シェイクスピア『十二夜』について

2007年8月 5日

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の『十二夜』は『真夏の夜の夢』、『お気に召すまま』などと並ぶロマンティック・コメディの傑作の一つに数えられる。十二夜とはキリスト教の祝祭日でクリスマスから十二日目にあたる1月6日を指す。これはキリストの誕生から十二日目に東方の三博士がお祝いに訪れたという聖書の伝説にもとづいている。この作品のタイトルに用いられたのは1月6日に初演されたから、という説があるが詳しいことはわかっていない。作中には十二夜の祝祭と関わるエピソードは一切登場しない。


物語は二組の男女の恋を巡る騒動を軸に進められていく。特にヒロインのヴァイオラが船で遭難して生き別れになった双子の兄セバスチャンを探すために男装してオーシーノー公爵に仕えることが彼らの恋の行方をもつれさせる。

こうした性の取り違えを巡る騒動はシェイクスピアの喜劇でよく用いられる手法だが、これをよく理解するためにはシェイクスピアの時代には女優が存在せず、声変りする前の少年が女性の役を演じていたということを知っておく必要がある。つまり、ヴァイオラの男装とは少年である俳優が女性のヴァイオラを演じ、その上で男性であることを装うという二重の性の転換になっていたのである。このことを意識して見るとヴァイオラの男装がもたらす混乱がより一層おかしさを増してくる。


この劇ではもう一つ、伯爵家の令嬢オリヴィアに仕える執事のマルヴォーリオへのいたずらが重要なプロットを構成する。堅物のこの執事に日頃いやな目に合わされている、酒とどんちゃん騒ぎをこよなく愛する伯爵家の居候たちが巧みないたずらを仕掛けて復讐を遂げるのである。こちらの筋書きもまた、いかにもシェイクスピアらしい猥雑なエネルギーに満ちたおかしさである。


喜劇・悲劇を問わず道化が重要な役回りを演ずることが多いのがシェイクスピア劇の特徴の一つだが、この作品もその例に洩れずオリヴィアに仕える道化フェステが要所で登場して物語を進行させる。この道化が特徴的なのは歌を得意にしていることで、伯爵家の居候たちやオーシーノーに恋の歌を聴かせるほか、幕切れでも登場人物全てが去った後一人残り歌を歌う。

この幕切れの歌からは当時の世相を窺い知ることができる。近代化の進む当時のイギリス社会ではマルヴォーリオのような堅物が幅を利かせるようになり、次第に“ごろつき”たちは居場所を失っていったのだろう。マルヴォーリオへのいたずらやこのフェステの歌を、そうした世相への劇作家のしなやかな反逆と解釈することも可能だろう。

おいらが子供であったとき、
  ヘイ、ホウ、風吹き雨が降る、
わるさは笑ってすまされた、
  雨は毎日降るものさ。

おいらが大人になったとき、
  ヘイ、ホウ、風吹き雨が降る、
ごろつきゃ閉め出し食わされた、
  雨は毎日降るものさ。

…

小田島雄志訳

この芝居はオーシーノー公爵が楽師たちの奏でる音楽に聴き入る場面で幕を開ける。劇中では道化フェステの歌が重要な役割りを演じており、シェイクスピアの戯曲の中でも最も音楽的な作品といえるだろう。

シェイクスピアの作品には『ロミオとジュリエット』、『真夏の夜の夢』、『オセロー』などその後の音楽作品の題材となったものが多い。しかし最も音楽との関わりの深いこの『十二夜』を元にした音楽作品が生まれてこなかったのはやや意外な感じがする。その意味で東宝によるミュージカル『十二夜』は非常に興味深い試みといえるかも知れない。

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コメント

私のblogのタイトルもシェークスピアの『お気に召すまま』を拝借致しました。

シェークスピアの作品の中で一番好きな作品です。

-> moonさん

『お気に召すまま』も男装の麗人ロザリンドが活躍する物語でしたね。素敵なタイトルをつけましたね。

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