ラグビーワールドカップ2015を振り返る

2015年11月 8日


一月あまりにわたって開催されていた第8回ラグビーワールドカップイングランド大会は、ニュージーランドの2大会連続3回目の優勝で幕を閉じた。オースラリアとの決勝戦は序盤から安定して試合を優位に進めていて楽勝ムードも漂っていたが、後半に不用意な反則からFBベン・スミス選手が10分間の一時退出となり、その間に2トライを返されて思いがけず競った展開になった。しかしそこからSOダン・カーター選手の意表をついたドロップゴールで突き放すあたりがさすがの試合巧者ぶりで、終わってみればダブルスコアの圧勝だった。今大会は予選リーグから一貫して圧倒的な強さを見せつけて勝ち上がってきたオールブラックスだが、この試合はその集大成として相応しい、貫禄の試合運びだった。

特に圧巻だったのは後半最初のトライ(動画)で、後半開始から途中出場したソニー・ビル・ウィリアムズ選手(23番)が続けざまに二度のオフロード・パスを見せ、最後はマア・ノヌー選手(12番)が快走した。この世界を代表するセンタープレイヤー二人の競演が見られただけでも、深夜まで観戦していた甲斐があったというものだ。



さて、今大会は日本代表が初戦の南アフリカ戦で大金星を挙げ、ラグビーファンのみならず日本中を大興奮の渦に巻き込んだ。もうあれから既に一月以上が経っているが、未だに何だか信じられないような気がする。このところ着実に力をつけてきているのは私も感じていたが、この南ア戦に関しては何とか善戦と呼べる程度に健闘してくれたらいいな、というくらいの期待しかしていなかった。あれは本当に、ラグビーの世界では全くあり得ないレベルの番狂わせだった。

あの試合の勝因として、粘り強いディフェンスや効果的なライン攻撃、セットプレーでのフォワード陣の健闘など様々あるかと思うが、一つ重要なポイントとして、南アが自陣での反則を繰り返したのに対して、日本はその数を抑えることができたということがあった。五郎丸歩選手の正確なキックが生きたのも、それあってこそだ。特に南アの選手たちにはノットロールアウェイの反則が目立ち、テストマッチの経験も豊富な選手たちがあれだけ繰り返し取られたということは、この試合ではかなり厳しめに判定されていたのではないかと思う。それに比して日本の選手たちがこのレフェリングを苦にせず適応できたのは、この試合で主審を務めることが決まっていたジェローム・ガルセス氏を事前の合宿に招待し、練習試合で笛を吹いてもらっていたことが大きく作用したようだ[1]。ホラニ龍コリニアシ選手はその際に「立ってプレーしなければいけないという基本に忠実」という感触を得ていたそうで、倒れてプレイする行為に厳しいレフェリングは、日本の選手たちには織り込み済みだったのだろう。五郎丸選手が「勝利は必然。ラグビーに奇跡なんてない」と述べている[2]ように、私たちには奇跡に見えたあの大金星も、周到な準備が生んだ必然的な帰結だったのかも知れない。

ノットロールアウェイの繰り返しは南アにとって高くつき、試合の最終盤をシンビンで一人少ない状態で戦わなくてはならなくなった。最後のペナルティでゴールを狙わずにトライを取りにいった勇気ある決断は、そのことも大きな要因になっただろう。カーン・ヘスケス選手の逆転トライ(動画)も、相手ディフェンスを完全に崩したわけではなかったが、外側にスペースがあった分だけタックルを受けながらでもインゴールに飛び込むことができた。あのスペースは、南アの選手が一人足りない分だけ生まれた僅かな隙ではなかったかと思う。


予選リーグ3勝1敗という今大会の好成績の要因は、まずもってエディ・ジョーンズヘッドコーチの指導力に帰せられるべきだろう。例えば南ア戦の最後のトライをパスでつないだ日和佐—立川—マフィ—ヘスケスの4選手のうち、立川選手を除く3人がインパクトプレイヤーとして途中出場した選手たちだったというあたりに、試合中の采配の冴えが明瞭に示されている。しかし何より特筆すべきなのは、チーム作りの段階で彼が日本独自のラグビースタイル—その理念を彼は“JAPAN WAY”と名づけた—を追求したことである。

