天満敦子さん ヴァイオリン・ソロ・コンサート

2010年12月 9日

先週の金曜日(3日)に天満敦子さんのコンサートを聴いてきた。さるお寺のご住職が祖師堂の落慶を記念して檀家さんたちを招待した催しで、私の家はそこの檀家ではないのだけど、知り合いの檀家の方が行くことができないので招待券を譲って下さったのだった。ご住職は天満さんとは十年来のお付き合いだそうで、天満さんはお寺の建物の音響を気に入ってよく練習にいらしているのだという。そんな親密な集まりの雰囲気の中で、天満さんのヴァイオリンを心ゆくまで堪能できた一夜だった。


  • アダージョ〜無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調より(J. S. バッハ)
  • トロイメライ(シューマン)
  • タイスの瞑想曲(マスネ)
  • ロンドンデリーの歌(アイルランド民謡)
  • ねむの木の子守歌(山本正美)
  • 中国地方の子守歌(岡山県民謡)
  • ホーム・スイート・ホーム(ビショップ)
  • 独奏ヴァイオリンのための譚歌より(和田薫)
  • スワニー河(フォスター)
  • 祈り(ブロッホ)
  • 望郷のバラード(ポルムベスク)
  • ジュピター(ホルスト)
  • アンコール:この道・城ヶ島の雨(山田耕筰・梁田貞)

曲目などは一切わからない状態で会場に行ったのだけど、パンフレットをもらってまず驚いたのは、ピアノ等の伴奏楽器なしで天満さんのヴァイオリンだけで演奏することだった。演目には独奏ヴァイオリンのための作品も二曲含まれてはいたが、ほかはほとんどが普通は伴奏楽器を伴って演奏される曲ばかりである。

編曲に注目して聴いていたのだが、天満さんはどの曲もかなりシンプルな編曲で弾いているのが印象的だった。「タイスの瞑想曲」や「望郷のバラード」はおそらく原曲のヴァイオリン・パートをほぼそのまま弾いていたし、「祈り」は原曲のチェロ・パートをそのまま移調して弾いていたのではないかと思う。「トロイメライ」や「ジュピター」は主旋律だけを和声を交えずに弾いていた。「ねむの木の子守歌」「中国地方の子守歌」「ホーム・スイート・ホーム」「スワニー河」はそれなりに器楽曲的な編曲がほどこされていたが、それでも過度に技巧を前面に立てたようなパッセージが織り込まれることはない。

普通プロの楽器奏者が伴奏なしで演奏するとなれば技巧的な装飾を伴う変奏をふんだんに織り交ぜて自身の技巧をアピールしたいという誘惑にかられるものではないかと思うのだが、天満さんの演奏は決してそうした方向へは流れていかない。ヴァイオリンが本来はポリフォニーには不向きな単旋律楽器であるという事実を取り繕おうとする様子もなく、この楽器からひたすら豊かな歌を紡ぎ出すことだけを意識しているかのようである。

それは日々の研鑽によって培われた豊かな音楽性が可能にしているのだろう。朗らかで温もりのある音色、深い精神性に裏付けられた豊かな歌心、そういった天満さんのヴァイオリン演奏の魅力は、こうしたスタイルでこそより端的に伝わってくるようにも感じられた。

帰って来てから調べてみたところ、天満さんはこの形態でのコンサートが非常に多いとのことだった。中野雄さんが 天満敦子はもしかしたら、『無伴奏ヴァイオリン・コンサート』という新しい演奏芸術の開拓者として、演奏史にその名を留める存在になるかもしれないという予感すら、私にはある。 と評しているのだが(アルバム「望郷のバラード〜無伴奏ベスト〜/天満敦子」ライナーノート)、それもあながち強弁とはいえない気がする。


バッハ作品の演奏は、なだらかにクレッシェンド、デクレッシェンドするのではなく、不連続に階段状に推移する強弱のつけ方を興味深く感じた。私はバッハ作品のオーセンティックな演奏解釈がどういうものなのかをよく知らないので、これが通常の弾き方なのか天満さん独特のものなのか判断できないのだが。それはともかく、聴く者を深い瞑想に誘うようなバッハならではの音響世界を堪能した。

和田薫さんという作曲家はお名前を存じていなかったのだが、天満さんと一緒に仕事をする機会の多い方らしい。この「独奏ヴァイオリンのための譚歌」もおそらくは天満さんのために書かれた作品なのだと思う。民謡風の旋律にヴァイオリン的なイディオムを織り交ぜた親しみやすい作品で、天満さんの美質が遺憾なく発揮されていた。「中国地方の子守歌」でもそうだったのだが、右手の弓で旋律を弾きながら左手ではじくピツィカートがもの悲しい雰囲気を醸し出してして非常に効果的だった。なぜ日本風の旋律に左手のピツィカートがよく合うのだろうかと考えてみたのだが、それはこの技法が琵琶の音色を想起させるからだと気がついた。和田さんも天満さんも、おそらくそのことを意識しているのではないかという気がする。


「望郷のバラード」は天満さんの代名詞のような存在にもなっている重要なレパートリーだが、この曲の演奏でおもしろかったのは、照明を極端に落としてほとんど暗闇の中で演奏していたことだった。あの状態ではおそらくほとんど手元も見えていなかったのではないかと思う。照明を暗くして演奏するということは晩年のスヴャトスラフ・リヒテルがやっていたそうだし、近年ではミハイル・プレトニョフさんなどもやっていると聞いているが、これほどまでの暗さというのはほかにあまり例がないのではないだろうか。数え切れないほど演奏してきて、今さら手元など見る必要もないくらい手になじんだ作品だからこそできる試みというべきか。このようにすることで、奏者も聴衆も一体となって作曲家が曲に込めた望郷の想いに浸れるような効果があったかも知れない。


この日の聴衆はクラシック音楽の熱心なファンというわけでは必ずしもない人たちだったわけだが、拍手のタイミングも「望郷のバラード」では十分に余韻をおいてから、「ジュピター」では壮快に弾き終えた天満さんのヴァイオリンの音が鳴り止むや否や、といった感じで、全体にマナーもよくて気持ちよくコンサートを楽しむことができた。ご住職は冒頭に簡単な挨拶をされたのだが気さくな話しぶりの中に温和なお人柄が窺われて、そのご人徳が檀家の方たちにも伝わっているからなのかも知れない。

客層が普通のクラシックのコンサートとは違うということもあり、アンコールには「北の宿から」をやってくれるんじゃないかと秘かに期待したのだけど、それがなかったのだけが少し心残りだった。実際に弾いてくれたのは「この道」と「城ヶ島の雨」を編曲したもので、これもちろん十分に聴き応えがあった。


終演後にサイン会があり、CDを買ってサインをもらい、握手もしていただいたのだが、ぶ厚い手から伝わる温もりがヴァイオリンの音色から受ける印象そのものだった。あまりお話することはできなかったが、コンサートの中ほどにちょっとしたトークがあり、その姿が童女のようでもあり、山姥のようでもある(失礼!)という、不思議な人だった。

手にしたのは小林英之のオルガンと競演した2005年発売の「祈り」。ほかに欲しいものもあったのだけど、品揃えが十分でなく置いてあるものの中からこれを選んでみた。ヴァイオリンとオルガンという編成もこれまためずらしいが、これも深みのある音楽となっている。

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