山種美術館特別展「川合玉堂—日本のふるさと・日本のこころ—」

2013年8月31日

気がつけば今日で8月も終わりだが、今月はじめに山種美術館で開催されていた「【特別展】生誕140年記念 川合玉堂—日本のふるさと・日本のこころ—」に行ってきた。すっかり遅くなってしまったが、感想をまとめておきたい。

川合玉堂は山水を主に手がけた日本画家で、私の最も好きな画家の一人である。日本の山河を美しく、そして詩情豊かに描くことでは他の追随を許さないといっていいだろう。そして玉堂の絵には、山河を主題としていてもほとんどの場合にそこで生きる人の姿が描かれているのが特徴で、そのことが玉堂絵画を単に美しいだけではない、真の芸術作品として深い精神性を湛えたものにしている。今年が生誕140周年、明治6年(1873年)の生まれということは、奇しくも私の敬愛するロシアの作曲家、セルゲイ・ラフマニノフと同年ということになる。


今回の展示では、若き日の写生帖から晩年の滋味溢れる傑作群まで、多彩な作品が紹介され、玉堂芸術の全貌を概観できるものとなっている。木曽川のほとりに生まれたということもあって好んで描いた「鵜飼」の数点、「渓村春雨」や「水声雨声」の水車小屋に細かい雨がそぼ降る風景など、どれもたまらなく郷愁をそそる、見事な作品である。じっと見ていると農婦の話し声や、やさしい雨がその肩を濡らす音まで聴こえてきそうな気がする。

春渓遊猿」は風景の中に小さく描かれた猿たちの姿が愛おしく、「動物をいつくしむ」と題して別室に掲げられたいくつもの作品とともに、玉堂が人に限らず生きとし生けるものに深い愛情を注いだ様子を窺わせる。

少年時代の鳥の写生などは実に精細に描かれていて、早熟な才能を感じさせるとともに、玉堂の画業が元々は技術的な正確さへのこだわりから出発していたことを窺わせて興味深い。しかしそうした高精細な写生よりも、晩年に描かれたへたうま風の人物像の方がはるかに味わい深く感じられるのが、芸術というもののおもしろさである。

焚火」は30歳頃の作品で、後年に繰り返し描くことになる“自然の中に生きる人々”というテーマを先取りしている一方で、人物の描き方がまだかなり写実的であるところが特徴的である。晩年の滋味溢れる詩的な人物像と趣きは異なるが、これもまた玉堂芸術の一つの精華といっていいだろう。直接には全く関係ないのだが、私はこの絵を見ると、岡本おさみさんの作詞による「襟裳岬」が、元は「たき火」と題する一編の詩だったというエピソードを思い出す。

玉堂としては比較的めずらしいのではないかと思うが、屏風絵も数点、展示されていた。特に尾形光琳風の「紅白梅」は紅白の梅を遠近に配した構図の妙と気品のある花ぶりが素晴らしく、枝に止まる四十雀の愛らしい姿がまたいかにも玉堂らしい。

もう一点めずらしいと思ったのは、日本人初のオリンピック代表となったフィギュアスケート選手、稲田悦子のリンク上の姿を描いた「氷上(スケート)」である。稲田は当時29歳だそうで、きれいな曲線を描くエッジの軌跡としなやかなポーズにオリンピック代表選手としての実力を彷彿とさせている。日本の山河を数多く描いた玉堂に、まさかフィギュアスケートを主題にした作品があったとは意外だった。

《氷上(スケート)》(山種美術館)。軽やかに舞うのは、弱冠12歳でオリンピック出場経験をもつ稲田悦子選手(当時29歳)。玉堂は、青梅や信州でスケートを見に行き、リンクで一人長靴を履いて写生していたそうですよ。(山崎) pic.twitter.com/JsSNwZ2Jra

— 山種美術館 (@yamatanemuseum) August 2, 2013

期間中に展示替えがあることに気づくのが遅れて「二日月」など重要な作品のいくつかを見逃してしまったのが心残りだが、玉堂ならではの名作の数々から意外な逸品まで、多彩な画業にふれられて満足のいく体験だった。真の芸術とは、作品そのものの価値はもちろんのこと、そこから作者の高潔な精神までをも感得させるものなのだということを、あらためて思い知った気がする。


この展示企画をめぐってはNHKの『日曜美術館』で特集があり、これがまた非常に充実していて興味深い内容だった。たとえば自身の画風を確立すべく模索していた若い頃に、ジャン=フランソワ・ミレーウィリアム・ターナーなどの西洋画から影響を受けていたということはこの番組で初めて知った。

岩に打ちつける荒々しい波の姿を描いた「荒海」は文部省戦時特別美術展に出品された作品で、戦意高揚を計る目的の展覧会だったのだが、その要請に玉堂は戦闘の様子も兵卒もなく、人の姿すらない一幅の風景画を以て応えたのだった。画家は直接には多くを語らなかったが、近しい人たちは静かな抵抗の意思を読み取っていたようだった。

晩年に至るまで創作に意欲を止むことなく、戦時中に疎開して移り住んだ青梅の風景などを描いては、親しい人に贈るのを習いとした。亡くなる前には、好きな絵を描いて生涯を過ごしたことに満足しつつも、有名になり過ぎたために絵を描く時間を制約されたことを惜しんでいたという。もっと沢山の絵が描けたのに、もっと沢山の人に絵を差し上げることが出来たのに、という慨嘆の言葉に、この稀代の芸術家の素朴で飾らない人柄と高邁な志を見る思いがする。

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