体格に劣る日本が世界の強豪に伍して戦おうとすれば俊敏性を生かしたハイテンポな連続攻撃や、組織立ったディフェンスに活路を求めていくしかないわけだが、長い低迷の時期には方向性を見失って迷走してしまっているように思えることもあった。私が特に失望したのは、スクラムハーフにオールブラックスの経験もある選手を起用した時だった[3]。もちろん外国出身選手の代表入り自体はラグビーでは当たり前のことなので特に異を唱えるには当たらないのだが[4]、日本のラグビーのテンポを作り出すキーとなるポジションであるSHで従来の代表選手たちとは全くタイプの異なる選手を起用するとなると、日本のラグビーのオリジナリティっていったい何だろう、と考え込んでしまう。

しかし今回、世界のラグビーを最もよく知る名コーチであるエディさんが日本らしいラグビー—それこそ昔年の大西鐵之助が掲げた「展開・接近・連続」の哲学にも通ずるような—にこだわり抜き、その上で結果を出したということが、私は何よりうれしかった。南ア戦の勝利が世界中から称賛されているのも、ラクビー史上、というよりスポーツの歴史の中でも最大級の番狂わせという結果ばかりでなく、内容的にも非常にハイレベルな好ゲームだったということも理由になっていると思う。もともとグラウンドを大きく使ってテンポよくボールを動かす日本のラグビーのスタイルは、目の肥えた世界のラグビーファンを唸らせるだけのものを潜在的には備えていた。しかしそれも、善戦したけど最後は突き放された、というところにとどまっているうちは「惜しかったね」で終わってしまう。それが今大会では内容に結果が伴ったことで、世界中からリスペクトを集めるに至っている。日本のラグビースタイルをそこまでのレヴェルにまで磨き上げたエディさんの手腕は、いくら称賛してもし過ぎることはないだろう。


個々の選手の活躍については語り始めるときりがなくなるが、ここでは他であまり言及されていないスタンドオフやセンター陣のことについて少し述べてみたい。今大会での日本代表の躍進の要因には、一つには安定したライン攻撃があったと思う。ラグビーではボールを前に投げることができないので、下手な攻撃だと連続して攻めても却って陣地を下げられてしまうことになる。しかし今大会の日本代表は、密集からボールを外に展開した攻撃で相手ディフェンスの最初のタックルをまともに受けて後ろに下げられるような局面が、4試合を通じてほとんど記憶にないくらい目立たなかった。ボールを左右に動かすたびにジリジリと前進していく日本のライン攻撃は、今大会の日本の躍進の原動力だった。逆転トライの直前、19フェイズを重ねてゴールライン直前にまで迫った南ア戦終盤の連続攻撃などは、まさにその典型だろう。そうした効果的なライン攻撃を支えていたのが、屈強な相手ディフェンスのタックルを物ともしないスタンドオフや両センターの果敢なアタックだった(もちろんフォワード第3列をはじめとする強力なサポートがあってのことだが)。

今回のチームでセンターもしくはスタンドオフとして縦横に活躍したのが立川理道選手だった。南アフリカ戦はリザーブに入る予定がクレイグ・ウィング選手の負傷で代わってセンターとして先発出場し、試合途中からはスタンドオフとしてライン攻撃を統率した。以後の3戦でも全てに先発出場し、エディさんから「今大会で最も成長している一人」と称賛される活躍を見せた[5]。スタンドオフ及びセンターとして招集されたメンバーの中ではおそらく大会を通じて最も長い時間をプレイしていたはずで、今回の代表チームにおけるバックスのキープレイヤーともいえる存在だったのではないだろうか。

私がおもしろいと感じたのはスタンドオフの小野晃征選手の起用法で、普通は試合の中でスタンドオフが最もキックを多用するのだが、今回のチームではプレースキックだけでなく流れの中でのタッチキックなどもフルバックの五郎丸選手が主に担当していた。それだけならさほどめずらしいことではないのだが、アメリカ戦では相手ボールスクラムで小野選手がフランカーの位置に入り、代わりにスタンドオフの位置にはリーチ・マイケル選手が就く場面があった。これはなかなか見かけない布陣で、おそらく体格にやや劣る小野選手のディフェンスの負担を軽減させようという配慮だったのだろう。こういうところに、足りないところは全体で補いつつ、彼のアタックのセンスを存分に発揮させようというチームの明確な意図が感じられた。彼のラインブレイクから生まれたアメリカ戦の最初のトライ(動画)などはその成果の一つといえるかも知れない。


それにしても、あの南アフリカ戦以来の日本中の熱狂にはすさまじいものがある。早大時代の五郎丸選手を「さっそくウィルキンソンの真似をする選手が出てきたな」とにやにやしながら見ていた頃には、その五郎丸選手の仕草を日本人がこぞって真似する日が来ようなどとは夢にも思わなかった[6]。中には“にわかファン”などと自ら卑下する人もいるけれども、それなりに年季のあるファンとしていわせてもらえれば、そんなことは一切気にかけず[7]どんどんのめり込んでいって欲しいと思う。長年ラグビーを見ていてもあれほど内容的に充実した好ゲームというのはそうそうあるものではなく、あの試合でラグビーの魅力に開眼できたというのは非常に幸運なことなのだ。

