サーバメンテナンスのお知らせ

2012年4月14日

サーバをレンタルしているXREAからメンテナンス作業の連絡がありました。4月15日午前0時から午前9時にかけて、サーバのメンテナンスを行うそうです。この間、サイトへのアクセスができなくなるものと思われますが、どうぞご諒承下さい。

追記(15日18時00分)

どうやら無事に終了したようです。

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シス・カンパニー公演『ガラスの動物園』

2012年4月 3日

前回のエントリーに引き続き演劇の話題になるが、先月の29日にBunkamuraシアターコクーンでシス・カンパニーによる『ガラスの動物園』の公演を観た。お気に入りのこの作品を、今や日本を代表する大女優となった感のある深津絵里さんの演技で観られるということで、これは観ておかなければ、と思い渋谷まで足を運んできた。

この戯曲は20世紀のアメリカを代表する劇作家の一人、テネシー・ウィリアムズの出世作で、一つの家族が崩壊していく過程を詩情豊かに描いた名作である。自伝的な要素の強い作品で、舞台の設定や登場人物のキャラクターには作者自身の生い立ちや家族の肖像が色濃く反映されている。特に作者の姉への痛切な思いが全編に溢れていて、これを書いていた当時はもとより、亡くなるまで決して癒えることのなかったであろう生々しい傷の痛みが、登場人物たちによって語られるみずみずしい言葉のはしばしから、ヒリヒリと伝わってくる。1930年代のセントルイスという時間も空間も隔たった場所が舞台だが、“無縁社会”などという言葉が流行語となるような昨今の日本の社会の状況にあっては、最小単位の共同体である「家族」というテーマは切実に身に迫る題材でもある。


ローラ役の深津絵里さんはまさに今が旬の名女優。幅広い芸域を持った役者さんだが、特にこういう繊細で可憐な女性を演じさせたら今この人の右に出る者はいないと思う。例えば劇の最後、アマンダが持ち前の南部アメリカ風のもてなし術で快活にジムに応接する脇で、蓄音機の傍らに呆然と佇んでいるだけのローラの姿がたまらなく切なく映る。もちろん作者の卓越した作劇術ゆえのことなのだが、こういうシーンを深津さんのような女優さんの演技で見るのはまた格別なものがある。いかにもローラに相応しいか細い声ながら、言葉がはっきりと明瞭に聴き取れる発声なども—役者として当たり前の技術なのだろうが—さすがだと思った。

期待を裏切らない名演を見せたもらったと思う一方で、同時に少し役柄を作り込み過ぎているという印象を受けるところもあった。例えば足が悪いという設定は作者も「舞台上では暗示以上に強調する必要はない」と指定していて、極端にいえば足を引き摺るような仕草は一切見せなくても、観客の側の想像力に委ねてしまっていいところだと思うのだ。当惑して蓄音機のぜんまいを巻く仕草なども私は大仰に過ぎるように感じたのだが、このあたりは笑いの要素も積極的に採り入れるという演出の方針もあってのことだったかも知れない。まあローラという役柄は—もちろん現実の作者の姉がモデルになっているにしても—ウィリアムズがその天才的な詩的想像力によって作り出したかなり非現実的なキャラクターなので、こういう役を力を抜いて自然体で演じるというのもなかなか難しいことかも知れない。しかし深津さんの力量を以てすればそれも決して不可能ではなかったと思う。

劇場で売られていたパンフレットを丹念に読むと、彼女が共演の役者さんたちからもリスペクトされている様子が窺えて興味深いのだが、本人は至って謙虚で、幼稚園のお遊戯会では“草”の役だった、なんてエピソードを披露している。きっと素顔が可憐な人なのだろうけど、演技というのは可憐な人が可憐な役柄を演じれば可憐な人物が出来上がる、なんてなまやさしいものではないはずで、そこに役者としての確かな技術の裏付けがなければ、これほど鮮明に役柄の人物像が浮かび上がるものではないだろう。しかしどうも深津さんという女優さんは、そういう自分の能力に対する自意識みたいなものは希薄な人のようだ。

謙虚なのも結構だけど、彼女が今後さらに飛躍していく上で必要なことが何かあるとすれば、それはもっと自分の技術や才能に確かな自信を持つことではないだろうか。…などと偉そうにもそんなことを考えてみたのだけど、これはローラと同じだな、と気づいたら何だかおかしくて、一人で笑ってしまった。


トム役の瑛太さんもまた実に相応しい配役で、青年詩人の持つ繊細さと粗暴さの両極を大きな振幅で演じて見せた。この俳優さんについてはこれまでほかに大河ドラマ『篤姫』での小松帯刀役くらいしか見たことがないのだが、最近の自動車のCMそのままに、一見やさ男風の風貌の下に確かな役者魂を秘めた人、という印象がある。何より初演から70年近くが経つこの劇が紛れもなく“現代劇”なのだということをはっきりと印象づける清新さが、彼の演技からは感じられた。

