交響曲第2番にまつわるこぼれ話

2007年3月 7日

ラフマニノフの最高傑作の一つに「交響曲第2番 ホ短調 Op.27」という作品がある。私の最も好きなクラシックの名曲の一つで、紹介記事を書きたいのだけど思い入れが深すぎてなかなか言葉が出てこない。そこで内容についてはまたいずれかの機会に、ということにしてここではこの曲の演奏や受容の歴史にまつわるエピソードを、ややトリビアめいたことも含めて紹介してみたい。


この曲は1906年から翌年にかけて作曲された。完成したのはこの頃国内で起きた政情不安を逃れるために滞在していたドレスデンでのことだった。彼が交響曲を作曲していると知った指揮者のアルトゥール・ニキシュはそれを自分に献呈して欲しいと要請していた。しかしラフマニノフは曲を完成させるとそれを長年の恩師であるタネーエフに献呈したため、ニキシュとの仲は険悪になってしまったらしい。

初演は1908年ペテルブルクのマリインスキー劇場で作曲者自身の指揮で行われ、前例のない大失敗に終わった第1番とは対照的に熱狂的に迎えられた。"「悲愴」以来の傑作交響曲"とも評されたと伝えられている。しかしその後この曲は時の経過とともに人々から忘れ去られるに至る。

一般にラフマニノフは濃厚なロマンティシズムを湛えた作品で大衆からは熱狂的な支持を受けたが、批評家からは酷評されることの多い作曲家だった。ロマン主義からの離脱への志向が顕著になった20世紀にあってなおチャイコフスキーのような作風を頑なに堅持し続ける彼は、"保守的で没個性的な時代遅れの作曲家"と見做されていたのだ。それでもピアニストとしての圧倒的な名声の故もありピアノ作品についてはそれなりに評価されていた。しかし管弦楽作品の多くは正当な評価を受けず、顧みられることがなかったのである。

幸いなことに彼の管弦楽作品に共感を寄せる指揮者が少なからず登場することによって、交響曲についても次第にその真価を知られるようになってきた。壁の東側ではクルト・ザンデルリングさん、エヴゲニー・スヴェトラーノフさん、西側ではアンドレ・プレヴィンさんや指揮稼業を始めたヴラディーミル・アシュケナージさんらがその嚆矢となったようである。特にこの第2番はその叙情的な美しさの故に人気が高まっている。現在では多くの人気指揮者がレパートリーに加え、録音も数多く存在し実演される機会も少なくない。


ところで日本では1990年代にこの曲の受容史にちょっとした事件が起きた。フジTV系列で94年に放送された和久井映見さん主演のTVドラマ『妹よ』で、唐沢寿明さん演じる青年のお気に入りの曲としてこの作品が紹介されたのだった。当時このドラマはかなりの人気を誇り、この曲のことも世の中の話題になったようだ。

CDショップには「ラフマニノフの交響曲第2番のCDが欲しい」という客が増えたという。ところが当時ほとんどの店には在庫がなく対応に苦慮したそうで、中には「交響曲がそんなに有名なはずはないから」と協奏曲のCDを紹介した店もあったらしい。おかしなエピソードではあるが、そんな時期にあっていち早くこの曲に注目したドラマ制作者の見識には敬服せざるを得ない。なお現在はある程度クラシックの品揃えのあるCDショップなら最低でも一枚は店頭に在庫があるはずで、入手するのは困難ではない。


私自身はこの当時クラシック音楽にはほとんど関心がなく、ドラマも見ていなかったのでこの事実は後から知った。ただ『妹よ』と聞くとちょっと思い当たるふしがある。このドラマの最初の放映から数年後のことだと思う。ある日の夕方何気なくTVをつけてチャンネルをいじっていたらドラマの再放送をやっていて、岸谷五朗さんのあまりの迫真の演技に釘付けになってしまったことがある。確か新宿の歌舞伎町にある女性を探しに行き、水商売の女性にしつこくつきまとってものを尋ねているうちにやくざに絡まれてボコボコにされる、というようなシーンだった。その後自分の部屋に戻ると和久井映見さん演じる妹が驚いて出迎えていたという記憶がある。今思うとあれが『妹よ』だったのではないかという気がする。

残念ながらその時どんな音楽が流れていたかは全く覚えていない。ただあるいはもしかするとこの曲がBGMとして流されていて、意識はしなかったけどその美しさに聴き惚れてしまっていたのもチャンネルを動かせなくなった原因だったのかも知れない。この曲の第3楽章の導入部を聴いた時に何となく聴き覚えのあるメロディーだな、と感じたのでその時に聴いていたという可能性はあると思う。

岸谷五朗さんといえば周知の通り元プリンセス・プリンセスのヴォーカリスト奥居香さんの夫君にして、ミュージカル『クラウディア』で本田美奈子さんと共演し葬儀では弔辞を読み上げた人物である。どういう訳か知らないが私の音楽遍歴の節目には彼の姿が現れる。何か不思議な縁を感じてしまう。


