「私を泣かせて下さい」

2010年4月 6日

作詞:岩谷時子 作曲:ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル 編曲:井上鑑
アルバム「AVE MARIA」COCQ-83633(2003.05.21)所収。

本田美奈子さんのソプラノ歌手としてのデビュー・アルバム「AVE MARIA」の収録曲の中で、とりわけ美しい旋律が印象的なものの一つがゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル作曲の「私を泣かせて下さい」である。原曲はオペラ『リナルド』のアリアで、「涙の流れるままに」などのタイトルでも知られている。

ヘンデルは本来はオペラ作曲家として名をなした人なのだが、今日ではオペラ作品が上演されることはあまり多くなく、この「私を泣かせて下さい」や『セルセ』の「オンブラ・マイ・フ」などのアリアが単独で演奏されることが多いというのが現状である。これはおそらく彼のオペラ作品の筋立てが現代の感覚では荒唐無稽に過ぎるということに起因するのだろう。特にこの『リナルド』は十字軍に題材を採っているということからも、上演には困難さが伴うのではないかと思う。しかしそうはいってもこの「私を泣かせて下さい」にしても「オンブラ・マイ・フ」にしても旋律はまさに極上の美しさで、この二曲のアリアだけからでもこの作曲家の天分を窺うことができる。


この現代性に乏しい劇のテクストを元に日本語詞を作るに当たっては、岩谷時子さんも苦労をされたに違いない。元の詞の置かれているコンテクストを踏襲してはいるようだが、それよりもむしろ、私たちはこの詞から「ジュピター」における「泣きたい時には 泣きましょう」と共通したモティーフを受け取るべきなのだろう。

「自由なんか求めていない」というフレーズは「つばさ」で「自由が私には 勇気と光をくれたわ」と謳った岩谷さんには似つかわしくない言葉のようでもあり、このアリアを現代の日本語話者の心にも伝わるメッセージへと翻案することの難しさも窺われる。しかしこのフレーズから天童如浄禅師の「胡蘆藤種纏胡蘆」という言葉にも通じるような深い意味合いを読み取ることもまた十分に可能だろう。私たちに必要なのは嘆きや悲しみから“自由”になることではなく、泣きたい時にはしっかりと泣くということなのだ。私はこの詞が伝えるメッセージをそんな風に解釈している。

そして「嘆きこそは 私たちの絆なのです」というフレーズは、今となってはまさに私たちの心情を言い当てたものとなっている。美奈子さんにもうこの世にいないという悲しみは、美奈子さんと私たちをつなぎとめる絆なのだ。私はこの悲しみから自由になりたいなどとは決して望まないだろう。

美奈子さんのクラシック・アルバムで歌われた一連の楽曲の意義は、歴史の試練に耐えて今日まで聴き継がれてきた珠玉の名旋律を、美奈子さんの美声によって、現代の清新な感覚で聴かせてくれるというところにある。この曲はそれに加えて、今やこの世では会うことのできなくなった美奈子さんと私たちとを、強い絆で結びつけるよすがとなってくれるという意味で、大切な楽曲である。これからも何度となくこの曲を聴きながら、「私にこそあなたのために泣かせて下さい」と願い出ることになるのだろう。

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コメント

ヘンデルは「歌劇」よりもむしろ「オラトリオ」の方が目立っているのではないでしょうかね。
「私を泣かせてください」はソプラニスタ岡本知高さんのが某ドラマ主題歌として起用されたので知りました。本田美奈子さんと岡本知高さんの共通点はクラシックからポピュラーと幅広いジャンルを歌いこなす。
「リナルド」は知らないけれど当時のドラマからすれば、インパクトが強かったのではないのでしょうか。
最後に・・・今の社会に泣かせてください。

-> eyes_1975さん

現在ではオラトリオが最も広く親しまれていると思いますが、オペラも膨大な数を作曲していて、作品の数ではプッチーニやワグナーを軽くしのぎ、ヴェルディなどよりもむしろ多いみたいなんですよね。だから同時代の人たちにはオペラ作曲家としても認知されていたのだと思います。それが現在では滅多に上演されなくなっているのですから、不思議なものですね。

岡本知高さんの歌唱も印象的でした。あと、TVドラマでいうと誰の歌唱だかわからないのですが『ちゅらさん』でも非常に効果的に使用されていました。

泣きたくなるようなことばかり多い今の世の中ですが、そういう時はやはりいい音楽を聴いて癒されましょう。

「私を泣かせてください」は、バーブラ・ストライサンドが「クラシカル・アルバム」の中で歌ったものがあります。出来は。。。彼女の歌だから言うまでもないでしょう。私は、この曲をポピュラーの人が歌ったのはバーブラしかしりません(本田美奈子さんも含めて)が、たぶんそれで充分です。なおヘンデルのオペラはカストラート(去勢男性歌手)を使ったものが多くて、現代ではやりにくいですね。

-> mさん

はじめまして。コメントありがとうございます♪

バーブラ・ストライサンドさんもこのアリアを歌っているのですか。それは聴いてみたいですね。mさんももし今後何か機会がありましたら美奈子さんの歌も聴いてみて下さい。

ヘンデルのオペラは技術的な理由での難しさもありますね。扱っているテーマにもっと現代に通じるメッセージがあればそうした困難を乗り越えてでも上演が試みられるのでしょうけれど。

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