ハルダンゲル・ヴァイオリンの魅力

2011年7月28日

昨日YouTubeにとても魅力的な動画が公開されたのでここで紹介したい。下の動画は山瀬理桜さんによるハルダンゲル・ヴァイオリンの演奏のプロモーション・ヴィデオである。

ハルダンゲル・ヴァイオリンとはノルウェイのハルダンゲル地方に伝わる民俗楽器で、現地の言葉ではハーディングフェーレと呼ばれる。通常のヴァイオリンと異なり駒の下部に直接演奏には使用しない共鳴用の弦が張ってあるのが特徴で、この共鳴弦の響きによって独特の音色が奏でられる。弦楽器であるはずがどこかバグパイプを思わせるような音色に聴こえるのが不思議で、見事な装飾とも相俟って何とも愛らしい魅力をふりまく楽器である。ノルウェイを代表する大作曲家、エドヴァルド・グリーグが劇付随音楽『ペール・ギュント』でこの楽器を使用したことでも知られている(通常はヴィオラで演奏される)。



山瀬理桜さんはこの楽器の演奏の日本の第一人者で、演奏家としてのみならず日本ハルダンゲルクラブの理事長として日本とノルウェイの友好に尽力されている方でもある。山梨の景徳院の満開の桜を背景に演奏する山瀬さんの姿はたとえようもないほど美しい。

音声はおそらく映像と別々に記録されたものだが、もちろん演奏も映像に少しも劣らぬ美しさである。最初に演奏しているのは日本古謡の「さくらさくら」、その次はノルウェイ民謡で、オフィシャルサイトの説明によると“ウエディングマーチ”とのことなので結婚式で演奏される曲らしい。

このあまりにも美しい演奏動画、ぜひ多くの方に堪能していただきたい。ハルダンゲル・ヴァイオリンは日本ではまだそれほど知られてはいないようだが、これをきっかけにこの愛らしい楽器がより広く親しまれるようになって欲しいと思う。

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「逝きし世の面影」

2011年7月23日

サイトの趣旨とは異なる話題だが、今回は最近読んだ本についての紹介記事を書いてみたい。一応音楽サイトのつもりで運営しているのだがたまにはこういうのもいいだろう。

最近読んだというのは渡辺京二さんの「逝きし世の面影」という著作である。各方面で話題になった本なのでご存知の方も多いと思うが、幕末から明治初期にかけて訪日した欧米人の見聞記を通じて徳川期の日本社会の実像に迫ろうとする意欲作で、1998年に葦書房から出版され1999年度の和辻哲郎文化賞を受賞した名著である。その後版元で品切れになり入手困難な状態が続いていたのだが、2005年に平凡社ライブラリーの一巻として復刊され、以来幅広い読者層に支持されてロングセラーとなり今に至っている。

私も予てから読みたいと念願していたのだが、なにぶん大部な書物なもので(普通の文庫本よりやや大きめのサイズで600ページを越す)、その分厚さに逡巡してしまっていた。しかしこのほど奮起して読み始めてみると、平易な語り口でありながら非常に興味深い内容で、あまり苦労することもなく読了してしまった。序でなので自分自身の記憶のためを兼ねて、関心のある方に向けて読書案内を記しておくことにする。私が読んだのは2005年の平凡社版で、以下引用のページ数表記もこの版に基づく。


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なでしこJAPAN ワールドカップ優勝

2011年7月18日

今朝は素晴らしい試合にドキドキさせてもらった。アメリカはやはり想像した通りの強さだったが、細かいパスを丁寧つなぐなでしこの技術と、最後まで諦めない強い精神力が最後に花開いた結果といえるだろう。PK戦というのはじゃんけんみたいなものなので論評するのは虚しいが、円陣を組んだ時に日本の選手たちに笑顔が見られたのが非常に印象的だった。こういうぎりぎりの状況で笑顔を見せる余裕があるというのは、それだけ彼女たちがいい精神状態でこの大会に臨めていたということなのだろう。

日本の攻守を支える大黒柱、澤穂希選手はMVPと得点王に輝く大活躍で、特にボランチのポジションで得点王というのは驚異的なことだと思う。私の推しメン(?)の鮫島彩選手が美しい笑顔をほころばせて喜ぶ姿も目にすることができて本当によかった。


ただ、既にいろいろと報道されているように、代表チームの強化は急ピッチで進んだものの日本の女子サッカーをめぐる環境は決して恵まれていないのが実状である。この快挙が女子サッカーのさらなる発展に結びつくためには、選手たちがもっと安心して練習に打ち込めるような環境を整備することが必要だし、競技人口の裾野をもっと広げていく努力をしなければならない。

