もう二ヶ月近くも前のことになってしまったけど、いつも楽しいお話が満載のがちゃ子さんのブログにお好きなピアノ協奏曲のランキングが掲載されていた。私も真似してやってみたいのだけど、ピアノ協奏曲は最も好きなジャンルなので5曲を選ぶのは不可能に近い。何しろベートーヴェンだけでも5曲あるのだから…。そこで代わりに好きな交響曲のランキングをやってみることを思い立った。
一位はもちろんラフマニノフのこの作品。音楽というものの素晴らしさに瞠目させられた、私にとって究極の交響曲である。
以下は順位にあまり意味はない。チャイコフスキーは第5番もとても好きなのだけどここでは「悲愴」を選んでみた。死を目前に控えた作曲家の人生への切々たる哀惜が胸を打つ名曲である。ベートーヴェンは5、7、9番といったところももちろん大好きだけど、敢えて一曲選ぶとすれば「田園」を採る。聴いていると、人はこれほどまで美しく自然を讃えることができる存在であるのなら、どんな危機をも乗り越えてこの地球上で生きていくことができるに違いない、と信じたくなる。
あとの二曲は少し背伸びし過ぎかな、と思う。自分にこんな大曲が十分理解できているとは正直思えないのだけど、それでもとても好きな作品なのでここに挙げてみた。ブルックナーはそれほど親しみのある作曲家ではないのだけど、この第7番だけは別格に好きな作品である。聴いていると俗世の雑事を全て忘れて、雄大な宇宙の中に魂を解放されるような感覚に浸ることができる。
私は現代音楽というのが苦手なのだけど、ショスタコーヴィチは例外的に好きな作曲家である。代表作の第5番ももちろん好きだけど、一曲選ぶとすると第8番を挙げたい。第7番、第9番と共に第二次対戦中の作品で、この曲の誕生には戦争が深く関わっているらしい。作曲家自身は「全体としては楽観主義的で人生肯定的な作品だ」と述べているのだけど、例によってこれも体制の目をごまかすために本心を包み込んだ発言であるようだ。作曲家がこの作品に何を託したのかは今や音楽そのものから推し量るしか術はないが、少なくとも私には楽観的というにはほど遠い、ただならぬ悲しみの思いが聴こえてくるように思われる。20世紀の人類が経験した苦悩と悲劇に真摯に向き合いながら創作された芸術作品として、記念碑的な交響曲だと思う。
このほか惜しくも洩れてしまったけど、次点としてやはりドヴォルザークの第9番「新世界より」を挙げておきたい。アメリカの黒人音楽に啓発を受けつつ故郷ボヘミアの音楽の情趣も盛り込んだこの名交響曲に言及しないわけにはいかない。それからマーラーの第9番も好きなのだけど、自分にはまだこの作曲家を理解できたという手応えをつかむことができていないので選には入れなかった。
考えていてなかなか楽しい作業だったので、機会があればまた別のジャンルでやってみるのもおもしろいかも知れないと思った。
今年で三回目となったこの大会、感想はやはり日本女子は凄かったの一言に尽きる。中野友加里さんは素晴らしい演技でイェーテボリの興奮を再現してくれた。世界選手権が終わってからちゃんと休養をとったのかな、と逆に心配になるほどの内容だった。トリプルアクセルは例によってダウングレードのようだけどPCSでもまた高い点をもらえて、お遊び大会とはいえ今後の彼女の安定した評価につながる意義ある結果だったと思う。
浅田真央ちゃんもイェーテボリでは跳ぶ前に転倒したトリプルアクセルを成功させるなど、この時期でもコンディションを高いレベルに保っているところを見せてくれた。ダブルになってしまったけどサルコウを入れてきたのは先ごろ公にされた来シーズンからのルール改正案を意識してのことだったろうか。常に新たな課題に取り組む姿勢に真央ちゃんらしさを感じる。
そのほかではやはりサラ・マイヤーさんの充実ぶりが目を引いた。ほぼノーミスの演技でシーズン中よりむしろよかったのでは、と思わせる出来だった。男子では点数のことはともかくトッド・エルドリッジさんの滑らかなスケーティングが印象に残った。ジェフリー・バトル選手が世界チャンピオンに輝いたこともあってこういう演技の魅力を再発見できたような気がする。
