昨日27日の朝日新聞土曜版は日系ハワイ人たちの間に伝わる民謡「ホレホレ節」の特集だった。私がこの歌を初めて聴いたのは2000年にホノルルで開催された『NHKのど自慢 ハワイ大会』でのことだった。日系4世の女性が農作業の衣装を着てこの歌を歌ってくれたのだが、私はあの時の歌声の素晴らしさを忘れることができない。この大会はそれまでかなり陽気な雰囲気で進められていたのだが、彼女が歌い始めた途端に場内はしんと静まり返って歌声に聴き入っていた。あの時の私の感動はそれを聴いた誰もが共有していたのだと思う。この日のチャンピオンの座は当然のように彼女に輝いた。
彼女は翌年3月の『のど自慢 チャンピオン大会』にも出場してこの歌を歌ったのだが、私は迂闊にもこの放送を見逃してしまった。私はこのことを大袈裟でなく人生の一大痛恨事だと思っている。
そして記事によるとこの女性は2002年のNHK連続テレビ小説『さくら』にも出演してこの歌を歌ったという。これは私はよく覚えていないのだが、確かこの時はヒロインの祖母役の津島恵子さんも歌っていたように記憶している。このドラマも日系4世の女性がヒロインだった。この歌をご存知の方の多くはおそらくこの時にお聴きになったのではないかと思う。
“ホレホレ”とはハワイ語でサトウキビの枯葉を茎から取る作業のことをいう。日系ハワイ人の1世たちは現地でかなりの苦労をしたとのことで、この歌には短い中にもそうした1世たちの生活実感が余すところなく凝縮されているようで、聴く者の心を揺さぶらずにはおかない力強さがある。
ハワイへの移民には沖縄出身の人が多かったそうなのだが、この歌は琉球の音階ではなく日本の伝統的な音階である二六抜き短音階(“ラドレミソラ”で構成される五音音階)で作られている。瀬戸内海の船頭歌や熊本の農民歌、山口や広島の紡ぎ歌など多くの地方の民謡が元になったといわれているらしい。このメロディーの訴求力からは伝統というものの持つ力を思い知らされる気がする。
歌詞には様々なものがあるそうだが、代表的なのは以下のものである。
ハワイハワイとよ 夢見てきたが 流す涙もキビのなか
簡素な言葉だが1世たちの苦難の歴史がそくそくと胸に迫ってくるようである。
ワイキキで音楽院を主宰したハリー・ウラタさんにより標準化されたヴァージョンには労働の厳しさや家族について歌った歌詞が採用されているのだが、実際に1世たちに歌われた歌詞は男女の仲を歌ったものが半数ほどを占めるのだという。ラヴ・ソングとしての「ホレホレ節」もぜひ聴いてみたいところである。
以前NHKのBS-hiで放送された幸田浩子さんの紀尾井ホールでのリサイタルの模様が今週日曜日の夕方5時前頃からNHK-FMで放送されるらしい。ラジオなのであの美しいお姿を拝見できないのが残念なのだが、TV放送を見逃してしまった方はお聴きになるといいと思う。
大相撲秋場所九日目、横綱朝青龍は関脇の安馬を相手にいいところなく敗れ、ついに4敗目を喫した。立ち合いから右に変化した安馬に上手を許すとすぐさま出し投げで後ろを向かされ土俵の外に送り出された。
報道では十日目以降の休場が濃厚と伝えられている。九州場所へ向けて体調をととのえて再起を期すということになればいいのだが、今場所の取り組みからは気持ちがすでに切れてしまっているようにも見える。左肘の状態がかなり悪いとは言われているものの、それ以上に立ち合いの集中力や土俵際の粘りに欠けているのが目につくのだ。それはこれまでの彼の土俵人生を支えてきたものだったはずなのだが。
今の時間まで何もニュースが伝わってこないということはまだ大きな決断をするまでには至っていないのだろうが、今後も彼が本来の姿を取り戻すのは容易なことではないように思われる。
既に旧聞に属することになるが今年の4月29日に伝説のロック・フェスティバル「NAONのYAON」が17年ぶりに復活開催された。この時の模様を収録したDVDが来月発売になることがタワー・レコードからアナウンスされた。“ナオンのヤオン”と聞いてピンとくる人がどれくらいいるのかわからないが、ちょうど私くらいの世代の人にとってはある種の懐かしさを以て響く言葉なのではないだろうか。
「NAONのYAON」とはロックバンド、SHOW-YAの提唱により企画され、1987年から1991年にかけて毎年秋に日比谷公園の野外音楽堂で開催されていた女性ミュージシャンのみによるロック・フェスティバルである。当時絶大な人気のあったプリンセス・プリンセスも毎回参加して中心的な存在としてこのイベントを盛り上げた。このフェスティバルは当時の女性アーティストたちの活躍を象徴する存在でもあった。これに出演したアーティストたちの存在がなければ後のSPEEDやZONEなどの少女グループの活躍もあり得なかっただろう。
