っていたイケイケのお姉さんたちを思い出してしまうようなスタイルで、これがどういう意図の表れなのかは何とも計りかねるところである。演奏に対する私の印象もこの過剰とも思えるセクシーさに影響されている可能性を正直否定できないが、スクリャービンは作品の演奏を視覚的効果と組み合わて上演する構想も抱いていた人なので、そういう鑑賞態度もあながち誤りではないかも知れないと言い訳しておこう。

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天満敦子さん ヴァイオリン・ソロ・コンサート

2010年12月 9日

先週の金曜日(3日)に天満敦子さんのコンサートを聴いてきた。さるお寺のご住職が祖師堂の落慶を記念して檀家さんたちを招待した催しで、私の家はそこの檀家ではないのだけど、知り合いの檀家の方が行くことができないので招待券を譲って下さったのだった。ご住職は天満さんとは十年来のお付き合いだそうで、天満さんはお寺の建物の音響を気に入ってよく練習にいらしているのだという。そんな親密な集まりの雰囲気の中で、天満さんのヴァイオリンを心ゆくまで堪能できた一夜だった。


  • アダージョ〜無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調より(J. S. バッハ)
  • トロイメライ(シューマン)
  • タイスの瞑想曲(マスネ)
  • ロンドンデリーの歌(アイルランド民謡)
  • ねむの木の子守歌(山本正美)
  • 中国地方の子守歌(岡山県民謡)
  • ホーム・スイート・ホーム(ビショップ)
  • 独奏ヴァイオリンのための譚歌より(和田薫)
  • スワニー河(フォスター)
  • 祈り(ブロッホ)
  • 望郷のバラード(ポルムベスク)
  • ジュピター(ホルスト)
  • アンコール:この道・城ヶ島の雨(山田耕筰・梁田貞)

曲目などは一切わからない状態で会場に行ったのだけど、パンフレットをもらってまず驚いたのは、ピアノ等の伴奏楽器なしで天満さんのヴァイオリンだけで演奏することだった。演目には独奏ヴァイオリンのための作品も二曲含まれてはいたが、ほかはほとんどが普通は伴奏楽器を伴って演奏される曲ばかりである。

編曲に注目して聴いていたのだが、天満さんはどの曲もかなりシンプルな編曲で弾いているのが印象的だった。「タイスの瞑想曲」や「望郷のバラード」はおそらく原曲のヴァイオリン・パートをほぼそのまま弾いていたし、「祈り」は原曲のチェロ・パートをそのまま移調して弾いていたのではないかと思う。「トロイメライ」や「ジュピター」は主旋律だけを和声を交えずに弾いていた。「ねむの木の子守歌」「中国地方の子守歌」「ホーム・スイート・ホーム」「スワニー河」はそれなりに器楽曲的な編曲がほどこされていたが、それでも過度に技巧を前面に立てたようなパッセージが織り込まれることはない。

普通プロの楽器奏者が伴奏なしで演奏するとなれば技巧的な装飾を伴う変奏をふんだんに織り交ぜて自身の技巧をアピールしたいという誘惑にかられるものではないかと思うのだが、天満さんの演奏は決してそうした方向へは流れていかない。ヴァイオリンが本来はポリフォニーには不向きな単旋律楽器であるという事実を取り繕おうとする様子もなく、この楽器からひたすら豊かな歌を紡ぎ出すことだけを意識しているかのようである。

それは日々の研鑽によって培われた豊かな音楽性が可能にしているのだろう。朗らかで温もりのある音色、深い精神性に裏付けられた豊かな歌心、そういった天満さんのヴァイオリン演奏の魅力は、こうしたスタイルでこそより端的に伝わってくるようにも感じられた。

帰って来てから調べてみたところ、天満さんはこの形態でのコンサートが非常に多いとのことだった。中野雄さんが 天満敦子はもしかしたら、『無伴奏ヴァイオリン・コンサート』という新しい演奏芸術の開拓者として、演奏史にその名を留める存在になるかもしれないという予感すら、私にはある。 と評しているのだが(アルバム「望郷のバラード〜無伴奏ベスト〜/天満敦子」ライナーノート)、それもあながち強弁とはいえない気がする。


