三木たかしさんとテレサ・テン

2009年5月30日

少し間が空いてしまったが先日亡くなった三木たかしさんのことを述べてみる。私にとって三木さんの作品にまつわる思い出で特に印象深いのは、1986年に発表されたテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」を最初に聴いた時のことである。それはこの年の年末に放送された『有線放送大賞』を見た時のことだった。なぜこの番組を見ていたのか今はもう思い出せない。この年は私にとって宿命的な「1986年のマリリン」がヒットした年でもあるので、本田美奈子さんを目当てに見ていたのでないことは確かである。憶えているのは当時少年隊が人気絶頂で、会場は彼らを目当てに訪れていた女の子たちで溢れ、その黄色い歓声が凄まじかったということである。

テレサが歌ったのはそんな場内の熱狂がまだ収まり切らないタイミングで、とても叙情的な歌にしんみりと聴き入るような雰囲気ではなかった。それまでテレサの実力を全く知らなかった私にはそんな状況で舞台に上がった彼女があまりにも華奢で頼りなげに見えて、何やら気の毒に思えたのだった。

それがひとたびテレサが歌い出すと、そのあまりの素晴らしさに「何てすごい歌なんだろう!」と呆然となってしまった。当時中学生だった私は“テレサ・テン”という名前に辛うじて聞き覚えがあるくらいで、ほとんど何の予備知識もなかったのだが、彼女の歌手としての力量を知るにはこの一曲を聴くだけで十分だった。それはまた、私が三木さんのメロディーの素晴らしさを知った瞬間でもあった。


そのテレサが1995年に42歳の若さで亡くなったのは衝撃的だったが、この悲報に誰よりもショックを受けたのが三木さんだった。三木さんは当時テレサの新曲の作曲に取り組んでいたのだが、それが期日までに完成せず、そのためにテレサは来日の予定を遅らせていたのだという。三木さんもし自分が予定通りに新曲を完成させていればテレサは日本に来ていたはずで、日本の医療体制なら発作を起こしても助かっていたのではないか、とご自分を責めていた。

三木さんにとってテレサはそれほどまで大切な存在で、彼女の歌声に惚れ抜いていたようだ。盟友の荒木とよひささんには「テレサへのラヴ・レターを代筆してくれよ」という表現で作詞を依頼していたという。TBSで放送された追悼番組では、三木さんは作曲の際にサビの旋律を歌い手の声が最も生きる音域に持ってくるように配慮していた、というエピソードが紹介されていた。三木さんがテレサのために作った数々の名曲も、まさにそんな風にして作られたのだろう。

何年か前、もちろんまだ三木さんの声が健在だった頃、三木さんがテレサのために作った歌を彼女の墓前で歌う姿をTVで見たのが記憶に残っている。その三木さんも亡くなってしまった今思うのは、三木さんはテレサと無事再会を果たすことができたのか、ということである。もちろん、テレサがやさしく出迎えてくれたに違いないだろうけど…。

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