「時 -forever for ever-」

2009年11月 6日

作詞:岩谷時子 作・編曲:井上鑑
アルバム「」COCQ-83683(2004.11.25)所収。

晩年の本田美奈子さんが最も強い関心を抱いていた主題は“時”だった。そのことはアルバム「」のタイトルに如実に表れており、特に自ら作詞を手がけた収録曲「新世界」やタイトル・トラックの「時 -forever for ever-」の歌詞は時を主題としたものである。彼女が遺した言葉を元に作詞された追悼シングルの「wish」でも、やはり時が主題になっている。


美奈子さんにとって最後のオリジナル曲となった「時 -forever for ever-」は、美奈子さんが恩師の岩谷時子さんに名前の一字をとって時をテーマにした歌詞を作って欲しい、と要請して作られたものである。岩谷さんは美奈子さんの要請に、時の姿を果てしない宇宙を旅する孤独な旅人として描いた壮大なスケールの詞を以て応えている。

「新世界」や「wish」では、時は自らの人生のただなかを過ぎて行くものであり、自己の存在と不可分のものとして言及されている。それに対し、この「時 -forever for ever-」での時は「あなた」と呼びかける対象であり、自己の存在からは切り離された客体として描かれている。同じく時をテーマとして詞を書いても、師弟の間でこのように対照的な姿で描かれているところにこの二人の個性や思索のあり方の違いが表れているようで、興味深く感じる。

その一方で「優しさと愛で のり越えて行くのよ」というフレーズなどはいかにも女性らしい感性に溢れていて、こうしたところなどは美奈子さんと共通するものを感じさせる。取り立てて凝ったところのない平易な表現ではあるが、男性作詞家が女性の立場で詞を作ったとしてもなかなか書けない言葉ではないかと思う。

「正しい力を合わせて 生きよう」という一節には思わず瞠目させられた。「正しいものは何なのか」なんて誰にもわからなくなってしまったこのご時世では(尾崎豊が「僕が僕であるために」でこう問いかけたのはもう20年以上も前のことだ)、もはや口にする者がいなくなってしまった類の言葉である。これは岩谷さんのように豊富な人生経験と作詞家としてのキャリアを積んだ人でなければ敢えて用いることのできない表現だという気がする。

曲の最後は「いのちに終わりがある 私たち」という含蓄のある言葉で締めくくられている。このように私たちがやがて死すべき運命にある存在であるという事実を思索の契機とする考え方は古くからあり、「メメント・モリ」というラテン語のことわざなどは典型的である。この詞に関していえば私にはマルティン・ハイデッガーからの影響があるのではないかとも感じられるのだが、このあたり岩谷さんに尋ねてみたい気がする。

まあこうした細かい分析はどうでもいいことで、私がいいたいのは要するに、この詞が全編にわたって香り高い言葉の数々が散り嵌められた格調高い名品である、ということだ。この10月に作詞家として初めて文化功労者に選ばれた岩谷さんの、その偉大な業績の集大成というに相応しい、素晴らしい作品だと思う。


曲は美奈子さんの一連のクラシック・アルバムで編曲を担当していた井上鑑さんのオリジナルの作品である。「AVE MARIA」と「時」のオープニング曲である「流声」と「すべての輝く朝に」を別にすれば、美奈子さんが歌った唯一の井上さんのメロディーということになる。復帰作として用意した「wish」はついに美奈子さん自身によって歌われることはなかっただけに、その意味でもこの歌は貴重な作品である。

作曲にあたっては大御所作詞家である岩谷時子さんに詞をつけてもらうということでとても真剣に取り組んだという。サビのメロディーはいくつかのパターンを作り、その中から岩谷さんに気に入ったものを選んでもらったとのことで、そう聞くと選ばれなかったほかのメロディーがどんなものだったのかも気になってしまう。それはともかく、出来上がった曲は誰にも親しみやすい普遍的な美質を備えながら、美奈子さんの幅広い声域を生かしつつ、歌詞の壮大なイメージを背負うのに相応しい、力強いものとなっている。


美奈子さんはこの歌はまだ十分にうまく歌いこなすことができていないという意識があったようで、公の場で歌ったことはごくわずかしかなかった。おそらく自分にとってとても大切なレパートリーだという思いが強かったからこそ、自分の中で十分に熟成されるのを待ちたかったのだろう。

ただ、録音されたものを聴く限りでは他の曲の歌唱とくらべて特に見劣りするところはなく、いつもながらの美奈子さんの、可憐でありながら力強さのみなぎる渾身の歌唱である。強いていえば、高音域をフォルテで発する部分で日本語の発音がやや不明瞭になり、歌詞が聞き取りにくくなっているので、そのあたりに美奈子さんの満足のいかなかった点があったのだろうか、と想像をめぐらすことができる程度である。


近年クラシックとポピュラー音楽の境界を跨いだ活動は様々なアーティストによって盛んに行われているが、この曲はそうしたクロスオーヴァーが生み出した果実として最高峰のものといえるのではあるまいか。少なくとも私には、これに比肩し得るものとしては幸田浩子さんの「カリヨン -新しい色の祝祭にて-」しか思いつかない。

