ヴァン・クライバーンさん逝去

2013年3月 1日

先月27日にアメリカのピアニスト、ヴァン・クライバーンさんが亡くなった。78歳だった。クライバーンは1958年に開催された第1回のチャイコフスキー・コンクールで優勝したピアニストで、冷戦期のアメリカとソ連の文化交流に大きく貢献し、クラシックの演奏家の枠を越えて“アメリカン・ヒーロー”にもなった人である。



上の動画はそのチャイコフスキー・コンクールでの優勝から50周年を記念して2008年に制作された映像である。当時はまさに東西冷戦のただ中にあり、人々は第三次世界大戦がいつ起こるのかと戦々恐々としていた。そしてそうなれば当然、それは本格的な核戦争になるに違いなかった。

そんな状況でテキサスからやってきた青年がモスクワの聴衆を熱狂させた、その事実が当時の人たちにどれほど大きな希望を与えたかは想像に難くない。映像に紹介されている風刺画(5分25秒くらい)にある「WE NEED MORE MUSIC, AND LESS H-BOMBS!」という言葉からも、そんな当時の世情を窺い知ることができる。


ラフマニノフ作品の普及に貢献した人でもあり、特にピアノ協奏曲第3番が現在のように人気曲になったのは、クライバーンがチャイコフスキー・コンクールのファイナルで演奏したことが一つのきっかけだったらしい(もちろんそれ以前からヴラディーミル・ホロヴィッツが愛奏していたことも決して忘れてはならないが)。コンクールから帰国する際に、アレクサンドル・ネフスキー大修道院の構内にあるチャイコフスキーの墓から土を持ち帰り、ニュー・ヨークのラフマニノフの墓前に供えたのは有名な話である。

コンクールの審査員を務めたスヴャトスラフ・リヒテルがクライパーンに満点の25点を与え、他の参加者全てに0点をつけたというのもよく知られているが、そのリヒテルの演奏をクライバーンは帰国後に絶賛し、それが西側でもリヒテルの評判が高まる一因になった。キリル・コンドラシンが西側で知られるようになったのも、クライバーンの凱旋コンサート・ツアーに帯同したのがきっかけだったのではないかと思う。



こちらは1987年にゴルバチョフ書記長が訪米した際にホワイトハウスで演奏を披露した時の映像である。1978年以来事実上の引退状態にあり、公の場での演奏はこれが9年ぶりだった。クライバーンの伴奏に合わせて聴衆が「モスクワ郊外の夕べ」を合唱するシーンもある。


今これを書きながらラフマニノフのピアノソナタ第2番の演奏をあらためて聴いてみている(1960年モスクワでのライヴ録音で、1913年の初版を元に1931年の改訂版を一部採り入れて弾いているようだ)。ロシア的なロマンティシズムをたっぷりと湛えたスケール感豊かな演奏で、19世紀的なヴィルトゥオーソの気風を残しつつ、そこに若々しく清新な息吹が萌しているのも感じられる。当時のロシア人たちから熱烈に愛されたというのもよくわかる気がする。

巨匠として円熟を迎える前に引退してしまった人なので、不世出の大ピアニストであるかのように語るのは、おそらく正しくない。しかし世に名演奏家は多しといえども、クラシック音楽の枠を越えて熱狂を巻き起こし、国際政治のパワー・ゲームが作り出した分厚い壁に音楽の力で風穴を空けるという偉業を成し遂げた人など、そうそういるものではない。その意味でやはり、20世紀のクラシック音楽の歴史を回顧する上で欠かすことのできない人であるのは間違いない。


2011年の第14回チャイコフスキー・コンクールではお元気な姿を見せ、表彰式で登壇して挨拶もしていた。しかしそれからほどなくして癌を患っていることが公表され、そう遠くない時期にこの日がくるのも予期されていたことではあった。

その2011年のコンクールでの挨拶の締めの言葉が素晴らしく素敵だったので、当時感想を記したエントリーでも紹介したが、もう一度ここで引用しておくことにしたい。

私は音楽とは神の息吹だと信じています。

ヴァン・クライバーン
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「私たち一息つけるわ」

2012年3月28日


今日3月28日はセルゲイ・ラフマニノフの69回目の命日に当たる。しばらく前にちょっとした騒ぎになったようにこの3月は内閣府の定める自殺予防月間ということなので、既にもう月末で些か時機を逸してはいるが、それに絡めて一つ彼の作品を紹介したい。


