ラフマニノフ交響曲第2番 全曲版普及の経緯
2009年10月28日
先日のエントリーでラフマニノフの交響曲第2番の版の問題について少しふれたのだけど、このことについてもう少しだけ補足しておきたい。
よく知られるようにこの曲の完全全曲版による演奏を定着させたのはアンドレ・プレヴィンさんの功績だが、彼もかつてはこの曲を短縮版で演奏していた。というよりそもそも全曲版の存在自体を知らなかったらしい。その彼が全曲版で演奏するようになったのは、ソ連での公演でこの曲を演奏した際にエヴゲニー・ムラヴィンスキーに全曲版の存在を教えられ、それを基に演奏するよう薦められたのがきっかけだったそうだ。このことは2007年10月14日放送の『N響アワー』でのインタビューでプレヴィンさん自身が語っていた。
この事実は私にはいろいろな意味で興味深かった。まず思い浮かぶ疑問は、ムラヴィンスキー自身はこの曲を演奏したことがあったのかどうかである。ムラヴィンスキーによるラフマニノフ作品の作品の録音は、私の知る限りでは交響曲はおろかピアノ協奏曲でさえ存在しない。録音はないがコンサートでは演奏していたというのもちょっと考えにくい気がする。当時この作品が置かれていた状況を考えればなおさらである。
ムラヴィンスキーのような傑出した指揮者なら、自分が演奏しない作品でも版間の相違等の情報も含めて把握していたとしても特に驚くには価しないのかも知れない。しかし自分が演奏しない作品について他人にアドバイスをするというのは、どういう意図だったのか、少しわかりにくい気がする。
もう一つ気になるのは、ソ連国内でこの曲を演奏していたクルト・ザンデルリングさんやエヴゲニー・スヴェトラーノフにはこうしたアドバイスをしていなかったのか、ということである。この二人は早い時期からこの作品をレパートリーに採り入れていた指揮者だが、二人とも古い録音ではカットした版で演奏している。もしムラヴィンスキーからのアドバイスがあったのだとしたら、彼らはそれに敢えて逆らって短縮版を演奏していたことになる。ムラヴィンスキーとスヴェトラーノフとの間にどの程度接点があったのかはよく知らないが、ザンデルリングさんはレニングラート・フィルの第一指揮者を務めていたので、プレヴィンさんにそういうアドバイスをしたのなら、ザンデルリングさんに対してもしなかったはずはないと思う。
まあ原典尊重主義というのは20世紀の発明品なのであって、前にも述べたようにかつてはベートーヴェンの作品でさえ楽譜に手を加えて演奏するのが普通のことだった。彼らくらいの世代の演奏家にとってはこうした態度は自然なことだったのだろう。むしろ、おそらく当時としてはムラヴィンスキーのような人の方が特異な存在だったのではないだろうか。
この曲の短縮版による演奏が広く行われていた背景には、ラフマニノフの晩年から没後しばらくくらいの時期は一般に演奏時間の長い作品が嫌われていたという事情があったようだ。しかし現在ではこれよりももっと長いブルックナーやマーラーの作品も人気曲として定着しているので、この曲が長いという理由で嫌われることはもう心配しなくていいだろう。この類稀な名曲が作曲者の意図した通りに演奏されるようになったのは、まことに喜ばしいことである。
私はこの種のテクスト・クリティークに類する話は苦手なので、作品を鑑賞する際に版についての細かい点はあまり気にしないことにしている。ラフマニノフ作品で版の相違が問題になるのはこの曲のほかにはピアノ・ソナタ第2番とピアノ協奏曲第3番があるくらいで、そう多くはないので助かっている。ブルックナーのファンの方などは私から見れば本当に気の毒な限りである(いや、ああいう議論を好きでやっている御仁も結構多いのかも知れないが)。
この間などは『N響アワー』でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の初稿版による演奏というのを放送していた。これなどはどういう意義があるのか私には皆目見当もつかない。楽譜とは読むためではなく弾くためのものであり、音楽は見るものではなく聴くものだと思うのだが…。