スコットランド民謡と日本人の音楽的感性

2006年10月11日

先日の台風が過ぎ去ってから関東地方では抜けるような晴天が続いている。こんな秋の空を眺めていて思い浮かぶ歌というとやはり「故郷の空」だろう。

…という書き出しではじめるつもりでこの記事を準備していたら今日は一日中曇り空だった。まあ何事によらず人生とはこういうものだろう。思わず「冬のリヴィエラ」の2番の歌詞を思い浮かべてしまったが、気を取り直して続けることにしよう。

故郷の空

夕空晴れて秋風吹き
月影落ちて鈴虫鳴く
思えば遠し故郷の空
ああわが父母いかにおわす

大和田建樹による日本語詞が郷愁を誘い、しみじみとした感慨にとらわれてしまう。もうはるか昔のことになってしまったがNHKの朝ドラ『はね駒』で斉藤由貴さん演じるヒロインのおりんがこの歌をテーマソングのように何かにつけて歌っていたのを懐かしく思い出す。多分年末に放送された総集編を見ていたのだと思うが、少年だった私の心に強く印象づけられた歌だった。


明治以来日本人にすっかりなじみ深い歌となった「故郷の空」だが、原曲はよく知られているようにスコットランド民謡の「Comin' thro' the rye」である。

Comin' thro' the rye

Gin a body meet a body comin' thro' the rye;
Gin a body kiss a bidy, need a body cry?
Ilka lassie has her laddie, nane, they say ha'e I;
Yet a' the lads, they smile at me when comin' thro' the rye.

Gin a body meet a body comin' frae the town;
Gin a body greet a body, need a body frown?
Ilka lassie has her laddie, nane, they say ha'e I;
Yet a' the lads, they love me weel, an' what the waur am I?
註:gin=if. ilka=every. a'=all. nane=none. ha'e=have. frae=from, weel=well, waur=worse, lassie=若い娘, laddie, lad=若者

見慣れない単語が多いのはスコットランド方言が混ざっているため。元々はもう少しきわどい歌詞だったのをスコットランドの国民詩人ロバート・バーンズ(1759-96)が上品な表現に改めたものらしい。ライ麦は日本ではあまりなじみのない作物だが、各種の麦の中で特に丈が高いのが特徴で、ライ麦畑は男女が人目を忍んで隠れて会うのに好適な場所として認知されていたようだ。ロシア民謡の「行商人」にも「二人がどう話をつけたかはライ麦だけが知っている」といった内容の詞が登場する。


日本では「故郷の空」はレガートにしんみりと歌われることが多いが、原曲はスコッチ・スナップと呼ばれる独特の逆符点リズムを交えてはずむように歌われるようだ。このあたりは日本とスコットランドのリズムについての感覚の違いがよく表れているように思う。

明治期には数多くのスコットランド民謡が紹介され、日本語の詞をつけて歌われてきたが、そのことは現在の日本人の音楽的感性に大きな影響を与えている。しばしば日本の伝統的な音階といわれることのあるいわゆる「ヨナ抜き長音階」は実は本来の日本の伝統ではなく(日本の伝統音楽にもこの音階があるという説もあるらしい。みゅりえさんが寄せて下さったコメント参照)、この時期に輸入されて広く知られることになったスコットランド民謡の多くがこの音階によって作られていることによるのだという。この「Comin' thro' the rye」では一ヶ所だけ"ファ"の音が表れるが、「蛍の光」の原曲である「Auld lang syne」には"ファ"と"シ"が表れないということは容易に確認できると思う。


ケルト民族というのは音楽的感性が豊かな人たちのようで、スコットランドやアイルランドの音楽は広く世界の人々に愛されている。この「Comin' thro' the rye」はその中でもとりわけ美しく愛らしい歌の一つといっていいだろう。

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コメント

ケルトといえば、エンヤやエンヤのお姉さんでしょうか。自然界を重んじる世界感がありますよね。レッド・ツェッペリンの天国への階段もケルトの影響を受けている曲です。

-> アキラさん

最近ではケルティック・ウーマンの活躍も話題になっていますね。仰る通り自然や霊的世界への独特の感受性に特徴がありますね。

「天国への階段」もそうでしたね。ジミー・ペイジは民族音楽への関心の強い人だと聞いたことがあります。



夜中に失礼します(笑)。
「ヨナ抜き長音階」。
まさに、ここらへんのことをネタに書いた気がしますよ。
論じる核は別のことだったので、補論にしてくっつけましたが。
これでもう卒論一本書けそうなテーマだったので。


>いわゆる「ヨナ抜き長音階」は実は本来の日本の伝統ではなく


単純にヨナ抜きは日本の伝統の音階だと安易に書いている本が
けっこう多いですけれど・・・。日本の伝統的な音楽の分類は、
偉い学者さんが書いたものでも誤りが多いそうで、いったい
だれの説を使ったらいいのか、非常に苦労しました。
日本の伝統的な音階だという説も、その反対もあって、どちらが
正しいかさえも分からないのです。事実なのは、あの音階が日本
の人に受け入れやすかった、ということは明白なんですけどね・・・。