ラフマニノフの歌曲に「私たち一息つけるわ」Op.26-3という作品がある。テクストは直接の親交があった劇作家、アントン・チェーホフの戯曲、『ワーニャ伯父さん』から採られている。いわゆるチェーホフの四大劇の二作目に当たるこの劇は、幕切れに長く—ほとんどお涙頂戴といわんばかりの—美しいセリフが置かれていることが一つの特徴となっている。人生に絶望し生きる意欲を失って自殺を企てる伯父ワーニャを何とか思いとどまらせようと、ソーニャは自身の失恋の痛手をこらえつつ切々と訴えかける。「仕方ないわ、生きていかなくちゃ」とはじまるそのセリフは“チェーホフ劇の中でも最も美しいセリフ”といわれ、愛好されてきた。チェーホフを師として慕ったマクシム・ゴーリキーがこの劇を見て「女のように泣いた」と告白したことはよく知られているが、私自身にとっても、高校生の時に初めてこの戯曲を読んで以来、このセリフはずっと心の支えであり続けた。

後にクラシック音楽に関心を持つようになり、ラフマニノフという作曲家の作品が自分に合っていそうだと気づきはじめた頃、この作曲家が“あの”セリフに曲をつけていたと知った時には、それこそ跳び上がるほど驚いたものだった。『ワーニャ伯父さん』は純粋な台詞劇で、節をつけて歌われることを想定して書かれたものではない。他の作曲家はどうかよく知らないが、ラフマニノフがそうした散文のテクストを歌曲にするというのは他にほとんど例のないことで、よほどこのセリフから強い印象を受けたのであろうことが推察される。ゴーリキーや私や、あるいは多くの演劇愛好家がこの作品から受けたあの感動を、この作曲家も共有していたのだと知った喜びには、いわく名状し難いものがある。この曲は演奏時間にして2分程度の小品ではあるが、帝政末期のロシアが生んだ二人の偉大な芸術家の交流の記念碑として、極めて重要な意義を持つ作品といっていいだろう。

なお因みに、ラフマニノフが散文のテクストに曲をつけたもう一つの例が作品番号のない「スタニスラフスキーへの手紙」という歌曲で、これもまた演劇と関わりの深い作品である。


私がラフマニノフに心酔している大きな理由の一つは、このように彼がチェーホフの薫陶を受け、その影響下に創作に取り組んだ芸術家だということにある。しかし残念ながらそうした認識は世間一般にはあまり共有されていないようで、この作品はその重要さにも関わらず、音楽ファンに広く知られるには至っていないように見受けられる。演奏される機会もそれほど多くはないのが実情のようだ。これはこの二人の芸術家がそれぞれの領域で占める位置を考えると些か異なことではある。

チェーホフといえば演劇史における最重要人物の一人と誰もが認める劇作家だし、ラフマニノフも作曲家としてはともかくピアニストとしてはクラシック音楽の歴史上最高の評価を受けてきた音楽家である。その二人のコラボレーションがあまり注目されていないというのはなかなか考えにくいことだ。もしかするとチェーホフ作品のようなストレートな台詞劇とクラシック音楽というのはファン層があまり重ならないのかも知れない。でなければこの作品が人目につかず埋もれるというのはあり得ないことだと思う。この二人のどちらの作品からも深い感銘を受けてきた—もしかしたら数少ないかも知れないうちの—一人としては、「ラフマニノフを理解したければチェーホフを読め」というのが常識となるくらい、この二人の交流が広く知られるようになって欲しいものだが…。


それでも原題の「Мы отдохнём」でYouTubeを検索したらそれなりの数がヒットしたので、両者の母国ロシアではさすがに幾許か知られた作品ではあるようだ。興味深いのは、元は女性の登場人物のセリフであるにも関わらず、バリトン歌手が歌っている例が目立つことだ。私が唯一所持している録音もロシアのバリトン歌手、セルゲイ・レイフェルクスさんによるものである。ラフマニノフが使っている部分には文法的に話し手の性に依存した言い回しが全くないので、あるいはそういうことも影響しているのかも知れない。

ただし残念ながら著作権に問題のなさそうなものが見つけられなかったので、ここに紹介するのはメッツォソプラノのヴィクトリヤ・グリナさんによる歌唱である。原曲はピアノ伴奏なのだがここではスタニスラフ・カリニンさんのオルガンによる伴奏で、重厚で恰幅のいいソーニャを聴かせている。このグリナさんという歌手についてはよく知らないが、公式チャンネルの他の動画から判断するに、チャイコフスキーやラフマニノフの歌曲に精力的に取り組んでいる方のようだ。