あまり歌う機会のないままに病気が発覚して活動を中断せざるを得なくなってしまったこともあり、入院中は特にこの歌を歌いたいという思いが強かったようだ。美奈子さんは自筆の手記でそう告白している。きっと今頃は、なにものにもわずらわされることなく思う存分この歌を歌っているのだろう。ファンにとって忘れることのできない日となってしまった今日この日、時の秘密をきっと探り当てていたに違いない美奈子さんとともに、私もこの世界のためにささやかな祈りを唱和したい。

世界に かぐわしい静かな日をください

謝辞

この稿の執筆に当たっては本田美奈子.STAR DUST CLUB !!に投稿されたきょろちゃん☆の書き込みを参考にさせていただきました。ここに記してお礼申し上げます。ありがとうございました。

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コメント

ご無沙汰しています・・ヒロです。
私も、この「時」という楽曲には特別な想いを持っていました・・。
丁度、美奈子さんがクラシックアルバムを出した時期、
私は仕事に撲殺されていてアルバムを購入出来ずにいました。
(この頃は、今みたいにネット注文で簡単に入手出来ない為)
なんとか仕事帰り、閉店間際のCDショップの滑り込む機会があり
CDを手にしました・・。
ただ、その時、恥ずかしい話、手持ちの持ち合わせがCD一枚分しかなく
「アベ・マリア」か「時」か、どちらかしか購入出来なかったのです・・。
普通なら、ファーストアルバムとして「アベマリア」を取るべきものですが
私は、どうしてか無性に「時」の方を聴きたくてなりませんでした。
早速「時」を購入し、家路を急ぎ包装セロファンを剥ぎ取るのも
もどかしくCDを聴きました・・。
次々と響く美奈子さんの歌声・・
どれも素晴らしく完成度が高いものでした。
すると、突然今迄のクラシカル調とは明らかに違う楽曲が・・
思わず
「ハテ?・・こんな楽曲、クラシックにあったっけ・・」
と思い、ライナーノートを見かえすと岩谷&井上氏による楽曲と
分かり頗る期待が膨らんだ記憶があります・・。
はたして「時」のなんとも鮮やかな旋律をクラシックの時とは違う
歌唱で響かせる美奈子さん・・。
明らかに、歌が輝いていて、優しく大切に歌っているのを感じました。
それと、もう一つ・・「未完」である事も気付きました・・。
sergeiさんも、おっしゃっていた「高域部」の発声・・。
美奈子さんのあれだけの歌唱力をもっても完膚しえなかった音域
それだけ難易度の高い楽曲であり
それをあえてアルバムにぶつけて来た井上氏の考え方の凄さに
驚いたのと同時に、この楽曲の「完成形」を是非、聴いてみたいと思いました。
井上氏も、この楽曲をあえてハードルを上げたのは徐々に輝いていく
美奈子さんの歌声に無限の可能性を見出していたのではないでしょうか・・。

美奈子さん逝去後のエピソードで、病に倒れた時、最後まで病床で
是非この歌を歌いこなし、ファンに届けたいと思っていた事を聞くと
本当に残念でなりません・・。
私は、このお話を聞いた時、いてもたってもいられずNHKのとある
FM音楽番組にこの「時」のリクエストをした事がありました。
美奈子さんが、もっともっと歌いたかった「時」をもっと多くの人に
聴いてもらいたい・・。
ただ、それだけの想いでした・・。
ファンが集う某掲示板にもリクエストのお願いし多くの賛同を得て
無事「時」が流れ、しかも間奏でMCの方が美奈子さんが
病床でこの歌を歌いたかったエピソードを話され、
故郷である朝霞にこの曲が届いて欲しい・・と
言って下った時には、恥ずかしながら涙してしまいました。

聴く人のそれぞれの「心」にこれからも感動を与え続ける
(発展し続ける未完の曲)・・「時」。
これからも大切に聴いて行こうと思います・・。


-> ヒロさん

お久しぶりです。貴重な思い出話のご披露ありがとうございます。

私はCDを聴く時はまずライナーノートにざっと目を通してから再生させることが多いのですが、何も知らずにこの「時 -forever for ever-」を聴いたらさぞびっくりすることでしょうね。仰る通り井上鑑さんはきっと美奈子さんの実力を最大限に生かそうという意図があってこうした曲を作ったのだと思います。井上さんにとっても渾身の力作だったのでしょうね。

努力家の美奈子さんのことなので、あともう少しの“時”が与えられたなら、より完成度の高い歌唱を聴かせてくれたに違いありません。しかしながらこの曲は結局未完成のまま残されてしまいました。ということは、これは聴く人の心の中で育てていなければならないということなんだろうな、と考えています。私たちがこの歌を聴いて、美奈子さんの伝えようとした思いをより深く理解することがてきたなら、それがこの歌を完成に近づけていくことになるのでしょう。

ラジオへのリクエストが採用された時のことは、放送そのものは聴けなかったのですが、掲示板に報告があったのを覚えています。私もぜひこの曲を多くの方に聴いていただきたいと強く思っています。このささやかな感想文も、そのために少しでも役立つことができれば、と願っています。

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