図がないので上手く説明できませんが、日本の音階である呂旋法(西洋でいうう長調のような明るいもの)と
律旋法(西洋でいう短調で暗い感じのするもの)が存在する、というのは
比較的よく言われていることです(上原という人の説だそうです)。


いろいろ調べてみると、2種類ではなく、4種類だと唱える説の人の
考え見つかり、それがなかなか説得力ありました。なんでも、
「核音」という旋律の中心となる音が存在していて、その「核音」が
ほかの旋律を支配するそうです。それによっって、民謡音階、律音階、
沖縄民謡、もう一つがどんな音階かは忘れましたが(^^;、
とにかく4種類あるそうです。


で、その中の律音階という音階には特殊な形があって、西洋でいう
いわゆるハ調になおしてみると、(詳細は楽譜がないと上手く伝えられそうにないので省略)、
いわゆるヨナ抜き音階に一致する・・という説です。
となると、日本にもヨナ抜き音階が存在したことになります・・・。
これは小泉さんという研究者の意見ですが、私が中学で習った時は
上原さんの見解でした。まだまだ発展段階の説らしいですよ・・・。

-> みゅりえさん

詳細な解説ありがとうございます。なるほど、日本の伝統にもヨナ抜き音階があるという説もあるのですか…。このあたりのことは本で読んだりもしたのですが、結局難しくてよくわからないんですよね。学者によって説が別れていたりもするようですし。ただ、ヨナ抜き長音階の主音をドからラに移した「ラドレミソラ」("二六抜き短音階"とでもいえばいいのでしょうか)は日本の民謡にも見られる音階なのだと聞きました。


事実なのは、あの音階が日本 の人に受け入れやすかった、ということは明白なんですけどね・・・。

これは間違いありませんね。今や日本人の音楽的感性はケルトの民謡に重大な影響を受けていますよね。「アメイジング・グレイス」と寅さんの主題歌が同じ音階で構成されているというのは何だか不思議な感じもしますけど。^ ^



マイナーな話題でどうもすみません。自分もアタマがこんがらがります(笑)。


>>学者によって説が別れていたりもするようですし。


本当ですねえ。自分は、音楽的にケルト系の旋律が取り入れやすかった
という趣旨で述べたかったので、無理矢理、上で紹介したような説を
唱えている人を見つけだそうとした記憶があります(笑)。
だからその説を見つけたが最後、補論としてくっつけて、補論自体の
結論は「決定的な説を立証するのは困難である」と書いて逃げました(爆)。
もう5年も前に書いた卒論なので、また誰かが新しい説もでている
かもしれません。


>>この時期に輸入されて広く知られることになったスコットランド民謡の
多くがこの音階によって作られていることによるのだという。


“この時期に輸入されて広く知られることになった”の、言葉の係り方
にもよるんですけど・・。あとひとつだけ〜。
輸入されたの音楽に、ケルト系民謡のヨナ抜き音階が多かったのは
事実だと思います。


ただ、実際のスコットランド民謡とかアイルランド民謡の音階の中で、
ヨナ抜きの音階は、決してそれらの音楽の大部分を占めるものではない、
と竹下英二さんという学者さんが言っていました・・・。
(だから、ヨナ抜きはそれらの音楽の特徴だと広く認識されていること、
そのように述べている本はいっぱいあることに疑問を投げかけています)
ここからは個人的意見ですが、たくさんの音階や歌い方がある中で、
ヨナ抜き音階が目立って取り入れられたのは、やっぱり日本に
そういう似た音楽があったんじゃないかなあ、と考えていたりしまーす。


>>アメイジング・グレイス」と寅さんの主題歌が同じ音階で構成されているというのは何だか不思議な感じもしますけど。^ ^


これは知りませんでした。ちょっとあとで確かめてみます(^^;


長文すみませんでした。

-> みゅりえさん

みゅりえさんの論文の論旨がわかってきました。確かにケルトの民謡全てがヨナ抜き音階というわけではないですよね。「ロンドンデリーの歌」などはいきなりシの音から始まっていますし。

数多いケルト民謡の中でもヨナ抜き音階の歌ばかりが日本に広まったというのは、それを受け入れやすい下地が日本の民衆の側にあったからなのかも知れませんね。ヨナ抜き音階自体が日本の伝統にあったかどうかはともかく、日本の音楽は基本的に五音音階だったようなので、それでヨナ抜きの音楽を親しみやすく感じたということはありそうですね。「ロンドンデリーの歌」が日本に広まったのは「ダニー・ボーイ」のタイトルで歌詞をリライトしたヴァージョンが世界的にヒットしてからだったでしょうか。


私も今回改めてケルトの音楽のことを考えていて、そういえば「アメイジング・グレイス」もメロディーはアイルランドの民謡だったといわれているんだっけ、と思い出して、これもヨナ抜き音階でできていることに気づかされました。音階は同じでも寅さんの歌とはかなり趣きが違いますね。このあたり、単なる輸入ではなくて独自のアレンジを施して受け入れるというところは日本人らしさの表れともいえそうですね。

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