冒頭の自殺対策強化月間の話に戻るが、日本では年間の自殺者が3万人を超える状態がもう何年も続いている。これはほとんど戦争状態といってもいい事態で、例の評判の悪かった“GKB47”なるキャッチフレーズも、お役所的なおざなりの発想では十分に世の中に問題意識を共有してもらうことはできない、と担当のお役人さんなりに危機感を持って知恵を絞った結果だったのではないかと思う。私自身これといって何ができるわけでもないが、『ワーニャ伯父さん』という戯曲から多くのことを学んできた身としては、何とかしてソーニャの言葉が、それを必要とする人の心に届いて欲しいと願うばかりである。


最後に、拙い訳で恐縮だが、ソーニャのセリフのうちラフマニノフが使っている部分を以下に引用して、この稿を締めることにしたい。

私たち一息つけるんだわ。天使たちの声がして、空は一面にダイヤモンドを敷きつめたようになるの。この世のあらゆる悪も、私たちの苦しみも全て神様のお慈悲の中にうずまって、それが世界中を満たしていくの。そして私たちの暮らしも、まるで神様にやさしく撫でてもらっているような、静かで、なごやかで、心地いいものになるんだわ。わたし信じてるの、信じてるの…。

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チャイコフスキー・コンクール2011

2011年7月 1日

先月半ばから開催されていた第14回チャイコフスキー・コンクール、私も連日ストリーミング配信でピアノ部門の模様を楽しんでいたが、昨日で全ての審査が終了し、日本時間の深夜に結果が発表された。ピアノ部門で優勝したのはダニイル・トリフォノフさん、ロシアの二十歳のピアニストだった。

彼は昨年のショパン・コンクールにも出場して3位という好成績を収め、ピアノ音楽の愛好家の間で高い人気を獲得した人である。その時はイタリアのピアノ・メーカー、ファツィオリを使用して、この楽器特有の澄明な響きを最大限に生かした演奏が非常に印象的だったのだが、私は正直に言ってこの時の彼の演奏はあまり好きになれなかった。

しかしあれからわずか半年程度に間に彼の演奏スタイルは進化を遂げていたようで、今回聴いた彼の演奏は、表面上の美観に過剰にこだわることなく、より柔軟で闊達な精神で楽曲の真価に迫ろうとしているように感じられた(楽器もスタインウェイだった)。特にファイナルで演奏したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は、以前の彼のスタイルからすれば彼の特長が出にくい曲目のように思われたが、実際に聴いてみると、チャイコフスキーらしいチャイコフスキーでありながら、なおかつ豊かなイマジネーションによって独自の新鮮な魅力も感じさせるという、実に素晴らしいものだった。もちろん、彼特有の繊細な感受性は失われていない。彼の優勝という結果は大方の納得のいくものだったのではないかと思う。


しかし、それにもまして私が感銘を受けたのはアレクサンドル・ロマノフスキーさんがファイナルで弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番だった。この曲にこめられた感情の陰影を繊細かつ雄弁に描き出し、単にうまいとかいったような次元を超えて、本物の芸術とでもいうべき演奏だった。終楽章でもったいないミスが出てしまっているのだが(提示部第2主題)、そのような小さな傷は音楽の本質に全く影響を与えていない。この神がかったような名演奏はアーカイヴで聴くことができるので、(Silverlightというソフトをインストールしたり利用者登録をしたりしなければならなくて少し面倒くさいのだが)この曲がお好きな方はぜひ一度ご覧になることをお薦めしたい。

ロマノフスキーさんは総合では4位という結果に終わったのだが、この演奏は聴衆のみならず審査員の方々にも深い感銘を与えたと見受けられ、今年の4月に亡くなったヴラディーミル・クライネフを記念して設けられた特別賞に、このラフマニノフの演奏が選ばれた。この賞の発表の際にはクライネフの妻であるタチヤナ・タラソワさん(アレクセイ・ヤグディンさんや荒川静香さん、浅田真央ちゃんなど多くの名選手を育てたフィギュアスケートの名コーチ)が挨拶し、実行委員長のヴァレリー・ゲルギエフさんとともにロマノフスキーさんを祝福した。


もう一人私の印象に強く残ったのがエドゥアルト・クンツさんが一次予選で弾いたベートーヴェンのワルトシュタインだった。知的に構築された演奏でありながら、生き生きとした愉悦感にも事欠かない、実に優れた演奏だった。この人が二次予選の第一フェーズで落選してしまったのは惜しまれる。この時の演奏も悪くなかったと思うのだが、プログラムの最初にラヴェルの作品を弾いたのが、チャイコフスキーの名を冠したこのコンクールの求める方向性と違っていたのか、などと邪推してみる。しかしパデレフスキ・コンクールで優勝したり「BBC Music Magazine」誌の選ぶ明日の名ピアニスト10人に選ばれるなどすでに高い評価を得ているピアニストのようなので、この結果に関わらずいずれ頭角を現していくことになるのではないかと思う。