このフェスティバルは当時出演したアーティストたちにとっても特別に意義深いものだったのではないかと思う。私は以前日比谷公園を訪ねた折りに、周りの風景を見ながらふとプリンセス・プリンセスの「Diamonds」の冒頭の一節が思い浮かんだことがあった。今思うとあれは偶然ではなくて、作詞した中山加奈子さんの脳裏には実際にこの公園で行われた「NAONのYAON」の熱狂の余韻があったのではないかという気がする。
もっとも現実には「NAONのYAON」は再三雨に祟られたイベントだったようで、「冷たい泉に素足をひたして」という言葉から想起される爽快さからは懸け離れた雰囲気だったらしい。しかも周囲には確かにビルは多いものの“skyscraper”と呼ぶほどの高い建物はなかったりもする。しかし勝手な思い入れかも知れないが私にはこのフレーズのイメージの源泉としては、高層ビルの建ち並ぶ副都心よりも、都会の中のオアシスのようなこの公園の方が似つかわしいように感じられるのだ。
何年か前にNHKの教育テレビで日本のポップスの歌詞から社会を読み解くという趣旨の教養講座が放送されたことがあった。この時講師として招かれていた女性研究者の方(お名前を失念してしまった)は80年代の女性の社会進出を象徴する楽曲として渡辺美里さんの「My Revolution」を挙げていたのだけど、この時代の女性アーティストの活躍は「NAONのYAON」を抜きに語ることはできないだろう、と考えている私としてはちょっと悔しい思いをしたものだった。
そんなこともあって今年の6月に Wikipedia にこのイベントの項目を立てておいた。これでその悔しさを少しその悔しさを晴らした気になっているのだがどんなものだろうか。まあせめてこのささやかな記事がその文化史的な意義への理解に少しでも貢献することになればいいのだが。
なおこのフェスティバルには本田美奈子さんも1988年の第2回に MINAKO with WILD CATS として参加している。その縁で今年復活したイベントには LIVE FOR LIFE が参加して募金活動を行った。SHOW-YA のボーカリストでこのフェスティバルの発案者である寺田恵子さんによるイベント・レポートには美奈子さんの名前が“出演者”としてクレジットされているのがうれしい。
暑さも少しずつ収まりはじめているこの頃、虫の音に耳を傾けつつ聴き入りたくなるのがアイルランド民謡の「ロンドンデリーの歌」である。この曲についての Wikipedia 英語版の項目に興味深い解説が記してあった。2000年に研究論文が発表され、この曲の起源についてかなり詳しいことがわかってきたらしいのだ。かいつまんで言うと、元々は「Aislean an Oigfear」(若者の夢)という三拍子の歌だったものが四拍子の曲として採譜され、現在知られる形になったということのようだ。日本語版に翻訳を投稿しておいたので関心のある方はお読みになるといいと思う(それまで「ロンドンデリーの歌」が「ダニー・ボーイ」へのリダイレクトになっている状態が長期間放置されていたということに私としては憤りを覚えるのだが)。出典として言及されている英文のページにはより詳しいことが書いてあるようなので私も後で目を通しておきたい。
ちなみに私がこの歌の録音で愛聴しているのはアイルランドの歌姫、メイヴさん(ケルティック・ウーマンのオリジナル・メンバーの一人でもある)による歌唱である(アルバム「銀色の海」所収)。彼女が歌っているのは1901年に作られたというゲール語の歌詞なのだが、かなりの字余りで普通私たちが知っているのとは節回しが違っているのが興味深い。素晴らしく美しい歌声なのでぜひ多くの方に聴いていただきたいものだと思う。
先月の31日、埼玉県川口市のNHKアーカイブスで開催されていた「本田美奈子.愛のボイスレター展」に行ってきた。7月の26日から開催されていたのだがこの日はその最終日。毎度のことながら期限ぎりぎりにならないと腰を上げない自分ののんびりさ加減には苦笑してしまう。しかし当初は7月27日しか予定していなかったビデオ・コンサート「天に響く歌声〜本田美奈子.情熱のステージ〜」が好評を受けてこの日にも上映され、NHKに保存されている貴重な映像の数々に記録された本田美奈子さんの華麗なステージの模様を存分に堪能することができた。
ビデオ・コンサートは美奈子さんの様々なジャンルにおける多彩な活動が概観できる充実したものだった。中にはNHKにも映像が残っておらず担当プロデューサーがたまたま個人的に保存していたという極めてレアなものも含まれていた。私にとって最も印象深かったのは鈴木ほのかさんとのデュエットによるミュージカル『ミス・サイゴン』のナンバー「今も信じているわ」だった。もちろんこのミュージカルのライヴ盤でも聴くことはできるのだけど、TV放送用のコンサートの中で聴くこの歌もまた格別のものがあった。しかしNHKの資産はまだまだこんなものではないはずで、その膨大なアーカイブの中にはもっとたくさんの美奈子さんの貴重な映像があるのは間違いない。ぜひ今後またこうした機会を設けて新たな映像を公開して欲しいものである。