バッハ作品の演奏は、なだらかにクレッシェンド、デクレッシェンドするのではなく、不連続に階段状に推移する強弱のつけ方を興味深く感じた。私はバッハ作品のオーセンティックな演奏解釈がどういうものなのかをよく知らないので、これが通常の弾き方なのか天満さん独特のものなのか判断できないのだが。それはともかく、聴く者を深い瞑想に誘うようなバッハならではの音響世界を堪能した。

和田薫さんという作曲家はお名前を存じていなかったのだが、天満さんと一緒に仕事をする機会の多い方らしい。この「独奏ヴァイオリンのための譚歌」もおそらくは天満さんのために書かれた作品なのだと思う。民謡風の旋律にヴァイオリン的なイディオムを織り交ぜた親しみやすい作品で、天満さんの美質が遺憾なく発揮されていた。「中国地方の子守歌」でもそうだったのだが、右手の弓で旋律を弾きながら左手ではじくピツィカートがもの悲しい雰囲気を醸し出してして非常に効果的だった。なぜ日本風の旋律に左手のピツィカートがよく合うのだろうかと考えてみたのだが、それはこの技法が琵琶の音色を想起させるからだと気がついた。和田さんも天満さんも、おそらくそのことを意識しているのではないかという気がする。


「望郷のバラード」は天満さんの代名詞のような存在にもなっている重要なレパートリーだが、この曲の演奏でおもしろかったのは、照明を極端に落としてほとんど暗闇の中で演奏していたことだった。あの状態ではおそらくほとんど手元も見えていなかったのではないかと思う。照明を暗くして演奏するということは晩年のスヴャトスラフ・リヒテルがやっていたそうだし、近年ではミハイル・プレトニョフさんなどもやっていると聞いているが、これほどまでの暗さというのはほかにあまり例がないのではないだろうか。数え切れないほど演奏してきて、今さら手元など見る必要もないくらい手になじんだ作品だからこそできる試みというべきか。このようにすることで、奏者も聴衆も一体となって作曲家が曲に込めた望郷の想いに浸れるような効果があったかも知れない。


この日の聴衆はクラシック音楽の熱心なファンというわけでは必ずしもない人たちだったわけだが、拍手のタイミングも「望郷のバラード」では十分に余韻をおいてから、「ジュピター」では壮快に弾き終えた天満さんのヴァイオリンの音が鳴り止むや否や、といった感じで、全体にマナーもよくて気持ちよくコンサートを楽しむことができた。ご住職は冒頭に簡単な挨拶をされたのだが気さくな話しぶりの中に温和なお人柄が窺われて、そのご人徳が檀家の方たちにも伝わっているからなのかも知れない。

客層が普通のクラシックのコンサートとは違うということもあり、アンコールには「北の宿から」をやってくれるんじゃないかと秘かに期待したのだけど、それがなかったのだけが少し心残りだった。実際に弾いてくれたのは「この道」と「城ヶ島の雨」を編曲したもので、これもちろん十分に聴き応えがあった。


終演後にサイン会があり、CDを買ってサインをもらい、握手もしていただいたのだが、ぶ厚い手から伝わる温もりがヴァイオリンの音色から受ける印象そのものだった。あまりお話することはできなかったが、コンサートの中ほどにちょっとしたトークがあり、その姿が童女のようでもあり、山姥のようでもある(失礼!)という、不思議な人だった。

手にしたのは小林英之のオルガンと競演した2005年発売の「祈り」。ほかに欲しいものもあったのだけど、品揃えが十分でなく置いてあるものの中からこれを選んでみた。ヴァイオリンとオルガンという編成もこれまためずらしいが、これも深みのある音楽となっている。

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ショパン・コンクール2010 結果発表

2010年10月21日

今月初めからワルシャワで開催されていたショパン・コンクールは日本時間の今日未明で本選の日程を終了し、今朝早くに審査の結果が発表された。注目の優勝者はロシアから参加したユリアンナ・アヴデエヴァさんだった。私はこの人の演奏はほとんど聴けなかったのだけど、ブログやTwitterなどでこの人を推す意見はほとんど目にしなかったので、この結果はかなり意外だった。ソナタ賞を受賞しているので、三次予選のアーカイヴあたりからチェックしてみようと思っている。