長い間ラグビーを見続けてきて何が悔しかったかといって、それは日本が負け続けたことよりもむしろ、例えば2007年ワールドカップのカナダ戦で、終了間際の日本の同点トライを地上波では放送し損ねたことだったりする[8]。怪我の治療などで試合時間が延びるのはよくあることなのに放送局が十分な枠を確保しておかなかったためにそんな事故が起きたのだが[9]、これがもしサッカーの代表戦で後半ロスタイムの日本の同点ゴールを放送し損ねでもすれば暴動が起こりかねず、放送局もそんな事態にならないよう万全の態勢をとっているはずだ。勝負の世界のことなので勝ち負けの結果は受け容れるしかないが、ラグビー人気が世の中からそこまで見くびられているということが、何より切なくやりきれなかった。

新国立競技場の建設問題にしても、「オリンピックには絶対に間に合わせないとダメだけどラグビーW杯には我慢してもらうしかないね」という意見が当たり前のようにまかり通ってしまうあたりラグビーファンとして忸怩たるものがある。今大会開幕前の、例のセクシー動画の騒動[10]も、現状ではあまりに低い世間でのラグビーの認知度だからこそ、テレビ局もあんな話題作りをしなければならなかったのだと思う[11]

そんな次第なので、にわかだろうがミーハーだろうが、ラグビーに関心を持ってくれる人が増えるのは心強い限りだ。ルールなんて初めはわからなくても見ているうちに大体のことはわかるようになる[12]


空前の活気を呈する日本のラグビー界だが、今後に向けては必ずしも楽観はできない。今大会を以て退任したエディ・ジョーンズヘッドコーチは日本の選手たちの素質を高く評価する一方で、協会の強化体制や各クラブ、高校、大学の練習方法にはかなり辛辣な意見を述べていた[13]。エディさんの目には日本のラグビー指導の現場は「規律を守らせるため、従順にさせるためだけに練習をしている」ように見えるらしい[14]

今回3勝できたから次こそは決勝トーナメント進出、と安直にいえることではなく、そのために改めなければならない点は多々あるだろうが、何ごとも変化というのは簡単にできることではない。日本のラグビー界は1990年代に世界的なプロ化の潮流と、国内的にはJリーグの発足という内外の環境の激変に見舞われたが、その対応が後手に回ったことも長期低迷の一因だったと私は思っている。

しかしこれからすぐにも変わっていくことが確実なのは、今後はコアなファンによる声援だけでなく、国民的な関心という後押しを当てにできることである。すでにもうトップリーグの観戦チケットがソールドアウトするといった効果が出始めており、これからまた新たな荒海へと漕ぎ出していかなければならない日本ラグビーにとって、そうした競技環境の活性化こそは何よりの助けとなるに違いない。

エディさんの指摘が重たく耳に残っているので軽佻に「次はもっと上を」などと浮つく気にはならないのだが、それでもやはり私としても、今のこの上げ潮を利して日本のラグビー文化がさらなる成熟と高揚の時を迎える、そんな未来を夢見ずにはいられない。