ともかく半月ほどにわたっての鑑賞は楽しい体験だった。惜しむらくは日本人の演奏家の活躍が見られなかったことだが…。過去には複数の優勝者が日本から生まれていることでもあり、若い演奏家の奮起に期待したい。

最後に、第1回大会での優勝者であるヴァン・クライバーンさんが表彰式の挨拶で述べた言葉がとても素敵だったので、これを紹介しておきたい。

私は音楽とは神の息吹だと信じています。

ヴァン・クライバーン
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「ここは素晴らしい」

2011年4月 1日

今日4月1日はセルゲイ・ラフマニノフの生誕138周年に当たる。それを記念して歌曲を一つ紹介してみたい。「ここは素晴らしい」Op.21-7は1902年4月に、女流詩人グラフィーラ・ガーリナの詩に作曲された。結婚を間近に控えたラフマニノフが妻となるナターリヤに献呈した作品である。

ラフマニノフというと深い憂愁をたたえたメランコリックな曲想を思い浮かべる人も多いと思うが、透き通るような静かな喜びに溢れた作品も多く残している。この「ここは素晴らしい」などはその典型例といえるだろう。世界の美しさへの賛嘆とそれに包まれる喜びを優美な旋律に乗せて歌う、至福に満ちた作品である。

以下に紹介する動画はソプラノの中村初恵(@hanyachika)さんによる、心のこもった美しい歌唱である。



こんな静かで澄み切った平穏な幸せが早くみんなの心に訪れますように。

ここは素晴らしい

ここは素晴らしい
ご覧、遠くで川が燃えるように輝いている
草地は色柄の絨毯のように横たわり
雲は白くたなびく
ここには誰もいない
ここは静か
ここにいるのはただ神と、私
花々と年老いた松
そしてお前、私の夢

追記(2013年4月1日)

当初掲載していた動画が非公開になったため別の新しいものに差し替えた。

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リン・ハレルさんとユジャ・ワンさんの弾くラフマニノフ

2011年2月28日

前回のエントリーユジャ・ワンさんがスクリャービン作品を弾く動画を紹介したが、YouTubeにはリン・ハレルさんとの共演によるラフマニノフのチェロ・ソナタの演奏もあった。これもなかなかの名演なのでここに紹介したい。



ハレルさんは衣装のせいもあって何やらカーネル・サンダースのような風貌だが、朗々と闊達に歌うチェロは素晴らしいの一言に尽きる。この余裕綽々ともいえる歌い回しにくらべた時、ユジャさんの演奏にはどこか生硬に感じられるところもあり、この曲はまだ十分に自身の掌中に収め切ってはいないのではないかという気もする。しかしハレル翁のよく歌うチェロに丁寧に合わせているかに見えたユジャ嬢が随所でパッションを爆発させる、といった風情の演奏は十分に魅力的である。伸びやかな歌に満ちたこの作品を経験豊富なヴェテラン奏者と若い才能との共演で聴けるのは大きな喜びである。

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長富彩さん プロモーション映像ほか

2010年9月18日

来月20日にアルバム「イスラメイ —100年の時を経て甦る、ピアノの黄金時代」のリリースを予定しているピアニストの長富彩さんのプロモーション映像が公開されているのでここで紹介しておくことにする。曲はグレインジャー編曲(チャイコフスキー作曲)による「《花のワルツ》によるパラフレーズ」。



長富さんの演奏の模様はこのほかにもYouTubeのチャンネルでいくつも公開されている。その中からリスト編曲(パガニーニ作曲)の「ラ・カンパネッラ」を貼り付けてみる。



このほかにもラフマニノフピアノ協奏曲第2番の2台ピアノ版による演奏という興味深いものもあるので、以下にリンクしておく。

私はこの演奏の存在に一月ほど前に気がついて聴いてみたのだが、特に旋律の自然な歌わせ方や音色の的確な使い分けが見事で、なかなかの名演だと思った。あどけない少女のような容貌ながら、インタビューを読むとかなり個性の強い人柄らしいことが窺われる。アルバムのアートワークを担当されている萩一訓さんからいただいたコメントによると(リンク先のページで私が長富さんのお名前の漢字表記を間違えてしまっているのはご容赦下さい)、担当プロデューサーは“フジコ・ヘミング”タイプと評しているそうで、天才肌の個性派ピアニストらしい。先が楽しみな逸材で、ぜひその持ち前の個性をすくすくとのばしていって欲しいと思う。