2位にはルーカス・ゲニューシャスさん(ロシアとリトアニアの二重国籍の模様)とインゴルフ・ヴンダーさん(オーストリア)さんの二人が選ばれた。ゲニューシャスさんはファイナルの演奏を途切れ途切れの映像で辛うじて聴けただけなのだが、落ち着き払った堅実な演奏という印象を受けた。ヴンダーさんも私自身は演奏を全く聴けていないのだが、三次予選くらいから急に世評が高まってきて、特にファイナルの演奏はかなり熱狂的に称賛されていた。コンチェルト賞と幻想ポロネーズ賞を受賞しているので、このあたりは聴衆と審査員の意見が一致したと言えそうだ。私もぜひコンチェルトの演奏はアーカイヴで聴いてみたい。


私のお気に入りのニコライ・ホジャイノフさんは残念ながら入賞を逃してしまった。ファイナルの演奏はまずまずよかったと思うのだが、最初かなりかたくなっている様子が見てとれて、本来の力は出し切れなかったようだ。オーケストラと合わせることにもあまり慣れていなかったようで、若さによる経験不足も影響したのかも知れない。少し残念な結果ではあるが、何しろまだ若いピアニストなので、もしまた5年後に挑戦することがあれば、その時は押しも押されもしない優勝候補として臨むことになるだろう。


半月ほどに亙ってこのコンクールの模様を追跡してきたわけだが、ショパンの作品ばかりを集中して聴き続けたのも初めてだったし、短期間にこれほど多くのピアニストの演奏を聴いたのもこれまでなかったことで、いろいろな意味でいい経験になった。その中で何人か自分が魅力的だと思えるピアニストに出会えたことは実にうれしい。選考の結果は自分の思い通りにならないことも多かったが、そんなことに一喜一憂しながら成り行きを見守るのもコンクールの楽しみ方なのだと思う。この経験を通じて私の音楽観が少しでも深いものになっているといいのだが…。

最後に、コンテスタントのみなさん、そしてマエストロ、アントニ・ヴィトとワルシャワ・フィルのみなさんに、「ありがとう、そしてお疲れ様でした」。

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ショパン・コンクール2010 いよいよ本選へ

2010年10月16日

ショパン・コンクールは昨日で三次予選を終了した。三次予選の演奏はあまり多くを聴けなくて、残念ながら新たなお気に入りのピアニストを見つけるには至らなかった。逆に、具体名を挙げるのは避けておくけど、聴きながら「そうか、こういう演奏が評価されるのか」と鼻白んでしまうことも何度かあって、本来は多分に主観的な営為である“芸術”の分野に競争という要素を持ち込むことの理不尽さに思いを致したりもした。

そんな中でも依然として私のこのコンクールへの関心をつなぎ止めてくれているのは、やはり一次予選の演奏を聴いてただならぬ才能を予感したニコライ・ホジャイノフさんである。三次予選の演奏はほぼ全て聴くことができたが、期待に違わぬ素晴らしいものだった。私の能力ではどこがどういう風にいいとか説明するのが難しいのだが、とにかく彼が弾き始めるとその演奏に心を奪われてしまう。何というか、曲の全体像をつかんだ上でそれを立体的に構築してみせる力量が際立って優れているように思う。


ファイナルへの進出者10名は日本時間の今日午前0時過ぎに発表され、ホジャイノフさんも順当に進出を果たした。アジアやアメリカからの参加者は全て落選し、10名全員がヨーロッパからの参加者が占めるという、近年ではめずらしい結果となっている。

ファイナルの演奏は時間帯がこれまでより遅く設定されていて、日本時間では深夜から未明にかけてということになり、リアルタイムで聴けるのはかなり限られた人数になってしまいそうだ。しかし幸いにしてホジャイノフさんの演奏は早い時間なので何とか聴くことができると思う。彼の演奏の魅力は聴く人の好みによって左右されるような性質のものではないはずなので、有力な優勝候補の一人であることはおそらく間違いないと思う。私としてはやはり、一次予選からリアルタイムで聴いてその演奏に魅了されてきた彼が栄冠に輝いてくれるとうれしい。

ただ、本選進出者の中には私が未だに演奏を聴けていないピアニストに、かなりの人気や評価を獲得している人もいるようだ。ファイナルの演奏をできる限り聴きたいのだが、これからアーカイヴもチェックしておこうと思っている。

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