放送では荒川静香さんのエキシビションも紹介されたけど、風格のある演技で一際輝いていた。個人的にあの手の洋楽があまり好みでないので見ていて今一つ乗り切れないところもあったけど、ゴールドの衣装に身を包んだ荒川さんはやはり神々しく見えた。
今週の火曜日に新体操団体の日本代表が公開練習を行い、新しく作られた二つのプログラムを披露した。このうち公開の場での初披露となったのがロープのプログラムに使用された音楽が「アメイジング・グレイス」だった。この歌の近年の日本での認知度の高まりがこんなところにも表れているようで興味深い。ニュース映像で少し見ることができたけど男声ヴォーカルによる軽快な感じの曲調で華麗な舞を披露し、最後は独創的な“ティアラ”と呼ばれる技で締めくくった。
一方先に完成して先月キエフで行われた大会でも披露したフープとクラブのプログラムは布袋寅泰さんが手がけた映画『キル・ビル』のテーマ曲を使用している。こちらはギターが細かくリズムを刻むスリリングな音楽で躍動感あふれる演技となっている。
先ほどNHKの『スポーツ大陸』を見たのだけど、十代の少女たちが実にシビアな競争をしながら互いを切磋琢磨している様子にあらためて勝負の世界の厳しさを感じさせられた。メンバーのうち何人かは実際にはオリンピックには出られないわけだけど、こうしてみなで過ごした濃密な時間が彼女たちの人生にとって大切な宝物となるよう願わずにはいられない。
先日のイベントではゲストに荒川静香さんが迎えられ、北京オリンピック本番に向けて「笑顔を忘れずに精一杯楽しんで」と激励を受けた。こうした厳しい世界のただ中にあってなおそれを楽しむゆとりを持つというのは最も難しいことなのかも知れないが、無欲に自分のスケートを表現することに徹して栄冠を勝ち取ったオリンピック金メダリストにあやかって、ぜひ彼女たちも美しく輝いて欲しい。
今日の『N響アワー』はチョン・ミョンフンさんの指揮でブルックナーの交響曲第7番の演奏だった。ブルックナーは私にとってそれほど親しみのある作曲家ではないのだがこの第7番だけは別格である。恩人のワグナーが死を迎えようとしていたことを意識して作られたと言われるあの美しい第2楽章以降をたっぷりと堪能させてもらった。この作品の素晴らしさをあらためて認識した次第である。
私はブルックナー作品というとごつごつとした手ざわりをイメージしていたのだが、チョン・ミョンフンさんの指揮は流麗でしなやかな演奏が特徴的だった。インタビューではマーラーとの対比を論じておられたけど、彼のブルックナー演奏はマーラーにも通じるような耽美性を備えているように感じられた。それはおそらく彼自身の個性なのだろうけど。
先日スパム対策のためにプログラムをバージョンアップして、その後いろいろと細かいところを調整しなくてはならなくて結構面倒くさかったのだけど、この演奏を聴いてリフレッシュできたような気がした。やはり音楽の力は偉大である。
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「おふくろさん」などの作詞で知られる川内康範さんが6日に亡くなっていたことが明らかになった。昨年の森進一さんとの“おふくろさん騒動”の時に川内さんはご高齢なので早く和解が成立しないものかと案じていたのだが、ついに歩み寄ることのないまま他界してしまった。今後あの名曲「おふくろさん」はどうなっていくのだろうか…。
本田美奈子さんのレパートリーの中で現在最も広く世の中に知られているのは「アメイジング・グレイス」だろう。美奈子さんの訃報が伝えられた時、多くの報道で紹介されたのはこの曲のライヴ映像だった。多くの人にとって美奈子さんの晩年の歌手活動のイメージは赤いドレスを着てこの曲を歌う姿によって形作られているとも言えるだろう。
