シベリウスとベートーヴェンの夕べ

2008年10月16日

近所の女子大で講義の一環として催されるコンサート・シリーズ、今回は今月10日に開催されたウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の演奏会に招待券をいただいて聴きに行ってきた。指揮者はクリスチャン・ヤルヴィさん、高名な指揮者のネーメ・ヤルヴィさんの次男でパーヴォ・ヤルヴィさんの弟である。ソリストに2002年のチャイコフスキー・コンクール最高位に輝いたヴァイオリニストの川久保賜紀さんを招いてのシベリウスとベートーヴェンのコンサートである。


エドヴァルド・グリーグ:『ペール・ギュント』第1組曲

コンサートはまずグリーグの『ペール・ギュント』第1組曲で幕を開けた。クリスチャン・ヤルヴィさんが指揮台に登り聴衆の期待の拍手が収まると実にさりげなく演奏が始まった。こういう音出の軽いオーケストラはあまり聴いたことがなかったので少し驚いた。聴いているうちにこれまで自分が好んで聴いてきたのとはかなり違ったタイプの音作りをする指揮者なのだということがわかってきた。何というか、ふわふわと宙を漂うような軽々とした演奏だった。二曲目の「オーセの死」などはまるで荘重さが感じられない。しかし三曲目「アニトラの踊り」は軽快で洒脱な舞曲となっていて、最後の「山の魔王の宮殿にて」の終盤の引き締まったアッチェレランドなどはこうした音作りの利点が生きた演奏だとも思った。


ジャン・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op.47

シベリウスのこの作品はロマン派を代表する名協奏曲とされているが、私はあまり馴染みがなくて何となく小難しい音楽という印象を抱いていしまっていたのだが、あらためて聴いてみると随所に美しい歌が散りばめられていて実にいい曲だった。シベリウスは元々ヴァイオリニスト志望だったというだけあって、ヴァイオリンの技巧を存分に堪能できる作品でもある。この作曲家の真価を再認識するいい機会になった。

川久保賜紀さんはチャイコフスキー・コンクールでの活躍でお名前だけは存じていたが、演奏を聴くのは放送や録音などを含めても初めてなので楽しみにしていた。もう少し神経質な感じの音を出す人かと勝手にイメージを描いていたのだけど、実際に聴いてみるとおおらかで温かみのある音色で心地よく聴くことができた。

あまり大げさに見えを切るようなところはなく、音楽に誠実に向き合いながら深い内省に沈潜していくような演奏、という印象を受けた。技術的に危なっかしく感じるようなところは皆無だったのでテクニックにも確かなものを持っているのだろうが、それをことさらにひけらかすような素振りの全く見られないところに好感を覚えた。

1位なしの2位ということは2002年のコンクールの時点では他人との比較でなく彼女自身の演奏に何か足りないところがあると判定されたのだろうが、その後も自分の音楽を極めるべくひた向きに研鑚を積んできたのであろうことがこの日の演奏から窺われた。あの時は同時にピアノ部門で上原彩子さんが優勝して脚光を浴びたためにその影に隠れる形でやや目立たなくなってしまった印象があるが、こうして実演に接してみるとやはり才能豊かな演奏家なのだということを実感させられる。今後もぜひ弛まずに自身の音楽を深めていっていただきたいと思う。


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 Op.67

フル・オーケストラには手狭なはずの大学講堂の舞台にすき間が目立つほどの小規模な編成にまず驚かされる(コンチェルトの時はもっとスカスカだった)。特にピリオド奏法を謳っているわけではないようだけど、おそらくその影響を採り入れた演奏スタイルなのだと思う。第1楽章の有名な出だしから“重厚なるベートーヴェン”への聴衆の期待を裏切りつつ軽快なテンポで進んでいく。荘重な響きの中に余韻を楽しみたいところで尽く音符が短く断ち切られる。こういうのが今はやりの音楽なのか、と納得のいくようないかないような思いで聴いていた。

それでも第3楽章以降は慣れてきたせいか違和感はやや薄らいで、特にフィナーレではベートーヴェンらしい歓喜の調べを聴くことができた。どんな風に演奏しようとベートーヴェンはベートーヴェンということか。もちろんカルロス・クライバーのようなおとなしく座って聴いているのが困難なほどの高揚感は望むべくもないのだが…。

近年こうした聴衆の期待を肩透かしするような演奏が盛んに行われるのは、現代の演奏家にとってウィルヘルム・フルトヴェングラーやクライバーの路線を踏襲しようとして二流の物真似に終わってしまうよりも、何か人と違った新奇なことをやってみせた方が話題を呼びやすく、他との差別化が計れるという事情があるのだと思う。録音という技術のお蔭で彼らは常に過去の名演奏と比較されるという苛酷な状況に晒されているわけだ。それを負担に感じる若い演奏家が往年の巨匠たちとまともに対峙するのを避けて、それまで人があまりやってこなかった方向性に活路を見出そうとする心理はわからなくもない。また音楽は生き物である以上、古典的作品にも常に時代の要請に応じて新たな光が当てられていかなければならないことも理解している。それでも私にはこの種のマーケティング理論が優れた芸術を生み出すとは思えないのだ。この情報過多の現代に、フルトヴェングラーに正面から挑みかかるドン・キホーテのような若い演奏家の登場を期待するというのは無理な注文なのだろうか…。

もっとも彼のお兄さんであるパーヴォ・ヤルヴィさんの場合はピリオド奏法の手法を一部に採り入れているようだが、シューマンの作品などでは実にロマンティックな熱のこもった演奏を聴かせている。だからクリスチャンさんの演奏も曲目などによってはまた違った印象を与えてくれるのかも知れない。そういうわけでこの一回の演奏会を聴いただけで彼をつまらない指揮者と切り捨ててしまうのは避けておきたい。

ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団は弦楽器の洗練された美しい音色にさすがにウィーンのオーケストラ、と思わせられるものがあった。管楽器はというと、金管楽器がかなりしょぼい音だったのに対し、木管楽器はいずれも愛らしい音色で楽しませてくれた。特にフルートの主席奏者の音色が素晴らしく、最初の『ペール・ギュント』はこれを聴かせるために選曲したのではないか、と思わせるものがあった。終演後の喝采は天国のベートーヴェンとこの方に捧げたい気分だった。


アンコールは「ソルヴェイグの歌」でもやってくれないかと秘かに期待していたのだが、この期待も当然のように肩を透かされ演奏されたのは活気のある短い曲だった(初めて聴く曲で曲名がわからなかった)。あくまでも仕事はなるべく早く片づけるというのが現代の気鋭の演奏家たちの流儀なのか…。全体にプログラムが短めの曲で構成されていたので満腹とはいかなかったが、まあ何にせよこうして生演奏が楽しめたというのはありがたいことだった。

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