本田美奈子さん 叶わなかった39回目の誕生日に寄せて
2006年7月31日
今日は歌手本田美奈子さんの誕生日。生きていれば39歳になっていたはずだった。昨年の今頃は臍帯血移植の経過も良好で、38回目の誕生日を自宅で過ごすべく前日に退院を許可されていた時期にあたる。退院の際にはお世話になった医師、看護師のためにナースステーションで「アメイジング・グレイス」を歌ったのだった。その歌声の一部は公共広告機構のCMで聴くことができるが、わずか3ヶ月あまり後に亡くなることになるとはとても考えられない、生き生きとした精気に満ち溢れたものである。
自宅ではお母様と母娘水入らずの一時を過ごすことができたようだ。お母様が一緒にお風呂に入った時のことを懐かしそうに語っておられたのが印象に残っている。
しかしその幸せな時間も長くは続かなかった。8月末に病気が再発し、9月には再び入院することになってしまったのだ。メモ代わりに使っていたカレンダーには「入院したくない、お母さんと一緒にいたい」との書き込みがあり、それに自ら×印をつけている。
どうしてこのような不条理なことが起きるのか私には知る術もないが、もしこうなることが避けられない運命だったのなら、最後の日々を自宅でお母様と一緒に過ごさせて上げたかった、そんな思いにもとらわれてしまう。
彼女の誕生日にあたり、改めてどのような言葉を寄せればいいのかよくわからないので、最近また思い出した言葉をここで紹介してみたいと思う。突然の訃報の後、とある掲示板に書き込みしてみたもののすぐに流れていってしまったのだが、葬儀の際のお母様の「美奈子を忘れないで…」というご挨拶を思うと、これに勝る言葉は思いつかないのだ。
ラフマニノフが盟友フョードル・シャリャーピンの死に寄せて贈った言葉である。
「忘れられた者のみが死んだのである……」こんな碑銘を私はずっと昔、ある墓石に見たことがある。もしこの説が真実なら、シャリャーピンは決して死なないだろう。死ぬことができないのだ。なぜなら、真に途方もない天賦の才を持ったこの奇跡の俳優こそ、不滅の存在なのだから……
ニコライ・バジャーノフ著/小林久枝訳「伝記ラフマニノフ」より
同じ言葉を美奈子さんにも贈りたいと思う、消えることのない悲しみこそは彼女が今も私の胸の中に生きている証なのだと信じて…。