美奈子さん自身にとってもこの曲は特別に思い入れのあるレパートリーだったらしい。入院中に同じ病院に入院してきた恩師の岩谷時子さんを励ますために最初にボイスレコーダーに吹き込んだのがこの曲であり、一時退院の際お世話になった医師や看護師のためにナース・ステーションで歌ったのも「アメイジング・グレイス」だった。
このボイスレコーダーに吹き込んだ音源は逝去後まもなくの追悼番組や先日のNHKの特集番組で紹介されたほか、2006年から一年間公共広告機構の骨髄バンク支援キャンペーンのコマーシャルでも使用された。また先月の24日からは配信限定でリリースされてもいる。
こうしたことから現在の日本では「アメイジング・グレイス」という楽曲は美奈子さんの存在と強く結びつけられているように見受けられる。実際、作詞者ジョン・ニュートンの自伝を翻訳した中澤幸夫氏は「本田美奈子.さんがこの歌を広めたと言っても過言ではない」としている。こうした事態には美奈子さんのファンとしてもいささかの戸惑いを感じてしまう。美奈子さんが亡くなるまで日本人はこの歌を知らなかったのか、というのも腑に落ちないところで、もしそうならそれは少し悲しいことのような気がする。
この歌は元々はジョン・ニュートン作詞の賛美歌で、奴隷運搬船の船長として航海中に嵐に逢いながらも奇跡的に難を逃れた体験を元に神への感謝の思いを述べた歌である。メロディーの由来についてはよくわかっていないようで、一説にはアイルランドやスコットランドの民謡に起源を持つとも言われている。その後詳細な経緯は不明だがこの歌はアメリカに渡って特に黒人たちの間で広く親しまれるようになった。従って黒人霊歌やゴスペルの一つと見做すこともできるだろう。奴隷貿易という人類史上最悪の蛮行から生まれ、その後に生きる人々の心の支えとなったこの崇高な芸術作品がもっとそれ自体の価値を認識されるようになって欲しいものである。
美奈子さんはこの歌を岩谷時子さんの日本語詞の前後に原詞の1番の歌詞を配して歌っている。岩谷さんの詞は罪深い奴隷貿易に関わったことへの悔悟という原詞のモティーフにはとらわれない、かなり自由な意訳になっている。このあたりも岩谷さん随分と大胆なことをなさったな、と思うところで、この歌を今日まで歌い継いできた人たちが聴いたらどう感じるのだろうか、と少し気にかかる。もちろんパブリック・ドメインなので何をしても法的には全く問題ないのだが、万人に自由な利用が認められている人類共通の文化遺産であるからこそこの歌が背負ってきた歴史への敬虔な態度が望まれるはずだ。
しかしそれはともかくとしてでき上がった詞は幾多の曲折を経ながらも歌一筋に生きてきた美奈子さん自身の心情を物語っているようで、やはりさすがに美奈子さんの最大の理解者である岩谷さんならではの素晴らしさである。美奈子さんの歌唱が広く親しまれているのはこの詞の力によるところも大きいだろう。
「アメイジング・グレイス」はそもそもプロの歌手のためではなく一般のキリスト教徒が歌うために作られた歌なので技術的には特に難しいところはない。音域は一オクターブしかなく、しかも五音音階によるメロディーなので都合六つの音しか使われていない。その意味では歌にこめられた思いを真っ直ぐに聴く人の心に伝えることのできる美奈子さんの真価が最も発揮されたレパートリーの一つでもあると思う。
クラシックの楽曲を歌った歌手として技術的なことだけを言えば美奈子さんは必ずしも傑出した存在ではなかったかも知れない。例えば音大の声楽科あたりを探せばもっと正確な音程で声量豊かに歌える人を見つけるのは難しくないだろう。しかしこのどこと言って難しいところのない「アメイジング・グレイス」を歌ってこれほどまで人の心を魅きつけることのできた歌手はこれまで日本にはいなかったのだ。そこにはかつてアイドル歌手として、またロックバンドのリーダーとして同時代の若者たちの息吹を肌で感じながら歌に取り組んできた経験が生かされていると見ることもできるだろう。それは主として古典的な名曲を再現するための技術の習得に明け暮れてきた声楽家たちにはない強みなのだと思う。
