「シシリエンヌ〜さくらの国」

2009年4月 6日

作詞:岩谷時子 作曲:ガブリエル・フォーレ 編曲:井上鑑
アルバム「AVE MARIA」COCQ-83633(2003.05.21)所収。

満開の桜がそろそろ散り始めようとしている今日この頃、本田美奈子さんのレパートリーの中でこの季節に最もよく似合う歌というとやはり「シシリエンヌ」だろう。「風に散る花びら ノートにはさんで」という出だしで始まるこの歌、ブックレットのタイトルには副題として「さくらの国」という言葉が添えられており、桜の花をモティーフとした歌詞であることが窺われる。

原曲はフランスの作曲家、ガブリエル・フォーレの劇付随音楽、『ペレアスとメリザンド』の中の一曲で、フルートの独奏によって奏でられるシチリア風の舞曲である。作詞はいつもの通り美奈子さんの恩師、岩谷時子さんで、岩谷さんにとってこの舞曲は桜の花びらが舞い散る風景のイメージだったようだ。モーリス・メーテルリンクによる原作の筋立てを踏襲しようという意図はなかったようで、謎めいた象徴主義的な恋愛悲劇の影はこの詞に見出すことができない。15の時に出会った恋人がアメリカに去って行ったという設定はむしろどこかプッチーニの『蝶々夫人』を思い起こさせるものがある。岩谷さんは生涯を通じてあまり浮いた噂のなかった人だと聞いているが、桜にまつわる恋の思い出を歌う詞をこのシチリア舞曲に当て嵌めるに当たって、岩谷さんはどんな情景を思い浮かべていたのだろうか。

美奈子さんはやたらと臨時記号が多く、大きな跳躍もあったりするこの難しい旋律を少しの苦労の痕跡もとどめることなくさらりと歌いのけている。その音符を一つ一つ的確に掴んだ歌唱は舞い散る桜の花びらを丁寧に掬い取っているかのようだといったら凝り過ぎた表現になるだろうか。この歌を歌いながら美奈子さんの脳裏にはどんな情景が思い浮かんでいたのだろう?

編曲の井上鑑さんは後の「」に収録された「風のくちづけ」と同様に伴奏に琴を用いている。桜をモティーフとした詞と相俟って、原曲にはない独自の幻想的な世界を形作っている。思えばヨーロッパの旋律に日本の象徴である桜をモティーフにした詞をつけ、邦楽楽器の伴奏によりベルカント的な唱法で歌うというのは実にユニークな着想で、まさにここにしかない音楽と言えそうである。

桜が散り切ってしまうまでは後少しというところだろうが、この歌を聴きながら今しばらく「さくらが咲く国」にいる幸せに酔いたいと思う。

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コメント

「いっちゃん、6日はセルゲイさんの恋文の日だよ!」
「うん、知ってる!^^6日は恋文の日。楽しみだよね。。。」
どんな曲を紹介されるのか、どんな思いが綴られているのだろうか・・・毎月友達も私も楽しみにしています。
今回は、シシリエンヌと来ましたか・・・上手い!

私は配達の仕事をしています。
美奈子の風を感じることができて幸せと言う言葉が毎日浮かんできます。
今日からは、この曲に乗せて美奈子の思いが聞こえてきそう。

-> ラムさん

お友達との会話にまでこのブログが出てくるんですか…。何だか恥ずかしいです。^ ^

風が気持ちいい季節ですね。「風を感じる幸せ」、美奈子さんのファンとしていつも忘れずにいたいです。

今年の桜は長持ちするのが特徴みたいで、もうしばらくの間楽しめそうですね。

sergeiさん。
 今更ですが、本田美奈子さんのクラシカル・アルバム「アヴェ・マリア」と「時」に収録されている楽曲の多くは実に格調高い歌詞がつけられていると思います。特に、「グリーンスリーヴス」や「ジュピター」、「タイスの瞑想曲」、「アメイジング・グレース」、「白鳥」、「新世界」、「時」などの歌詞はひときわそのように感じられます。一言で言うと、愛と希望と平和の精神を高らかに謳い上げている歌詞です。

 それから、以前こちらのブログにも書かれていましたが、「wish」の歌詞は日常的で平易な言葉を用いながらも、永遠普遍なる真理の一端が窺えるような奥深いメッセージが込められていると思います。私見ですが、そのメッセージとは次のようなものではないでしょうか。

 “人間はそれぞれ自分自身の力だけで生きている存在ではなく、自分を取り巻く自然や他の人々との関わりの中で、愛され生かされている存在である。さらに言えば、日常ごく普通に生きていること自体が実は奇跡的ともいえる恵みである。それゆえ、日々当たり前のように生かされていることに対して限りない感謝の念をもって生活を送れば、心は喜びで満たされ、幸福であると実感できるのである。”

 思うに、人間は心臓の鼓動1つとってみても、自分の意志とは関わりなく、生命を維持するために休みなく動いているわけで、そのことからも、やはり自然の摂理に対する畏敬の念を感じざるを得ないといえます。また、そうした自然や人間を含め、宇宙森羅万象を創造した神(人格神)が存在するとすれば、親のごとき心情と愛をもって人間を生かしていることに対する感謝(信仰)の念が生ずることになろうと思います。

-> ミューズさん

晩年の美奈子さんの歌はどれも詞が素晴らしいですよね。本当に気高い魂だけが作り、そして歌うことができる、そういう詞だと思います。当たり前の日常の尊さとか、自然環境など他の存在との共生の大切さとか、そういうとても大事なことが極めて平易な言葉で綴られているというのは奇跡のようなことだといつも感じています。美奈子さんはそういう深遠な真理を体得していた人だったんでしょうね。

美奈子さんの作品に限らず、私は歌から学ぶことがとても多いです。音楽家の感性というのはとても繊細で鋭敏にできているんでしょうね。お蔭で最近はめっきり本を読むということをしなくなってしまいました(苦笑)。

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