この展示会では美奈子さんが入院中に恩師の岩谷時子さんと交わしていたボイスレターに吹き込まれたア・カペラ歌唱がヘッドフォンで聴けるようになっていた。この音源は全部で三十数曲にも上るのだそうだけど、今回はそのうち今年2月にBS-hiで放送された特集番組『本田美奈子.最期のボイスレター』で扱われなかったものも含めて十数曲が公開されていた。その中でも最も興味深い内容だったのが「この歌をfor you」だった。この歌についてはすでに二度までも取り上げでいるのだけど、お気に入りの曲なのでしつこくもう一度語ってみる。
ここでの歌唱で美奈子さんは最後の「この歌を」の部分で大きく音をはずしてしまい、歌い終わった後で自ら「ちょー音痴」といってしょげているのだった。美奈子さん自身の説明によるとその前の「水たまり越して…」のところが高いので、伴奏なしでは低い“を”の音が正しく出せないとのことだった。
ただ美奈子さん自身は“を”のことを気にしていたけど私の耳にはむしろ“この”の部分の方がおかしかったように聴こえた。そして「この歌を」というフレーズは曲中を通じて何度も出てくるのだが尽く音程が狂っていたようだった。「涙を虹に変えて」の“を”などもかなりおかしかった。おそらく体調の影響などもあったのではないかと推察されるのだが…。
しかし私はそれよりもむしろ「眩しくて…」のところで見事に転調をしていることの方に感銘を受けた。特集番組で岩崎宏美さんが「ア・カペラでもちゃんと転調している」ことに感心されていた(残念ながら地上波放送ではカットされていた)のだけど、あれはこの部分のことを仰っていたのではないか、という気がする。
それから以前にも述べたことだがこの歌のスタジオ録音では「…歌ったわ」の“わ”の部分で特徴的な変わった入り方をしている。それが今回聴いたア・カペラ歌唱ではさらに癖のある歌い方になっていた。歌い終えた後のコメントの中でこの部分をひとふし歌ってみせたところでも同様で、特にこの部分で音をはずしたと気にしている様子はなかった。だからこれはあのテイクがたまたまあのようになったのではなくて、美奈子さんが固有の解釈として意図して行ったことなのではないかということが窺われる。ファン仲間の方からは“振幅の大きなヴィブラート”という説得的な意見が提唱されたのだけど、私はあれは一種の装飾音だったのではないか、という気もしている。
本当は最後にもう一度よく聴き返してそのあたりを確かめておきたかったのだけど、ほかの曲の歌唱も素晴らしかったので粘って繰り返し聴いているうちに閉館時間がきてしまい、スタッフの方たちが慌ただしく後片付けを始めたのでそそくさと帰ってきた。これらの音源は10月に出版される書籍の付属CDに4曲が収録されるそうなのだけど、4曲などとけちなことをいわずにぜひ全曲を聴けるようにして欲しいものだ。特に(ノイズがひどいのが残念なのだけど)恩師の渋谷森久さんの訳詞で歌う「星に願いを」は絶品で、私はビデオ・コンサートで聴いた放送用コンサートの歌唱よりさらに輪をかけて素晴らしかったように思った。
それにしてもいつもこの歌を聴いて思うのは、美奈子さんにはどうしてこんなにもやさしく人の心に寄り添うような詞が作れたのか、ということである。この歌にはおざなりの慰めや励ましではない、希望を失った人の心情を本当に理解していなければ決して生み出すことのできない言葉が並んでいる。
美奈子さんは病気のために早逝したことを別にすればとても恵まれた生涯を送った人だったと思う。人気が低迷し歌手として崖っ縁に立たされた時期は本当に苦しかったに違いないが、スポットライトを浴びる華やかな舞台に立つことを夢見てもほとんどの人はそのチャンスさえ手にすることなく終わるのだ。それを思えば周囲に理解者がいていつでもチャンス自体は手にすることができた美奈子さんは恵まれていたと思う。とすると美奈子さんの人の苦しみや悲しみを理解する能力は生まれついてのものだったのだろうか…。
美奈子さんの歌にどっぷりと浸った一日だったが、実はこの翌日は私の誕生日だった。他愛もない空想ではあるが、この日聴かせてくれた歌声は美奈子さんからのプレゼントだったと思い喜びをかみしめることにしたい。
北京オリンピックの新体操団体で日本が決勝進出を逃したことの責任をとって日本体操協会に進退伺いを提出していた山崎浩子強化本部長が今後もこのまま続投することになったらしい。フェアリージャパンも解散せず、来年9月に三重県で開催される世界選手権にもこのチームで臨むことになるようだ。長い時間をかけて強化してきたこのチームの経験は日本の新体操界にとって貴重な財産になるはず。彼女たちにまた新たな挑戦の機会が与えられたことを喜びたい。
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