もちろん、今回のなでしこたちの活躍を見て自分もサッカーをやりたいと思った女の子たちも全国にたくさんいることだろう。そんな子たちの思いを形にしていくことができるかどうか、そこに日本のスポーツ文化の底力が試されるといっていい。今日はこのなでしこJAPANの快挙を祝福するとともに、スポーツの明るい未来に祈りを捧げたい。

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「Everyday、カチューシャ」

2011年7月16日

作詞:秋元康 作曲・編曲:井上ヨシマサ

昨日になってAKB48の「Everyday、カチューシャ」のPVが公開されたので貼り付けてみる。周知の通り特典として第3回総選挙の投票権を付けて売り出されたシングルである。このAKB商法と呼ばれる手法—魅力的な特典をつけることで同じCDを何枚も買わせる—によって、CD売り上げ枚数の数値は今や音楽の評価の尺度としてはほとんど機能しなくなっているといっていいだろう。AKB48がCD売り上げの記録を続々と更新していく様を見るにつけ、CDはもはや音楽を聴くためのメディアというよりはタレントグッズのようなものへと化しつつあるのか、という感慨にとらわれたりもする。

ところが意外なことに、このシングルを購入しながら投票に参加しなかった人も多く、総選挙終了後にも売り上げは伸びていて、結果的にシングル売り上げのうちおよそ半数は投票権目当てではなく購入されていたという事実も明らかになった。つまり、これを買った人の多くは、純粋に楽曲として評価して購入していたらしいのである。こういう商法が幅を利かせるような時代に暗鬱たる思いを募らせていたところに、少し希望を感じさせてくれる情報だった。



実際この曲は楽曲として十分に楽しめる仕上がりになっている。やはり何よりメンバーたちの溌剌とした若さが眩しく映る。髪をセットするのに使う小道具をフィーチャーしているのは第2回総選挙の投票権付きシングルだった昨年の「ポニーテールとシュシュ」と同工異曲の趣向といえるが、拍の裏にアクセントのあるフレーズを配したりしてリズムが幾分凝った作りになっている。

映像は意味ありげなカットを小刻みにつないで思わせぶりな作りの割りには通して見てもストーリーらしきものが浮かんでこなかったり、「ヘビーローテーション」のPVのパロディらしきところも何だかとってつけたようだったりと、作り手の意図がやや上滑りしている印象がある。この点では冒頭にちょっとした小芝居を配した一方で歌の部分はシンプルな作りにした「ポニーテールとシュシュ」のPVの方がいい出来だったような気がする。まあともかく、メンバーたちの色とりどりのビキニ姿が堪能できるだけでも楽しいPVなので、細かいことはいいことにしよう。


去年の初めくらいまでは一部のマニアたちのものでしかなかった彼女たちも、去年と今年の総選挙を通じていよいよ国民的アイドルというに相応しい存在になりつつあるように見える。この種の狂躁というのは楽しめる人と鬱陶しく感じる人とに分かれるようだが、私はみんなと一緒になってノってしまえる方がクールでスマートだと思っているので、阿波踊りよろしく阿呆面下げて楽しみたいと思っている。

ちなみに私の一推しは抜群の美貌と見事なプロポーションが魅力の小嶋陽菜さんで、最近チーム4として正式メンバーに加わった市川美織さんをその次に推している。来年はちゃんとCDを買って投票に参加するか…、悩むところである。

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「前へ」

2011年7月11日

作詞・作曲:佐藤賢太郎

今日で震災からちょうど4か月になる。犠牲となった方々への鎮魂や復興への祈りをこめて制作された楽曲として伊藤康英さんの「貝がらのうた」という作品を以前紹介したが、このほかにも気に入った作品があるので紹介してみたい。

下の動画は佐藤賢太郎さんの合唱曲「前へ」である。演奏は男声部を作曲者自身、女声部を上田絢香さんが担当して多重録音したものらしい。穏やかなメロディーと清らかなハーモニーが鮮烈なまでに美しく、聴く人の心に優しい希望の光が降りそそいでくるような作品である。佐藤さんご自身で手がけた詞も素晴らしく、人と人の絆の大切さをあらためて想起させてくれる。(タイトルは明治大学ラグビー部元監督北島忠治さんの遺訓とは特に関係ない…はず。)