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「BBC music magazine」誌が選ぶ20人の偉大なピアニスト

2010年8月25日

先日「BBC music magazine」誌が“20人の偉大なピアニスト”のリストを発表した。これは100人の著名なピアニストにそれぞれが最も偉大だと考えるピアニストを3人選んでもらい、それを集計して導き出したものである。これには自身がその演奏を実演や録音で聴いたことのあるピアニストに限るという制限が設けられており、フランツ・リストやフレデリック・ショパンといった歴史的な名ピアニストは必然的に選考の対象外となっている。

このような基準で選ばれたピアニストは以下の通り。(以下煩雑になるので存命、故人を問わず敬称は略させていただく。)

  1. セルゲイ・ラフマニノフ
  2. アルトゥール・ルービンシュタイン
  3. ウラディーミル・ホロヴィッツ
  4. スヴャトスラフ・リヒテル
  5. アルフレード・コルトー
  6. ディヌー・リパッティ
  7. アルトゥール・シュナーベル
  8. エミール・ギレリス
  9. マルタ・アルゲリッチ
  10. アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
  11. クリスティアン・ツィマーマン
  12. イグナツ・フリードマン
  13. ラドゥー・ルプー
  14. エトヴィン・フィッシャー
  15. ヴィルヘルム・ケンプ
  16. マレイ・ペライア
  17. グレン・グールド
  18. ヴァルター・ギーゼキング
  19. ヨーゼフ・ホフマン
  20. クラウディオ・アラウ

こうして選ばれた面々を見ると、さすがになるほどと思わされる。ラフマニノフはやはり、作曲家としてはともかくピアニストとしての評価は揺るぎないものであるようだ。私はこの20人の中では唯一、イグナツ・フリードマンというピアニストを知らなかった。調べてみると優れたピアニストであるにも関わらず音源が散逸してしまった等の事情のため過小評価されてしまっている人らしい。勉強になった。

一方、この種のランキングの常として、選から洩れた人の名を思い浮かべてみると奇異の念も抱かせられる。記事では意外にも票が一つも入らなかった名ピアニストとして、ヴィルヘルム・バックハウス、ジョン・オグドン、マウリツィオ・ポリーニ、ミハイル・プレトニョフ、エヴゲニー・キーシンの名が挙げられている。特にポリーニなどは現役のピアニストとしては最高の評価を受けている人の一人と思っていたので、この結果は私自身とても意外だった。(プレトニョフに関しては例の事件が影響したのかどうかはわからない。)

私がそれ以上に意外だったのは、票は入っているもののウラディーミル・アシュケナージが20人の選から洩れていることだった。まあこの種の企画というのは万人が納得するような結果にはならないものではあるのだが。


なお、100人のピアニストたちによる投票内容の全ては記事中に公開されていて、誰がどのように投票したのかを確かめるのはなかなか楽しい。中にはアート・テイタムとかエロール・ガーナー、キース・ジャレット、ビル・エヴァンスといった名前も挙がっているのが興味深い。日本人だと内田光子に投票している人がいるほか、選者として小川典子が参加している。この投票、みなさんはどうお感じになるだろうか。

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幸田浩子さん 『オーケストラの森』に出演

2010年2月 1日

今日1月31日放送の『オーケストラの森』で、幸田浩子さんが2009年10月にアレクサンドル・ラザレフさん指揮の日本フィルハーモニー交響楽団と共演した時の模様が紹介された。幸田さんが歌ったのはラフマニノフ作曲の「ヴォカリーズ」。いつもながらの美しい歌声に、うっとりと聴き入ってしまった。アルバム「カリヨン 幸田浩子〜愛と祈りを歌う」では後半の反復を省略しているのだが、このコンサートでは省略なしに全曲をたっぷりと歌って聴かせてくれたのがうれしい。幸田さんの歌は繊細で、なおかつ力強く、トリルの部分などのきめ細やかさも素晴らしい。コーダのところで音を少し外していたようだったけど、そんなことは関係なく美しい歌唱だった。

この日の衣装は白と黒のシックなドレス。大きく開いた胸元が目に眩しかった。幸田さんの美しさを目と耳で楽しませてもらえて、実に幸せな一夜だった。

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「カリヨン 幸田浩子〜愛と祈りを歌う」

2009年11月10日

幸田浩子さんの2枚目のアルバム、「カリヨン 幸田浩子〜愛と祈りを歌う」がリリースされたのは今年2月のことだった。私が入手したのはそれからかなり経ってからだったが、このアルバムは実に期待に違わぬ素晴らしい出来映えだった。もう来週には新しいアルバムリリースされるとのことなので、その前にここで慌ててレビューをしておきたい。