欲をいえば、振れ幅の大きな抑揚の中に、それがトムの心理の内的必然によって引き起こされているのだと自然に感じられるところがもっとあればなおよかった、とも思った。例えばジムに「倉庫をクビになるぞ」と脅されて「倉庫もミスター・メンドーザもない世界に跳び出すんだ」と返す場面。ここは親友との平穏な会話のうちにトムの現状への強い苛立ちや焦燥感が滲み出てこなければおかしいところだが(ト書きには「トムは静かな昂奮をもって話す」と指定されている)、言葉があまりに一本調子に過ぎて行くのでこちらにはそうした風情を感じ取る余裕がなく、記憶の中からこの部分のテクストを思い起こして理解を補わなければならなかった(ということは戯曲を読んでいない人にはトムがこの部分でどういう心情を吐露しようとしていたのかが十分に理解できなかったのではあるまいか)。


アマンダを演じたのは立石凉子さん。今回の四人の配役の中で最も無理なく役柄にはまっていたのはこの人だったと思う。このアマンダという人物はかなり戯画的な描かれ方をしているので、かなりの量のセリフを早口でまくし立てなければならないという物理的な意味での困難さを別にすれば、トムやローラにくらべれば演じやすいという面はあるかも知れない(ウィリアムズは「類型のコピーに終わってはならない」と指定しているが、そう見えてしまうとすればそれは作者の責任によるところが大きいだろう)。しかしともかく、戯画的で滑稽であるにも関わらず、あるいはそれゆえにこそ滲み出る、ローラとは全く違った種類の可憐さが、立石さんのアマンダからは自然に感じられたのがよかった。

ジム役の鈴木浩介さんは野心的な出世主義者という側面よりも感じのいい好青年という面を強調して演じて見せた。ジムという人物の造形の仕方にはもっと違ったアプローチもあり得るだろうけど、私はやはりこういう方向性がいいと思う。ローラにキスして虚しい望みを抱かせてしまうところなどはある意味かなり残酷なのだが、鈴木さんはパンフレットに寄せた文章の中で、「熱弁を振るううちにベティのことなんかすっかり忘れて(笑)、その瞬間は本当にローラに惹かれてるんじゃないかな」と述べている。この意見には私も全面的に賛成である。


演出の長塚圭史さんはこの劇の悲劇的な性格をことさらに強調するのではなく、適度に軽快な笑いの要素も採り入れて作品に豊かな彩りを添えている。特にジムのキャラクターなどは、今は冴えない仕事に就いているとはいえ高校時代には花形スターだったという面をもう少し役柄に反映させた方が自然だと思うが、ここではかなりおどけた調子の三枚目として演じられている。これは配役の鈴木さんの個性によるところも大きいのだろう。

もちろん、悲しい物語だからといってひたすら陰鬱に演じればいいというものではなく、作者自身、ローラの絡む場面にさえ明らかに笑いをとることを意図したセリフを配している。そんなセリフの一つが、キャンドルをはさんでジムと向かい合うシーンでのローラの「私は—見えます」だが、目を引いたのは、このセリフに対するジムの反応が、いわゆる“ノリ突っ込み”になっていたことだった。こうした翻訳劇で関西芸人風のノリ突っ込みを見ようとは実に意外で、こんなところに長塚さんや出演者たちが風通しのいい稽古場から自由な感覚でこの劇を作り上げてきた様子が窺われるようで、興味深く感じた。


この公演では古家優里さん率いるダンスグループ「プロジェクト大山」による舞踏が呼び物の一つになっていた。役者の演技の邪魔にならないよう巧みに存在感を消しながら登場人物が四人しかいない舞台にアクセントを与え、しなやかな身のこなしで舞台の模様替えまで担当する様子は見ていてなかなか面白かった。しかしこの演出が劇の筋立てや詩情を伝える上で十分に効果的だったかというと、そこはやや疑問に思う。

これと似たような趣向として、2004年のグラインドボーン音楽祭でラフマニノフのオペラ、『けちな騎士』が上演された際に、原作にない擬人化された“吝嗇の精”を女優さんがパントマイムで表現する、というのを(TVでだが)観たことがある。この演出は劇の主題を視覚的に描き出す上で非常に効果的で、深い感銘を受けたものだった。(この上演の模様はブルーレイディスクで観ることができる。)

それと比べると今回の公演での舞踏の使用には、必然性というものがあまり感じられなかった。もっとも、『けちな騎士』 の場合、滅多に上演される機会のない作品を何とか忘却の淵から救い出すためには、どうしても何かプラスアルファが必要だという事情があった。逆に考えると、今回の演出があまり鮮烈な印象を残さなかったのは、何度も繰り返し上演されてきた名作に、それまでにない新たな趣向を付け加えるのはなかなか容易でないことを物語っているのかも知れない。