これはカワイ出版が提唱して始められた「歌おうNIPPON」プロジェクトの参加作品として発表されたもので、楽譜が無料で配布されている。ここに紹介したのは無伴奏の混声四部合唱版だが、女性合唱版や男声合唱版、あるいはそれぞれにピアノ伴奏がついた版も用意されている。佐藤賢太郎さんのYouTube公式チャンネルにはそうした版によるものや、多重録音でなく実際に合唱団によって歌われた映像も公開されている。無伴奏版の完成度があまりにも高いのでピアノ伴奏というのは蛇足ではないかと初めは思ったのだが、このピアノ・パートがまた実に絶妙な美しさだった。どの版も素敵なのでぜひいろいろと聴きくらべてみていただきたい。あるいは合唱をなさる方は実際に歌ってみていただきたいと思う。

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「命をあげよう」

2011年7月 6日

日本語詞:岩谷時子 作詞:リチャード・モルトビーJr.、アラン・ブーブリル 作曲:クロード=ミシェル・シェーンベルク
公演開始前にスタジオ録音されたものが『ミス・サイゴン』日本公演ハイライト盤 TOCT6432(1992.03.25)に、本公演のライヴ録音が『ミス・サイゴン』帝劇(東京)公演完全全曲ライヴ盤 TOCT8008-09(1993.05.19)に収録されている。ほかにこのナンバー単独の録音が「LIFE〜本田美奈子.プレミアムベスト〜」UMCK-9115(2005.5.21)と「心を込めて…」COCQ-84139(2006.04.20)に収録されている。

先月11日にNHKのBSプレミアムでトニー賞に関連した特別番組が放送された。その中で本田美奈子さんが1991年6月にNHKの音楽番組に出演して「命をあげよう」を歌った際の映像が放映されたのだが、これがさすがに美奈子さんというべき素晴らしい歌唱だった。特に声の強弱のつけ方が絶妙で、それによってこのナンバーの持つドラマティックな性格がより効果的に引き立てられていた。もちろんそれは周到に計算され練り上げられたものなのだろうが、同時にそこには美奈子さんの天性の勘ともいうべきものが躍如しているのが感じられる。

この映像は『ミス・サイゴン』日本初演の一年前に収録されたもので、歌詞が実際の上演で使用されたのとは大きく異なっていた。番組に出演した今井清隆さんによるとおそらくオーディションではこの歌詞で歌ったのだろうとのことだった。訳詞を担当された岩谷時子さんが劇としてより効果的な日本語訳を求めて実際の上演まで推敲を重ねていた様子が垣間見られて実に興味深い。

もう一つ興味を誘われるのは、美奈子さんが随所にファルセットを織り交ぜて歌っていたことだった。作曲者のクロード=ミシェル・シェーンベルクさんは確かこのナンバーを地声で歌い通すことを要求していたと聞いている。オーディションの段階ではファルセットを交えて歌っていても、トレーニングを重ねれば本番までには地声で歌えるようになると見越しての美奈子さんの起用だったのか。ともかく様々な点で示唆に富む、貴重な映像だった。

同じく番組に出演した新妻聖子さんはご自身のブログでこの映像について次のように振り返っている。

NHKの過去の秘蔵映像もたっぷり見られるんですが、「ミス・サイゴン」日本初演前に本田美奈子.さんがテレビで歌われた「命をあげよう」は本当に貴重で素晴らしいです。

上演前だからか訳詞が今とは全然違って、「ここから日本のサイゴンの歴史が始まったんだ」と感動しました。本田さんの可憐さに、ストレートな歌詞の世界観に涙が出た…。

収録終わりました!|SEIKO NIIZUMA OFFICIAL BLOG

実際の舞台での美奈子さんの歌唱がどのようなものだったかは、ライヴ録音によって知ることができる。ここでは作曲者の要求通り、このナンバーを地声で歌い通しているのが確認できる。強弱の絶妙な按配に加え、自在なルバートがドラマティックな緊張感をさらに高めている。フレーズの切れ目の音を長く伸ばして歌うところと短く切り上げるところの対照によってメリハリをつけているのが目立つのは、阿蘇山麓の野外コンサートでの「つばさ」にも共通しており、これは美奈子さんのライヴ・パフォーマンスの特徴の一つなのかも知れない。最後の「命をあげるよ」の‘あ’の音が本来の高さよりやや低いところから出てそこからずり上げているのは、意図したものではなく音を外したのを修正しているようにも思えるのだが、そうしたところさえもが楽曲のドラマティックな表現として十分に成り立っている。