  1. アヴェ・マリア(カッチーニ)
  2. アヴェ・マリア(バッハ/グノー)
  3. オンブラ・マイ・フ(なつかしい木陰よ)〜歌劇«セルセ»より(ヘンデル)
  4. 涙の流れるままに〜歌劇«リナルド»(ヘンデル)
  5. アヴェ・マリア(マスネ)
  6. アヴェ・マリア(マスカーニ)
  7. 禁じられた音楽(カスタルドン)
  8. ヴィラネル(デラックァ)
  9. くちづけ(アルディーティ)
  10. ブラジル風バッハ第5番 - アリア(ヴィラ=ロボス)
  11. ヴォカリーズ(ラフマニノフ)
  12. カリヨン(ベッペ・ドンギア)
  13. アメイジング・グレイス
  • 幸田浩子(ソプラノ)
  • 新イタリア合奏団
  • ベッペ・ドンギア(ピアノ - 12,13)

初めの二曲は新旧の著名な「アヴェ・マリア」を一曲ずつ。ジュリオ・カッチーニの(作とされる)「アヴェ・マリア」はかなりゆったりとしたテンポでこの曲のロマンティックな情感をたっぷりと堪能させてくれる。バッハ/グノーの作品は室内オルガンの愛らしい響きに乗せて慎ましく、そして清らかな祈りの世界を歌っている。


続いてはヘンデルの有名なオペラ・アリアが二曲。ヘンデルのオペラ作品は現代の感覚からすると筋立てが荒唐無稽であるために上演される機会はあまりないようだが、これらのアリアの美しさには実に比類のないものがある。単独で歌われる機会はとても多い二曲だが、どちらもアリアの少し前のレチタティーヴォから歌い始めているところに幸田さんの本格志向が表れている。ここでも幸田さんはややゆったりしたテンポで、この美しい旋律の魅力をたっぷりと堪能させてくれている。

なお、幸田さんの歌唱そのものとは全く関係ないのだけど、この二曲に関して、曲の終わりがやや不自然に途切れたような感じになっているのが気になった。どうも生の演奏の音をスタジオ技術によってフェイドアウトさせているかのように聴こえるのだ。エンジニアとしてお名前がクレジットされているのは高名な方なのでよもやとは思うのだが、マスタリングに何か問題が生じているように思えてならない。少なくとも私の耳には自然な減衰には聴こえなかった。


続く二曲はいずれも有名なオペラの間奏曲を声楽用にアレンジしたもの。マスネの「タイスの瞑想曲」は歌うには難しすぎる旋律なので編曲に工夫が凝らされて、不自然にオクターヴ下がるところもあったりするが、これは無理からぬことである。幸田さんの歌唱もさすがにやや硬い感じがする。途中からはミリアム・ダル・ドンさんのヴァイオリンと交代でアンサンブルをリードするような展開になっているのがおもしろい。

マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲はそれに比べると歌曲としても自然な仕上がりになっている。この美しい旋律は元々歌うのにも向いているのだろうか。


ガスタルドンの「禁じられた音楽」とアルディーティの「くちづけ」はどちらも甘く美しい愛の音楽である。愛の歌を好んで歌い続けてきた幸田さんらしい選曲である。その声ばかりでなく容姿も美しい幸田さんの歌でこうした音楽を聴くのはまた格別の喜びである。幸田さんのような(いくつもの意味で)美しい人に「抱き締めて、いとしい人、貴方の胸に/愛の陶酔を味わわせて!」とか「私が愛だけに生きられるように、/抱擁の陶酔の中に来て!」などと歌われれば、聴いているこちらの方が愛の陶酔でとろけてしまう。


デラックァの「ヴィラネル」はコロラトゥーラの華麗な技巧が駆使されたきらびやかな曲である。優れた技巧を高く評価される幸田さんの本領が発揮された一曲だが、彼女の歌唱の特徴は、どれほど技巧的なパッセージでもつねに豊かな表情があるということだ。

コロラトゥーラといえば、日本の声楽家だと例えば天羽明恵さんなどもとても優れた技巧の持ち主で、単純に技巧の正確さだけを取り上げればむしろ天羽さんの方が優れているのではないかとも思う。ただ、これはあくまで私の感じ方なのだが、天羽さんの正確無比なコロラトゥーラがどこか機械的で冷たい印象を与えるのに対し、幸田さんの歌唱にはいつも手作りのような温もりが感じられる。この曲のようにほとんど専ら高度な技巧の誇示を目的としたような楽曲でも聴いていて安らぎを感じるというのは稀有なことで、私が彼女の歌唱に惹かれる大きな理由の一つはこういうところにある。