脚注
  1. ^ ラグビー日本代表、国際レベルのレフェリング体感 - ラグビー : 日刊スポーツ
  2. ^ 周到な戦略と勇気、日本に大金星もたらす ラグビーW杯 - ラグビーワールドカップ2015:朝日新聞デジタル
  3. ^ 以前は3年居住の条件さえ満たせば代表チームの“移籍”が自由にできた。その後一度ある国の代表としてプレイすれば別の国の代表にはなることができないようにルールが改正されたのだが、近年7人制ラグビーがオリンピック種目に採用されたこととの兼ね合いで、条件付きで一度だけ代表となる国の変更が認められるようになった(IRB、代表選出条件を変更 –再び2つの国の代表ジャージを着ることが可能に– | 欧州楕円球事情—ヨーロッパラグビー通信— | スポーツナビ+)。今回この規定を利用してワールドカップに出場していたのがニュージーランド7人制代表の経験のあるサモア代表のFBティム・ナナイ=ウィリアムズ選手だという(【ラグビーW杯】日本代表を彩る「外国出身選手」の異色な経歴|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Otherball)。
  4. ^ 五郎丸選手のツイートにもある通り、「これがラグビー」なのだ。
  5. ^ 【ラグビーW杯】立川の躍進の裏に「神メモ」メンタルコーチと不安解消 : スポーツ報知
  6. ^ あのキック前の一連の“ルーティーン”はイングランドの名選手だったジョニー・ウィルキンソン氏がやっていたのを真似することから始めて、メンタルコーチのアドバイスも容れつつ自分流に磨き上げていったものらしい(五郎丸の「儀式」、陰の立役者 支えるメンタルコーチ - ラグビーワールドカップ2015:朝日新聞デジタル)。そのウィルキンソン氏は「今は、彼が僕に影響を与えてくれているよ」と述べている(「五郎丸が教え返してくれた」 ポーズのお手本が感謝 - ラグビーワールドカップ2015:朝日新聞デジタル)。
  7. ^ 決勝の放送の際にスタジオで上田晋也さんも話していたが、誰だってはじめはにわかだったのだ。
  8. ^ 日テレがラグビーW杯で日本のトライを飛ばして放送、抗議1000件 : J-CASTニュース
  9. ^ そもそもリアルタイムで観戦してこその醍醐味なのにディレイ放送というのがどうかしているし、今大会の南ア戦にしてからが地上波では録画放送だった。
  10. ^ 日テレ 水着でラグビールール解説動画削除「不快」と指摘受け ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
  11. ^ この件に関して私見を述べておけば、平尾剛氏のお怒りはごもっともだけれども、テレビ局に怒りをぶつけるよりは、テレビ局がこんな話題作りを考えつかなくてもすむように、ラグビーの認知度を向上させるべく、ラグビー界がもっと努力しなければならないということなのだと思う。
  12. ^ プロップの畠山健介選手によると代表の選手たちでも全てのルールを把握しているわけではないという(ルール無用!ラグビー観戦呼びかけ/スポーツ/デイリースポーツ online)。
  13. ^ 最後まで憎まれ役を買って出た、エディー・ジョーンズの「ジャパン愛」。 - ラグビー - Number Web - ナンバー
  14. ^ エディーHC、日本ラグビー界に辛口エール「規律を守らせ、従順にさせる練習をしている」 (1/2ページ) - ラグビー - SANSPO.COM(サンスポ)
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コメント

こちらではすごくお久しぶりですね。
見事な長文読まさせていただきました。(笑)

自分も、世界の壁に跳ね返さ続けるのと同時に、ラグビーから離れていってしまったクチなので、何ともお恥ずかしいかぎりなのですが、ほぼ同じように感じていますよ~。
思えば日本のラグビーは、早明に代表されるように、社会人より「学生がNo.1」みたいに扱われていたのが良くなかったんじゃないのかな・・・と自分は思いますね・・・。
釜石とか神戸製鋼とか強くてそれなりに人気もありましたが、当時の学生ラグビーは熱狂が半端なかったですよね・・・まるで戦争かって感じで。
知り合いの明治OBも何か命懸けてるように見えた。(笑)
日本選手権ではほぼ学生を返り討ちにしてたのに、あれじゃ「モチベーション保てるんかな?」って思ってました。
まあそれでも、その学生人気をうまく使えば良かったんだとも思いますけどね・・・。
少し遠回りしたけれど、やっとここまで来たって感じでしょうか?

って、なんかこのコメントも長文になってしまうんで、この辺にしておきますが、日本のラグビー文化に関してもそうですが、ジャパンが世界の頂点に登れる日が来るのも、夢にみて待ちたいと思います~!
少なくともサッカーよりは、早くその日が来ることでしょう!

-> ボランチさん

こちらではお久しぶりです♪

私もずっと同じテンションで応援してきたわけではないですし、今回だって正直あまり期待していませんでした(爆)。

エディさんも大学は本格的な強化の場としては相応しくないみたいなこといってましたね。箱根駅伝とかでもそうですけど、学生スポーツが盛り上がり過ぎるのも良し悪しですね…。社会人は社会人で、社員とその家族が応援の中心になっているような内向きのノリをなかなか脱し切れていなかったような…。釜石とか神鋼が強くて盛り上がっていた頃にもっと地域社会を巻き込んで発展していくような道を探ることもできたはずだと思うんですけど、そういう面では完全にJリーグの後塵を拝する形になってしまったのも、もどかしいというか何というか…。

まあでもこれだけの熱狂が巻き起こってしまえば否も応もなく変わっていかざるを得ないんだろうな、とは思います。サッカーに比べると普及に偏りがあるんで世界の頂点までの道のりは見かけ上は短いですけど、どうでしょうかね。でも私もいつかそんな日が来ることを願っています! ^ ^

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