一部のみ公開されている舞台映像から察するに、このナンバーは幼い息子のタムに寄り添って床に座った状態で歌っていたようだ。このナンバーは劇中の最大の聴かせどころなのだから、素人考えではもっと声を出しやすい姿勢で歌わせる演出でもよかったのではないかと思うのだが、プロの歌手にとってその程度のことはさして障害にはならないのかも知れない。ともかく美奈子さんの発声が歌う姿勢に影響されている様子は全くない。


『ミス・サイゴン』のロングランを終えた後、美奈子さんはアルバム「JUNCTION」にこのナンバーを収録している(編曲は宮川彬良さん)。ここでの歌唱は劇的な緊張感よりも単独の楽曲としての完成度を優先させているようで、やや遅めのテンポでしっとりと聴かせている。このヴァージョンは劇中で歌われたものよりも半音高い調で歌われているらしいのだが、なぜそのようにしたのかはよくわからない。そしてそのことと関係あるのかどうか、一部をファルセットで歌っている。舞台上では守り通した作曲者の指定に敢えて逆らった理由もよくわからないが、美奈子さんとしてはファルセットに“逃げる”のではなく、自分のパレットに用意してある色彩の一つとして積極的に利用したいという意志の表れだったのではないかと想像する。このヴァージョンは現在手に入るCDとしては美奈子さんの入院中に発売されたベスト・アルバム「LIFE〜本田美奈子.プレミアムベスト〜」で聴くことができる。


同じく『ミス・サイゴン』の劇中のナンバーである「サン・アンド・ムーン」 の感想を記した際にも述べたが、このミュージカルはジャコモ・プッチーニのオペラ『蝶々夫人』を下敷きにしていると言われている。しかしこの二つの劇で大きく異なるのは、『蝶々夫人』のピンカートンは初めから蝶々さんに誠意がなかったのに対し、『ミス・サイゴン』ではクリスはキムを心から愛しており、アメリカに帰ってエレンと結婚した後もキムのことを絶えず気にかけていたという点である。その意味でキムは蝶々さんより幸せだったといえる。キムの悲劇の要因は、報われない愛にではなく、息子タムへの母親としての愛情にある。経済的に援助はするがタムをアメリカに引き取るわけにはいかないというクリスに、無理にでも引き取らざるを得ない状況を作り出そうとしてキムは自らの命を絶つのである。

それはあまりにも悲しい結末であり、キムの無謀な決心を“健気”ということもできるだろう。しかし、と私は考える。自分がもしタムの立場だったなら、たとえどんなことがあろうとも母親に生きていて欲しかっただろうと思う。アメリカで手にすることができるかも知れないどんなチャンスより、母親が生きて注いでくれる愛情の方が遥かに価値あるものではなかったろうか。森進一さんが最愛の母を亡くした時にどんなに悲しい思いをしたかと考える時、私はこの結末を“感動的”と呼ぶことにはためらいを覚える。ヴェトナムに取り残されたブイ・ドイたちにとってアメリカに渡って“アメリカン・ドリーム”を手にすることだけが幸せに至る道であるかのように思い描くのも、“先進国”の住人たちの驕りでしかないようにも思われる。

そんなわけで私は息子のアメリカ行きのために命を投げ出すキムの行為を“究極の母の愛”として称揚するような見方には与しない。しかしそれはともかくヴォイス・トレーナーの山口琇也さんは美奈子さんの第一印象を「ひたむきで献身的、愛情にあふれたキムそのもの」と語っていたそうで、確かに美奈子さんのそんな姿がこの役にはまっていたのは間違いないと思う。それがどんなに無謀で無益な行為だったにせよ、タムを思うキムの真情には一点の曇りもない。そんなキムとほとんど重なり合うかのような美奈子さんの可憐な姿が、この劇を成功に導いたのだろう。


美奈子さんによるこの歌の録音として最後に残されたのは、デビュー20周年を記念して制作することを予定していた新しいアルバムのための、仮の歌入れである。この音源は逝去後に制作されたアルバム「心を込めて…」に収録されている(編曲は井上鑑さん)。本来は公に発表することを想定していなかった音源ということもあるのだろう、淡々とした出だしだが、歌い進めるうちにおのずから興が乗ってきて次第に力のこもった歌唱になっていくのが感じ取れる。