この曲はラフマニノフならではのロマンティックな詩情が全編に溢れる彼の最高傑作の一つである。特に第3楽章の叙情豊かなメロディーの美しさは比類がなく、クラシック屈指のヒーリング・アダージョといえるだろう。コンピレーション・アルバムなどにこの楽章だけ収録されることも少なくない。この曲を聴いたことのない方にはこの楽章だけでも聴いていただきたいし、この楽章だけ聴いたことがあるという方にはぜひ全曲を聴いていただきたいと思う。

こんな素晴らしい名曲が比較的最近まであまり知られずに埋もれていたというのだから世の中とは不思議なものだ。私が最初に聴いた時の感想は「音楽とはこれ程まで美しくなり得るものなのか!」というものだった。音楽についての認識そのものをこの曲によってあらためさせられたといっても過言ではない。もし子供の頃にこんな曲と出会っていたら本気で指揮者を志していたかも知れない、などと時々思ったりもする。そうなっていれば自分の人生は随分違ったものになっていただろうな、と考えるといろいろな感慨にとらわれてしまう。もちろんそれはそれで厳しい人生になったに違いないけれど。

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コメント

はじめまして
あれれ、交響曲の2番はアメリカ前だったんですね。渡米後の意外な名曲と、勝手な思いこみ勘違いをしていました。(汗
ちょっとすっきり。

のだめカンタービレでピアノコンチェルトの2番が人気でて、ピアノの森で同じく3番が人気なようですからこの曲も人気でてくれるといいですよね。

ただ・・・
お薦め聞かれて困る曲でもあるんですよねw
個人的にはデュトワがいいかなと思うのですがあまり評価良くないのと入手困難。そのうち廉価で出るとは思うのですけど。

それで普段はビシュコフかゲルギエフを薦めてます。
いずれ機会があったらプレヴィンとラトルを聞いてみたいな〜なんて思っています。

-> mitaso.bzさん

はじめまして。コメントありがとうございます♪

この曲は革命前の力作です。亡命後はモティヴェーションの面からも、時間的な余裕の面からもこれ程の大作を作るのは難しかったのではないかと思います。

今はCDを探すのに苦労しなくて済むほどポピュラーになりましたが、何かきっかけがあればまたさらにブレイクするかも知れませんね。録音については一般的には二種類のプレヴィン盤(特にロイヤルフィルと共演した方)が評価が高いようです。個人的なお推めは上にリンクを張ってあるザンデルリング盤です。

デュトワ盤がお気に入りなのですか、これは聴いたことがありませんでした。私ならデュトワさんだったら「交響的舞曲」あたりを聴いてみたい気がします。できることならもっといろいろと聴き比べてみたいですね。どうぞ今後ともよろしくお願いします。

お久しぶりです。1990年代は今と違い、TVドラマは次々とヒット作が生まれてましたね。劇中でクラシックが使われていました。また、癒し系音楽としてアダージョが定着ました。(「アダージョ・カラヤン」が世界的な大ヒットを記録してました)
「交響曲第2番」が収録されているアルバムを持っています。こちらです。
http://www.7andy.jp/cd/detail?accd=C1016379
マゼール、ベルリン・フィルで収録されています。
また、併録されている「ピアノ協奏曲第2番」ヴィスロッキ、ワルシャワ・フィル(ピアノ、リヒテル)で収録されています。
ラフマニノフの場合は「第2番」が飛びぬけて有名ですね。
エリック・カルメンが「交響曲第2番」第3楽章「ピアノ協奏曲第2番」第2楽章をそれぞれ「恋にノータッチ」「オール・バイ・マイ・セルフ」としてカバーされているくらいです。
いずれも全曲通して聴きたい曲です。

-> eyes_1975さん

こんばんは。ご無沙汰しておりましてすみません。

このドイッチェ・グラモフォンの作曲家シリーズ、お手頃価格に名曲が詰まっていてお得なんですよね。リヒテル盤は決定的名盤との誉れ高いものですね。私にとってのこの曲のスタンダードでもあります。

ラフマニノフは協奏曲、交響曲、ピアノソナタ、…となぜか"2番"に名曲が集中しているんですよね。エリック・カルメンという人はよく知らなかったのですが、よほどラフマニノフが好きなようですね。協奏曲はほかにもあるようですが、交響曲をアレンジした歌曲というのはほかにないような気がします。本来はロックミュージシャンのようですがクラシックにも造詣が深いんですね。

この作品については第3楽章がとびぬけて有名ですが、ラフマニノフならではの叙情的な美しさが全曲にみなぎる名曲ですので、ぜひ通して聴いていただきたいものです。

こんばんは^^
この3楽章、ホントに素敵♪
ラフマニノフって、叙情豊かなメロディーが沢山ありますよね。
私はこの作曲家の作品では、ピアノソナタ 第2番の2楽章が
聴いてて思わずウッ・・・と来てしまいます(涙

まだ知らない曲も沢山あるので「ラフマニノフ全集」のようなCDも
物色してみようかしら〜^^

-> ももこさん

ラフマニノフはどの作品でも緩徐楽章の美しさにはうっとりとなります。チャイコフスキーなどもそうですが、ロシアの作曲家は叙情的なメロディーで酔わせてくれますよね。

ラフマニノフは作品がそれほど多くないので、CDを揃えるのは比較的簡単かも知れませんね。私はこの間歌曲全集を買ってしまったのでほぼ揃いました。ベートーヴェンやチャイコフスキーではこうはいかないでしょう。

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