なお、この曲は歌詞がフランス語で書かれているのだが、幸田さんの発音が少しもフランス語らしく聴こえないのはちょっと惜しいと思った。ブックレットに記載された歌詞を読んでみて初めてそれがフランス語であることに気づいたくらいだった。今度発売されるアルバムではフランスのオペラのアリアをいくつか歌っているようなのだけど、この点がどうなっているのかは少し気にかかるところではある。まあ幸田さんはこのアルバムだけでもほかにラテン語、イタリア語、ポルトガル語、英語と合計5つもの言語で歌っているわけで、声楽家というのは本当に大変な職業だと思う。


次の二曲はいずれも愁いを帯びた美しい旋律をヴォカリーズで歌い上げる作品である。“カッチーニの”「アヴェ・マリア」も含めて、幸田さんの情感豊かな歌い回しはこうした作品にとりわけ美しく映え、聴く者に豊潤で香り高い、贅沢な時をもたらしてくれる。ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ第5番」のアリアでは、ヴォカリーズによる主部・再現部での静かな叙情と中間部のレチタティーヴォ風のセリフでのドラマティックな表現との対照が印象的である。

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」は私の大好きな曲で、様々に編曲されたものも含めて音源をいくつも持っているけれど、こうして新たに幸田さんの歌唱をそれに加えることができたのは大きな喜びである。この録音は、今後私のコレクションの中でもとびきりのお気に入りとして、大切に愛聴していくことになるだろう。


そしてこのアルバム中の白眉はやはりタイトル曲の「カリヨン -新しい色の祝祭にて-」である。幸田さんの歌声に感銘を受けたイタリアのポピュラー音楽の作曲家、ベッペ・ドンギアさんが彼女のために作曲したというだけあって、彼女の持ち前ののびやかな歌心が最高に生かされた一曲となっている。私がこの曲を知ったのは2008年4月18日に紀尾井ホールで開催されたリサイタルのTV放送を見てのことだったが、初めて聴くのにどこか懐かしさを感じるこの美しい旋律には一聴してすぐさま魅了されてしまった。

歌詞については画面にテロップで表示された日本語訳を見て、その時は月への旅行がどうとかいう内容にいささか奇抜な印象を受けた。しかしブックレットに記載されたロベルト・ロヴェルシさんによる歌詞をあらためてよく読み直してみて、決して徒らに奇を衒ったようなものではなく、とても深い内容を歌っていることがわかった。この詞が歌っているのは、端的にいうと、世界はいつも開かれた存在として私たちに現前する、という事実である。この詞はそのことを祝福する讃詞なのだ。そしてそれはドンギアさんの旋律と幸田さんの歌声という両翼を得て、天翔る光のように聴く者の心を照らしてくれる。先日本田美奈子さんの「時 -forever for ever-」の感想を述べた際にこの「カリヨン」を引き合いに出したが、この二作はクラシックとポピュラー音楽とのクロスオーヴァーから生み出されたオリジナル作品として、まさに双璧をなすものだと思う。


そしてアルバムの最後を飾るのはおなじみの「アメイジング・グレイス」である。いわずと知れた人類の至宝ともいうべき名曲だが、幸田さんの歌唱はかなり装飾的な変奏を加えたものになっているのが特徴的である。本田美奈子さんやヘイリーさんによるシンプルな歌唱を聴き慣れた耳にはやや意表を衝かれる歌い回しだが、多くの歌手によって歌われてきた曲であるだけに、日本を代表するコロラトゥーラ・ソプラノである幸田さんとしては、他の歌手たちとの違いを際立たせないわけにはいかなかったのだろう。名もなきキリスト教徒たちによって歌い継がれてきた素朴な信仰の歌という、この歌本来の姿とはやや趣きの異なる、プロの声楽家による本格的なコンサート・ピース、ともいうべきゴージャスな仕上がりになっている。


アルバム全体としては、副題として掲げられている「幸田浩子〜愛と祈りを歌う」という言葉の、まさにそのままの印象である。これ以上にこのアルバムの性格を的確に物語る言葉はない。ソプラノ歌手として今まさに大輪の花を咲かせようとしている幸田浩子さんの、麗しい愛と祈りに満ち溢れた一枚である。

ブックレットには幸田さん自身がこのアルバムにこめた思いを綴った手記が掲載されている。ここで気になるのは、この文章の末尾が「心を込めて。」という言葉で締め括られていることである。これは本田美奈子さんがいつもファンへのメッセージなどで末尾に書き添えていたのと、まさに同じ言葉である。