私はこの戯曲には小田島雄志さんの名訳で親しんできたが、今回の上演の台本を手がけたのは徐賀世子さんである。この新訳はベタなダジャレがこなれた表現になっているな、と感じる部分が多々あった一方で、小田島さんならではの気の利いた言い回しが平板で無粋なものに置き換わってしまっているように思える箇所も散見された。

一例だけ挙げると、ローラがジムの手に角の取れたユニコーンを握らせてつぶやくセリフ。ここでウィリアムズは「souvenir」というフランス語由来の美しい言葉を用いているのだが、このセリフが徐さんの訳では「おみやげに」となっていた。もちろん決して間違っているわけではないが、極度に内気な女性が淡い恋心を寄せていた男性と短いが濃密な時間を計らずも過ごし、もう二度と会えないと悟って自分が最も大切にしている品物を手渡す際の説明が「おみやげ」というのは、私の感覚では無粋に過ぎる。この部分、小田島さんの訳では「今夜の—記念に……」である。


総じていえば、作品の真価を清新な感覚とともに提示してみせた、上質な公演だったといえると思う。いくつか挙げた批判めいた事柄も、作品のファンであるがゆえの欲深な要求とでもいうべきものに過ぎない。ただ、はっきりと強い不満を表明したい点が一つだけあるとすれば、それは音楽である。スタッフのクレジットには音響担当の方のお名前はあるのだが、音楽監督に相当する役回りの人は置いていないようで、何とも味気ないおざなりの音楽が必要最小限使われているだけだった。しかしこの劇は、作者が「上演のためのノート」でかなりこだわって音楽の重要さを強調しているのだ。

例えば母親の選んだドレスを着て、“かわいいペテン師”(徐さんの訳では“ちっちゃな嘘つき”だったかな?)も仕込んだローラがひとり鏡の前に立つ場面。ここは初版ではスクリーンの字幕に「これが姉のローラだ—音楽で祝福を!」と映し出すよう指定されていたところで、作者の意思を尊重するならここはとびきり上等の音楽が鳴っていなければならない場面だった。こういう大事なところで音楽がないというのは、何とも寂しい思いがした。ローラが母親に促されて月にお祈りをする場面なども音楽の使用が効果的だったはずだ。これでもし音楽監督に例えば大島ミチルさんを迎えていたらどんなによかっただろう、と夢想してしまうのだが…。まあさすがにストレートな台詞劇にそこまで要求するのは欲深に過ぎるというものか。


それにしてもあらためて感じさせられるのは、テネシー・ウィリアムズの戯曲の素晴らしさである。生き生きと血の通ったセリフ、巧みな劇の構成、全編に溢れる豊かな詩情。そのどれもが相俟って、この上なくデリケートで親密な追憶の世界を作り出している(立石凉子さん「痛みと不思議な優しさに包まれている世界」、深津絵里さん「完璧な人は誰も出てこなくて、みんなが愛おしい」)。小田島雄志さんは新潮文庫版の解説で「見るたびに読むたびに、新鮮な感動を覚える」と述べているが、私も初めて読んでからもう20年以上が過ぎているが、あの時の新鮮な感動は今も少しも色褪せず胸に蘇ってくる。

悲しいお話だし、最後に救いの光明みたいなものが見えてくるわけでもない。ここに提示されているのは作りごとではなく、作者自身が生涯にわたって背負うことになった生々しい傷跡そのものである。それでもこの戯曲を鑑賞した後では、人という存在がより愛おしくなり、日々何気なく過ごしている瞬間瞬間がきらきらと繊細な光芒を放ち始めるように感じられる。生きることは悲しいことだけれど、私たちの体を通り過ぎていく時のかけらを、脆くてこわれやすいガラス細工のように愛おしみつつ過ごすことは、確かに貴く価値あることであるに違いないと信じさせてくれる、私にとってそんな作品である。


最後に、劇場で配られたアンケートに応えそびれてしまったので、代わりにここで回答しておくことにしたい。こんな辺境サイトが関係者の目に留まるとも思えないけど、自分の中のけじめとして。


この公演を何でお知りになりましたか? (該当するもの全てに○をつけてください。)
d. 新聞・雑誌 [誌名: 朝日新聞2月23日夕刊]
この公演をご覧になったきっかけは何ですか? (該当するもの全てに○をつけてください。)
a. 出演者 [深津絵里さん] b. 作品 c. 作家
この公演でよかったものは何ですか? (該当するもの全てに○をつけてください。)
a. 戯曲 b. 演出 c. 出演者 [全員]
(以下四つの設問は割愛)
この公演の感想などございましたら、お書き添えください。
詳しくは上に述べた通りだけど、とにかく今をときめく大女優、深津絵里さんを擁してこの劇を、という企画自体が秀逸でした。パンフレットの長塚さんの「ごあいさつ」などを読む限りでは予てからお気に入りの作品だったというわけではないようで、この企画がどういう経緯で立ち上がってきたのかよくわからないけど、ともかくこれを発案された方に敬意を表します。

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