この歌をゴスペルとして見れば、全てを受け容れて包容する大地の温もりを感じさせるような朗々とした歌い方が相応しいのだろうが、美奈子さんはここでもその他の楽曲と同様に繊細で叙情的な歌唱を聴かせている。これはこの歌のメロディーのルーツとも目されているケルトの民謡により近い歌唱と言えるだろうか。同じ美声でも例えばヘイリーさんの歌が純粋で無垢な魂を感じさせるのに対し、美奈子さんの歌には清濁含めた人生のあらゆる種類の喜怒哀楽から抽出された感情の結晶のような美しさを見出すことができる。それはどんな時にも歌とともに歩み歳月を過ごしてきた美奈子さんだからこそ表現できた美しさなのだ。
かくして重過ぎるほどの歴史的背景を背負ったこの歌は日本に於て本田美奈子という一人の歌手の人生を歌った楽曲として受容されるに至っている。このことは外国から輸入したものを自己流にアレンジして採り入れることを得意とする日本人の特性がよく表れているとも言えるだろう。しかしいずれにしても美奈子さんが自身の人生の感慨をこめて歌ったその歌は、たとえその表層がどのように移り変わろうとも人類は常に歌から最も大きな励ましや安らぎを得てきたという真実の一つの証として、記念すべき歌唱である。赤いドレスを着て歌うあまりにも可憐なその姿とともにいつまでも記憶にとどめたい。
このところ海外からのスパム投稿があまりに多いため、暫くコメントとトラックバックを管理者の承認後に反映させる方式に改めることにします。ご迷惑をおかけしますが何卒ご了承下さい。
先日CDショップを覗いていたら「千の風になって エターナル・メロディーズ」という人気曲をオルゴールで演奏したCDが置いてあった。何気なく手に取って曲目を確かめていたら6曲目に思わず苦笑。「アメイジング・グレイス」が本田美奈子さんの持ち歌であるかのように記されている。美奈子さんのファンとしてもこういうのはいかがなものかとちょっと複雑な心境になる。現在の日本では「アメイジング・グレイス」と言えば美奈子さんの歌が最も広く知られているということなのだろうけど…。
先月26日の朝日新聞夕刊に歌川広重の「相州江の嶋弁才天開帳詣本宮岩屋の図」(写真右)という作品が紹介されていた。私は初めて見たのだけど、ど真中にでかでかとまんまるの江の島を配した異形とも思える構図に目を奪われた。絵画表現では普通こういう圧迫感のある構図は避けるものではないのだろうか。しかし近景を極端に大きく描いて遠近感を際立たせる手法は晩年の広重の作品によく見られるそうで、後期印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホが模写したことでも知られる「亀戸梅屋鋪」などはその好例なのだという。
この構図を見るとやはり私はどうしてもスイス出身の象徴主義の画家、アルノルト・ベックリンの「死の島」を思い出してしまう。ベックリンはこのタイトルの絵を5枚描いているのだが、左の写真はこのうち生地のバーゼル美術館所蔵のもの。この絵の構図の異様さは前から不思議に思っていたのだが、広重の作品と似ているのは偶然なのだろうか? 取り敢えずウェブで調べてみた限りではベックリンが日本の浮世絵に影響を受けたという説はないようだった。
印象派の画家たちが浮世絵から大きな影響を受けたことはよく知られている。私は印象派と象徴主義の関係がどのようなものだったのかよく知らないのだが、ベックリンがこの広重の作品をどこかで見ていたということはないのだろうか? 2枚の絵を見比べているとそんな想像をたくましくしてみたくなってくる。
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