幸田浩子さんが何らかの形で本田美奈子さんから影響を受けているのかどうかは、全く以てわからない。ただレコード会社は同じコロムビアだし、お姉さんの幸田聡子さんもかつてコロムビアに所属し、美奈子さんと同じく岡野博行さんがプロデュースを手がけていたという縁もあるので、幸田さんが美奈子さんのことを敢えて意識してこの言葉を使ったという可能性も十分に考えられる。真相は不明だが、私としては、この言葉はわかる人にだけわかる、幸田さんから美奈子さんへのさり気ないオマージュの表明なのだと解釈することにしたい。


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ラフマニノフ交響曲第2番 全曲版普及の経緯

2009年10月28日

先日のエントリーラフマニノフの交響曲第2番の版の問題について少しふれたのだけど、このことについてもう少しだけ補足しておきたい。

よく知られるようにこの曲の完全全曲版による演奏を定着させたのはアンドレ・プレヴィンさんの功績だが、彼もかつてはこの曲を短縮版で演奏していた。というよりそもそも全曲版の存在自体を知らなかったらしい。その彼が全曲版で演奏するようになったのは、ソ連での公演でこの曲を演奏した際にエヴゲニー・ムラヴィンスキーに全曲版の存在を教えられ、それを基に演奏するよう薦められたのがきっかけだったそうだ。このことは2007年10月14日放送の『N響アワー』でのインタビューでプレヴィンさん自身が語っていた。


この事実は私にはいろいろな意味で興味深かった。まず思い浮かぶ疑問は、ムラヴィンスキー自身はこの曲を演奏したことがあったのかどうかである。ムラヴィンスキーによるラフマニノフ作品の作品の録音は、私の知る限りでは交響曲はおろかピアノ協奏曲でさえ存在しない。録音はないがコンサートでは演奏していたというのもちょっと考えにくい気がする。当時この作品が置かれていた状況を考えればなおさらである。

ムラヴィンスキーのような傑出した指揮者なら、自分が演奏しない作品でも版間の相違等の情報も含めて把握していたとしても特に驚くには価しないのかも知れない。しかし自分が演奏しない作品について他人にアドバイスをするというのは、どういう意図だったのか、少しわかりにくい気がする。


もう一つ気になるのは、ソ連国内でこの曲を演奏していたクルト・ザンデルリングさんやエヴゲニー・スヴェトラーノフにはこうしたアドバイスをしていなかったのか、ということである。この二人は早い時期からこの作品をレパートリーに採り入れていた指揮者だが、二人とも古い録音ではカットした版で演奏している。もしムラヴィンスキーからのアドバイスがあったのだとしたら、彼らはそれに敢えて逆らって短縮版を演奏していたことになる。ムラヴィンスキーとスヴェトラーノフとの間にどの程度接点があったのかはよく知らないが、ザンデルリングさんはレニングラート・フィルの第一指揮者を務めていたので、プレヴィンさんにそういうアドバイスをしたのなら、ザンデルリングさんに対してもしなかったはずはないと思う。

まあ原典尊重主義というのは20世紀の発明品なのであって、前にも述べたようにかつてはベートーヴェンの作品でさえ楽譜に手を加えて演奏するのが普通のことだった。彼らくらいの世代の演奏家にとってはこうした態度は自然なことだったのだろう。むしろ、おそらく当時としてはムラヴィンスキーのような人の方が特異な存在だったのではないだろうか。


この曲の短縮版による演奏が広く行われていた背景には、ラフマニノフの晩年から没後しばらくくらいの時期は一般に演奏時間の長い作品が嫌われていたという事情があったようだ。しかし現在ではこれよりももっと長いブルックナーマーラーの作品も人気曲として定着しているので、この曲が長いという理由で嫌われることはもう心配しなくていいだろう。この類稀な名曲が作曲者の意図した通りに演奏されるようになったのは、まことに喜ばしいことである。

私はこの種のテクスト・クリティークに類する話は苦手なので、作品を鑑賞する際に版についての細かい点はあまり気にしないことにしている。ラフマニノフ作品で版の相違が問題になるのはこの曲のほかにはピアノ・ソナタ第2番とピアノ協奏曲第3番があるくらいで、そう多くはないので助かっている。ブルックナーのファンの方などは私から見れば本当に気の毒な限りである(いや、ああいう議論を好きでやっている御仁も結構多いのかも知れないが)。

この間などは『N響アワー』でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の初稿版による演奏というのを放送していた。これなどはどういう意義があるのか私には皆目見当もつかない。楽譜とは読むためではなく弾くためのものであり、音楽は見るものではなく聴くものだと思うのだが…。

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