クラシカル・クロスオーヴァーでの成功という経験を踏まえて制作されるミュージカル・ナンバーの新録音はどんなコンセプトで行われるはずだったのか。この仮の録音では舞台上でと同じく地声で通しているが、本番での歌唱ではパレットの中からファルセットを取り出す予定はなかったのか。伴奏はピアノを中心としたシンプルなものだが、これにもう少し装飾を加えるつもりはあったのかどうか。考え始めると興味は尽きないが、それを知ることは見果てぬ夢である。

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チャイコフスキー・コンクール2011

2011年7月 1日

先月半ばから開催されていた第14回チャイコフスキー・コンクール、私も連日ストリーミング配信でピアノ部門の模様を楽しんでいたが、昨日で全ての審査が終了し、日本時間の深夜に結果が発表された。ピアノ部門で優勝したのはダニイル・トリフォノフさん、ロシアの二十歳のピアニストだった。

彼は昨年のショパン・コンクールにも出場して3位という好成績を収め、ピアノ音楽の愛好家の間で高い人気を獲得した人である。その時はイタリアのピアノ・メーカー、ファツィオリを使用して、この楽器特有の澄明な響きを最大限に生かした演奏が非常に印象的だったのだが、私は正直に言ってこの時の彼の演奏はあまり好きになれなかった。

しかしあれからわずか半年程度に間に彼の演奏スタイルは進化を遂げていたようで、今回聴いた彼の演奏は、表面上の美観に過剰にこだわることなく、より柔軟で闊達な精神で楽曲の真価に迫ろうとしているように感じられた(楽器もスタインウェイだった)。特にファイナルで演奏したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は、以前の彼のスタイルからすれば彼の特長が出にくい曲目のように思われたが、実際に聴いてみると、チャイコフスキーらしいチャイコフスキーでありながら、なおかつ豊かなイマジネーションによって独自の新鮮な魅力も感じさせるという、実に素晴らしいものだった。もちろん、彼特有の繊細な感受性は失われていない。彼の優勝という結果は大方の納得のいくものだったのではないかと思う。


しかし、それにもまして私が感銘を受けたのはアレクサンドル・ロマノフスキーさんがファイナルで弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番だった。この曲にこめられた感情の陰影を繊細かつ雄弁に描き出し、単にうまいとかいったような次元を超えて、本物の芸術とでもいうべき演奏だった。終楽章でもったいないミスが出てしまっているのだが(提示部第2主題)、そのような小さな傷は音楽の本質に全く影響を与えていない。この神がかったような名演奏はアーカイヴで聴くことができるので、(Silverlightというソフトをインストールしたり利用者登録をしたりしなければならなくて少し面倒くさいのだが)この曲がお好きな方はぜひ一度ご覧になることをお薦めしたい。

ロマノフスキーさんは総合では4位という結果に終わったのだが、この演奏は聴衆のみならず審査員の方々にも深い感銘を与えたと見受けられ、今年の4月に亡くなったヴラディーミル・クライネフを記念して設けられた特別賞に、このラフマニノフの演奏が選ばれた。この賞の発表の際にはクライネフの妻であるタチヤナ・タラソワさん(アレクセイ・ヤグディンさんや荒川静香さん、浅田真央ちゃんなど多くの名選手を育てたフィギュアスケートの名コーチ)が挨拶し、実行委員長のヴァレリー・ゲルギエフさんとともにロマノフスキーさんを祝福した。


もう一人私の印象に強く残ったのがエドゥアルト・クンツさんが一次予選で弾いたベートーヴェンのワルトシュタインだった。知的に構築された演奏でありながら、生き生きとした愉悦感にも事欠かない、実に優れた演奏だった。この人が二次予選の第一フェーズで落選してしまったのは惜しまれる。この時の演奏も悪くなかったと思うのだが、プログラムの最初にラヴェルの作品を弾いたのが、チャイコフスキーの名を冠したこのコンクールの求める方向性と違っていたのか、などと邪推してみる。しかしパデレフスキ・コンクールで優勝したり「BBC Music Magazine」誌の選ぶ明日の名ピアニスト10人に選ばれるなどすでに高い評価を得ているピアニストのようなので、この結果に関わらずいずれ頭角を現していくことになるのではないかと思う。


ともかく半月ほどにわたっての鑑賞は楽しい体験だった。惜しむらくは日本人の演奏家の活躍が見られなかったことだが…。過去には複数の優勝者が日本から生まれていることでもあり、若い演奏家の奮起に期待したい。

最後に、第1回大会での優勝者であるヴァン・クライバーンさんが表彰式の挨拶で述べた言葉がとても素敵だったので、これを紹介しておきたい。

私は音楽とは神の息吹だと信じています。

ヴァン・クライバーン
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