坂井泉水さん 一周忌に寄せて
2008年5月27日
早いものでZARDのヴォーカリスト、坂井泉水さんが亡くなって今日で一年になる。突然の逝去に驚愕したのがつい最近のような気がして、一年経ったというのがまだ信じ難いような気分である。私はZARDについて深く語れるほど詳しいわけではないが、今思うことをいくつか断片的に記しておきたい。
泉水さんが亡くなってしばらく後にアルバム「揺れる想い」の感想を書いた際に「ブレスのタイミングやアクセントの置き方が日本語として不自然に聴こえる箇所が目立」つということを指摘したのだけど、これはどうやら関係者の間でも共通の認識だったらしい。『Friday』2007年6月22日号には「負けないで」についてのレコーディング・スタッフによるこんな談話が紹介されている。
「問題となったのは、サビの“どんなに離れてても”という部分でした。坂井は‘は’の後で、ブレス(息継ぎ)を入れ、続く‘な’にアクセントをつけて歌う癖があった。出だしと比べると1オクターブ音域が上がる難しい曲なので、息継ぎしないと歌い切れないんですが、その場所が明らかにおかしい。そこで息継ぎの場所を変えたらどうか、と提言したのですが、結局、あの歌い方になったのです。もし、彼女がこちらの意見を受け入れて歌い方を変えていたら、曲のイメージも随分違ったはずだし、あれだけの大ヒットにはならなかったかもしれません」(当時のレコーディングスタッフ)
作曲者の織田哲郎さんが音楽葬に参列した際に「メロディを作った人間から言うと、“どんなに離れてても”の‘は’はおかしいだろと思ったけれど、ずっと聴いていてそこが凄いと思った。やられたなと思った」 とコメントされているのもちょうどこれに呼応している(リンク先のページで『ORICON STYLE』の編集部が「音程」と注釈をつけているのは恐らく誤り)。泉水さんとしては指摘されてわかってはいたけれど敢えてあらためなかったのだろう。結果的にはあの歌い回しが広く支持されることになったのだから、彼女が正しかったということなのだと思う。
泉水さんの歌い方にはもう一つ気になる特徴がある。音節を長く伸ばして歌う際に母音をあらためて発音し、その後ろの方の母音にアクセントを置いて歌うという癖があることだ。“ゆれえるう おもおいい”といった具合に。こうした傾向が特に顕著なのが「あなたを好きだけど」で、歌い出しから“ねえむそおなあ しいんぶうんきじいでえ/いつうもお あさあがあはじまあるう”といった調子で延々と続いていく。
こうした歌い回しは日本の民謡でいう“うみじ”という唱法に通じるものがあるのではないかという気がする。うみじ(“産み字”という字が当てられる)というのは私はソプラノ歌手の藍川由美さんの著作で知った言葉なのだが、音節を長く伸ばして歌う際に滑らかにつなぐのではなく、途中で母音を発声し直して歌う唱法のことである。これはクラシックでいうメリスマなどとは異なるもので、日本の民謡独特の唱法なのだという。ZARDの音楽というと一聴したところ都会的な洗練された感覚が際立っているように感じられるが、意外なところにこうした土臭さがひそんでいると見ることもできるかも知れない。
ZARDが人気を誇った90年代はほかにも数多くの意味を持たない名前を冠した同じ事務所所属のバンドが登場し、“ビーイング・ブーム”などと称された。私はZARD以外のバンドにはそれほど心を動かされることはなかったのだけど、唯一例外的に好きだったのがDEENの「瞳そらさないで」という歌だった。実はこれも泉水さんの作詞だったと知ったのは彼女が亡くなった時のことで、「ああ、そうだったのか」と腑に落ちる思いがしたものだった。
森進一さんの「さらば青春の影よ」を手がけたのはリアルタイムで認識していた。森さんと泉水さんという取り合わせは一見ミスマッチのようにも思われたが、実際聴いてみるとちゃんと森さんの音楽世界にぴったりとはまる作品に仕上っていて、その多彩な才能にあらためて瞠目したのを覚えている。
「瞳そらさないで」を思い出しながら感じたのは、私はやはり自分の感情にまっすぐに向き合う詞が好きなんだな、ということだった。私にとってのZARDの代表曲「揺れる想い」がまさにそうだった。そして泉水さんの美しさとは何よりもそうしたひたむきでまっすぐな姿にあるのだと思う。あらためて惜しい人を喪ったということに慨嘆しつつ、彼女と同じ時代に生きた幸せに感じ入りたい。大好きな「揺れる想い」を聴きながら…。